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◇4

 そろそろ日が暮れてきたようで、窓からはオレンジ色の光が差し込んできている。私は昼食後からこの部屋で一人黙々と読書をしていた。おじいさんはお医者さんとしての仕事もあるから、邪魔はしたくない。


 ――それにしても、こんな風に静かに本を読むなんて久しぶりかも……。


 最近は何かと慌ただしい日々だったし、本を読むような余裕はなかった。

 私がそんな事を考えながら窓の外を見ていると、隣の医務室が騒がしくなった。耳をすましてみると、どうやら私を助けてくれたキッドという男性がきたらしい。しかもどうやら私に用があるらしく、声が扉に近づいてきている。

 私はなんだか気恥ずかしくなって、平静を装いながら再び本に視線を落とした。


「失礼するよ」


 そう言ってキッドさんは部屋に入ってきた。隣には知らない男性もいる。私はつとめて平静を装いながら、今度は本を閉じた。なんだろう、凄い隣の男の人にじろじろ見られている気がする……。


「調子はどう?」

「……大丈夫、です」


 視線が恥ずかしくて、二人を真っ直ぐ見れなくてつい俯いたまま答えてしまった。


「あの、私……」


 なにか言わなければ、と口を開いたものの、すぐにキッドさんが制した。


「あ、ちょっと待って。俺からも話があるんだけど……」


 助かったような、何を言われるか不安なような、そんな感じだ。私が戸惑いながらも顔をあげると、キッドさんの隣にいた男性が小さく「可愛い」と言ったのが聞こえたような気がした。


「実は今日の会議で、君を帰宅させるかどうかは保留、という事になったんだ」


 キッドさんはとても言いにくそうに切り出した。


「……そう、ですか」


 私は搾り出すようにして、それだけを紡いだ。


「君がいた場所はロレーダ近隣の森だ。……俺としては不本意だけど、君に事情聴取をしなくちゃならない」


 事情聴取。その言葉に私は背筋が凍りついた。


「聴取は君の体調を考慮して、二日おきにちょっとずつやっていく予定だから。何かあればセスナさんにすぐに言ってくれたら、騎士団側としても考慮しよう。本当に、君からしたら訳が分からない事だと思うけど……本当の事を話してくれれば、すぐに家に帰せるから」


 キッドさんは優しい。一生懸命、私に気を遣ってくれている。けれど、家に帰るわけにはいかない。


「家には、帰りたくありません」


 それが今言える私の精一杯の言葉だった。これ以上は何も言いたくない。するとキッドさんはゆっくりと息を吸い込んだ。


「……分かった。今後どうしたいかは、君の気持ちが落ち着いてからでいいよ」


 彼の口から出た言葉に、私は思わず下を向いていた顔を上げた。


「おいキッド!?」


 隣にいる男性も心底驚いたようで、信じられないものを見るような眼でキッドさんを見つめている。


「こんな事言いたくないけどよ……この子がどうしたいかなんて、俺たちは――」

「もちろん、事情聴取は受けてもらうよ」


 キッドさんの視線は真っ直ぐに私を捉える。


「これだけ、教えてくれないかな。テナちゃんがあの場所にいたのは、どうして?」


 あまりにも真っ直ぐなキッドさんに、私は迷う。一瞬、ありのままを言ってしまおうかとも思った。でも、この人たちに言っても仕方がないことで、それは同時に、よりこの事態を悪化させてしまう。

 私が逡巡している間も、キッドさんは私のことをじっと見ている。私はゆっくりと息を吐き出し、心を落ち着ける。


「……理由は言えませんが、どうしても、家を出たかったんです。それで、あの森を通って、狼に追いかけられました」


 本当のことだ。ウソは何一つ言っていない。


「そっか。……話してくれて、ありがとう」


 そう言ってキッドさんはにこりと笑った。そしてあっさりと男性の腕を引っ張って立ち上がった。私は思わず目を丸くしてしまった。


 ――私は、ウソは言ってない。でも、もっと何か深く聞いてくると思っていた……のに。


「今日はもう疲れただろうから、また明日。一応、事情聴取は昼過ぎからの予定だから、その前にまた来るよ」


 キッドさんは本当にそれだけ聞いて、部屋を出て行った。


 ――……変な、人。


 私は自然と溜め息を吐いていた。


 ――なんで私のこと、信じてくれるんだろう……。


 単に善い人、で済ましてしまうのも釈然としない。でももしキッドさんが本当に本当に善人なのだとしたら、それこそ私はどうしたらいいか分からない。


 ――……だって、それじゃぁ私がキッドさんを騙しているみたいじゃない。


『――……良かったぁ』


 思い出したのは、目覚めた私に、最初にキッドさんが言った言葉だった。

 彼が、キッドさんが、私の無事を確認して笑ってくれたことが、私のこの虚無を無自覚に非難しているように感じてしまった。だから、あんな、あんな優しそうで良い人そうなキッドさんに、あの時「放って置いてくれれば良かった」なんて言ってしまったんだ。それに、長くここに居て迷惑をかけたくない。出来ることなら、一刻も早くここから出て行きたい。


 ――そう思ってるのに、テナって呼んで、なんて……。


 テレンツィエナという私の名前は気に入っているけど、ちょっぴり――うん、ちょっぴり呼びにくい。だから皆からはテナって呼ばれてる。それをつい、キッドさんにも言ってしまったのは、条件反射で仕方ないことなんだ、たぶん。


 ――でも、あの時のキッドさんは……なんていうか、その、かわいかった、っていうか……。あぁもう私ってばまたそんなこと……!! 相手はたぶん、年上のなのよ!?


 キッドさんが出て行った扉を見つめながら、私はずっとそんな事ばかり考えてしまっていた。もっと他にも考えなければならない事があるのに。


 ――……でも。


『俺は、君を放ってはおけなかった』


 キッドさんに言われたあの言葉が、こびりついて離れない。私たち、初対面なはずですよね? どうしてそんな風に言って下さるんですか? そうやってあの場で聞けたら良かったと、今更少し後悔している。


 ――でも、キッドさんが女たらしだったらどうしよう……!!


 あんな中性的で良い人そうな顔つきだけれど、もしかしたら。考えれば考えるほど、余計に頭がごちゃごちゃになってしまう。


 ――キッドさんが女たらしで、だから女の私に優しいとか!? 女の人になら誰にでもあんな優しい態度を取るとか!?


 初対面の男性に対して、なんて身勝手で失礼な想像をしているんだろう。自分でも分かっているんだけど、でも、あんな風に男性から優しくしてもらった事なんて無いから、もうどうしたらいいか分からない!!

 なんだか頭が熱くなってきた。


「……はぁ、考えるのやめようかな」


 こんな風に余計な考察をしていたらダメだ。もっと大事なことを考えないと。それに感情移入したらその分、辛くなってしまうのは私なんだ。

 私は手に持っていた本を棚に戻して、大きく伸びをした。チクリ、と背中に痛みが走る。


 ――……そういえば、セスナのおじいさんは私の背中も見たのかな……?


 そう思った瞬間、ぞっと悪寒がはしった。


 ――たぶん、私は全身傷だらけだった。治療のために背中を見られていてもおかしくない……よね。


 無理やり自分を納得させつつ、一呼吸おく。 


 ――……どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよう!!!?


 絶対に背中だけは見られたくない。たとえ治療の為であろうと、誰であろうと、絶対に絶対に背中は見られたくない。


 ――たしかめるべき? でももし見てなかったら、逆に怪しまれるよね。あぁ、でも見られてたらどうしよう……!!


 私はどうにかして思考を落ち着けようと、頭を抱えながら部屋の中をぐるぐると回った。しばらく早歩きで部屋を回っていると、ローテーブルの角に思い切り足をぶつけてしまった。


「いったぁぁあ……!!」


 鈍いんだか鋭いんだかよく分からない痛みに、思わず足を抱えてうずくまる。すると部屋の扉が開いた。


「お前さんなにやっちょるんだ?」

「あ、ちょ、ちょっと足をぶつけてしまって……」

「全く、お前さんは怪我人なんじゃから大人しくしとらんか」

「は、はい……」


 私はなんとか立ち上がる。セスナおじいさんは「ほれ、包帯を替えるぞ」と手に色々持ちながら、私に椅子に座るよう顎でしゃくった。


「狼に襲われたとはいえ、年若い娘が傷を作るもんじゃないぞ」


 セスナおじいさんは手馴れた様子で次々に薬を塗って包帯を巻きなおしてくれる。私はとにかく背中が気になって仕方ない。ある程度全ての傷口に包帯を巻き直したあたりで、セスナおじいさんはそれにしても、と不思議そうに口を開いた。


「お前さんは腕やら足やら、全身のほとんどが傷だらけじゃったのに、なぜか背中には傷一つなかったんじゃよなぁ……」

「え?」


 まさかセスナおじいさんの方から背中の話題を出すなんて。私の鼓動が早くなる。


「あぁ、これがもう見事に。背中だけは傷一つない、真っ白で綺麗な状態じゃった」

「真っ白……?」


 どういう……ことだろう。私は眉根を寄せた。そんな私の顔を見て、セスナおじいさんは何か勘違いしたのか、むっと顔をしかめた。


「別に変な意味でいっちょらんぞ。傷もないし、お前さんは刺青もなかったからな」

「え、あの、本当に背中に何もありませんでした?」

「あぁ、本当だとも」


 おかしい。それはそれでおかしい。私は益々ワケが分からなくなった。だって、だって私の背中には――。

 私は慌てて我に帰る。ここでウダウダ考えても仕方ない。


 ――でも、もしかして……。


「あの、セスナ、さん……私の魔力って安定してませんか?」

「ん? あぁ、そのことなんじゃが……お前さん、元々魔力が少ない方じゃろ?」

「はい。前に検査してもらったとき、平均以下だって言われました」


 この世界ロディーラでは、魔法は当たり前。人間はみんな魔力を持っていて、それを使って魔法を作り出す。でも中には私みたいに生まれつき魔力が少ない人もいる。


「そう、それに加えて今回の事でお前さんの魔力は相当弱っちょる。つまり、お前さんが普段使えていた魔法も使えない状態というわけじゃ」

「そんなに、私の魔力は弱くなってるんですか?」

「検査するのも大変なぐらいじゃったよ。検査機も魔力状態を示す部分は危険信号の赤にすらなるかならないかのレベルじゃったし」

「じゃぁ、数値もほとんどゼロに近かったってことですよね……」

「そうじゃ。じゃからお前さん、本当に無理はするな」


 セスナおじいさんの言葉は、なんだか私がしようとしている事を警告しているように聞こえる。でもたしかに、私がよっぽどの達人でもなければ、ここから逃げることはできないということだ。


 ――ほぼゼロの魔力じゃ、姿くらましの魔法も使えないし……。


 自分でも、なんとなく分かっていた。普段感じている自分の魔力が、本当にかすかにしか感じられないことも。


「お前さんはとにかく体を心配するんじゃぞ。もうすぐ晩飯じゃ。それ食ったら薬を飲んで寝ろ」

「……はい」


 私はただセスナおじいさんの言葉に頷くしかできなかった。

 すると突然、医務室の外がうるさくなった。セスナおじいさんは「なんじゃなんじゃ」と言いながら医務室から出て行ってしまった。


 ――い、一体なにが起きたんだろう……!?


 たぶん人の足音だ。それもかなりの人数が、走っている。男の人の怒鳴り声も聞こえてきた。


「すまんな。騎士団ではよくある緊急招集じゃ。じゃが、今のはちょっと妙じゃったな……」


 戻ってきたセスナおじいさんは、真っ白なあご髭をなでつけながら難しい顔をしている。


「何が妙なんです?」

「……お前さんはブラドワール出身じゃから知らんかもしれんが、このナルダンっちゅー国は特に沿岸部で魔物が頻繁に出没するんじゃよ」

「魔物が、ですか?」


 魔物は主にマヨクワードゥという国に生息している、というよりも、その魔物の国に隔離されている。地理的にこのナルダンはマヨクワードゥに最も近い。


「そう、魔物が。じゃが、普段は東側の沿岸部や、この首都ルゾーに現れても、それも主に東の町なんじゃ」

「たしかに、ナルダンにくるには海を渡ってくるしかないから、東側に現れますよね……」

「じゃが、さっきのは違ったんじゃ。ここから北西にある森に、魔物が出没したらしいんじゃ」

「それは確かに変ですね……」


 その時、私は何か嫌な予感を感じた。徐々に徐々に、こちらに嫌なものが迫ってきているような、そんな予感。


 ――何も悪いこと、起きなければいいけど……。


 それから一時間後、私たちも夕食を食べ、セスナさんは少し書類の仕事をこなしてから、自分の部屋へと帰っていった。

 私は一人医務室のベッドに横になりながら明日のことを考えていた。


 ――事情聴取って、なに聞かれるんだろう……。やっぱり、まずは森にいた理由だろうけど……。


 今ナルダンとブラドワールは二十年前の戦争の講和条約で、少しどころか、かなり揉めている。私の祖国ブラドワールは資源豊かなロレーダという地域をナルダンに割譲することになった。正直、二十年前の戦争はまだ私は生まれていなかったし、実のところよく知らない。ただお父さんから聞いた話では、実際戦争は膠着状態になってしまって、勝敗はついていなかったらしい。その後隣国ナールの仲介で休戦になり、最近になってやっと講和条約が結ばれた。

 そして先日割譲されたばかりで緊張状態にあるロレーダの近くの森で、私みたいな小娘が、狼に襲われるという珍事件発生。


 ――ダメだ、なんか嫌なイメージしかわかない……。


 下手なウソは吐けないし、吐く気もないけれど、でもここに長居はしたくないからどうにかして納得してもらわなければならない。


 ――なるようになる、かなぁ……。


 もう眠くなってきた。体を動かしてなくても、人って眠くなれるって実感してしまう。私は窓から見える満月をぼんやりと見つめながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。


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