第一話:雨
今日僕は大切な人を失いました
中3の初夏、梅雨の時期、紫陽花の中で君は眠っていた。死に化粧が傷を隠しているけれど、痛々しい傷は眠る君にふさわしくない、と僕は思った。
二度と、その目を開くことはない。
二度と、優しい声で、僕を呼ぶ事はない。
できるなら、もう一度笑って欲しかった。
最期に見た君は、この空みたいに泣いていたから。
6月23日近所の霊園に花をたむけに向かう
足取りは重い
もうあれから三年が経つ。高校卒業後、大学に進学した僕は未だに君のことを忘れられない。
まだ十四歳だった(僕は十五歳だったが)。
付き合って半年、君が壊れたあの日から、僕の中の時計は時を刻んではいない。
中2の秋、僕らは何て事はない、普通のカップルだった。彼女から好きだと言って来て、僕も意識していたから付き合い始めた。
半年で悲しい終りを告げるなんて、夢にも思わなかった。
付き合って五ヶ月
交通事故があった。
被害者は彼女だった。
幸い命には別状はなかったが、現実は冷たかった。
彼女が奪われたモノは
スベテノキオク
駆け付けた僕を向かえたのは悲しい現実だった。
泣き崩れる両親を横目に彼女は困った顔をしていた。
「央」
彼女の名前を呼んだが、反応はなかった。
代わりに彼女の母が僕を見て更に目に涙を溜めた。
やっと僕の存在に気付いた央は
「どなたですか?」
とやんわり聞いてきた。
やんわりした聞方が、逆に僕の心をえぐるような気がした。
「…紫堂…夏芽…(しどうなつめ)」
慌てないで、自分の名を名乗ってみた。何かを期待して。
でもその期待は脆くも崩れ去った。
「…」
央は困ったように首を傾げて、ごめんなさい、私分かりません、と呟いた。
ショックで暫くなにも言えなかった。
病室をでて、央のお母さんが央の状態について話してくれた。
「事故のショックで自分に関わった人の記憶が全部無くなってしまって…家族のことも、あなたのことも、みんなみんな…もうわからないの」
病院を出て、止む気配のない6月の雨に打たれながら、銀色の空を見ていた。もう泣いているのか、雨なのか、分からないぐらい、全部全部ぐちゃぐちゃだった。
歪む視界の中で、楽しかった思い出がうかんできた。
付き合い始めて、一緒にいる時間が増えて、相手を知る度好きになった。何気無い仕草とか、口癖、なおならないとボヤキながら、ストローを噛んでしまう癖とか…
死んでないんだ、いい聞かせたが、あまり効果はない。央は央でなくなった。
昨日までの彼女は死んだようなものだと、そういう悲観的な自分もいる。
思い出せるように手伝うくらいしか、出来ることはなかった。
それから毎日病院に通って、可能な限り一緒にいるように努めた。
初めは、日に日に笑うようになっていった気がした。でも、暫くしたら、時折寂しげな顔をするようになった。
「ごめんなさい」
そればっかり言う様になって、塞ぎ込み始めた。
謝ってほしいわけじゃないのに、謝らせてばかりだった。
「気にしなくていい。何か思い出せるようになった?」
「…ごめんなさい…」
「謝らなくていいから。しょうがないだろ」
「…なにも…思い出せないんです…」
「今はそれでもいいから、時間かけてでも思い出せるようになればいいだろ」
「…これからさきだって、私には見えない」
「…?」
「あなたは自由に生きて、未来もちゃんとあるけど、私は記憶がなくなって、フラフラしたら危ないからって病院に閉じ込められて、明日さえ見えないのに…」
それだけいうと、うつ向いて泣き始めてしまった。
明日さえ見えない
強い、何らかの衝撃を受けた気がした。