謀略
彼らと別れ、日本から十時間以上かけて協会本部に到着した。
戦地で孤児となっていたところを協会に拾われた私は、少しの間は協会の孤児院で育てられ物心がついた頃には日本に住みこの地を踏むのは約十年ぶりになる。
本部の正面には幅二百四十メートルもある巨大な楕円形の広場があり、広場を取り囲んでいるのは四列に並べられたドーリア式円柱による列柱廊で、合計三百七十二本の石柱があり回廊上部の柱の上には百四十体もの聖人像が広場を見守るように立ち並んでいる。
聖人像に囲まれた広場の中央にはローマ帝国時代にエジプトから運ばれた高さ二十メートル以上のオベリスクが立つ。このオベリスクは天から降り注ぐ神力を集める空中線のような役割を果し、この広場は常に高濃度の神力に満たされている。
建物自体が芸術品といっても過言ではない白を基調とした大聖堂。
正面には大階段、外側に四本の角柱、中心部から八本の円柱、そして九つのバルコニーがある。
入り口には二人の騎士が門番として立っており五つの扉が並ぶ。
【死の扉】【善と悪の扉】【青銅の扉】【秘蹟の扉】【聖なる扉】と言われている。
内部は奥行き二百メートル以上の身廊を備える古典的なラテン十字形をしており、宇宙を象徴する完全な半球ドームの天井は高さ四十メートル、回廊の幅五十八メートル、うす暗い聖堂内の柱や壁には多くの彫刻や絵画で飾られ、身廊を進んだ主祭壇の最後部の後陣に玉座の祭壇があり、祭壇の中央上部には聖霊の鳩が描かれた黄金に煌めく楕円形のステンドグラス、その窓を金色に輝く大勢の天使たちの像が囲んでいる。
──私がまだ協会と関わりが無い頃。
故国は実質的に行政機能が働いていないために社会秩序が保たれていない状態だった。
当時は二つの派閥があり、一つは国に失望し武力で国を動かそうとする過激派、もう一つが争いを望まず平和な道で解決を望む穏健派で、私たちが住む町は穏健派の集まりだった。
内戦が頻発し紛争地帯は広がる一方で、当時住んでいた非戦闘地域も安全とは言えない場所になっていた。
ある日、恐れていた事態が起こった。
ついにこの地域にも爆撃が開始されたのだ。
後戻りの出来ない所まで来てしまった過激派は一般市民を巻き込み、脅迫に近い行為で国を揺さぶろうとした。それに利用されたのが町で一番大きな病院で、そこにいた人々は建物ごと犠牲になったという。
話は伝言式に私たち家族の元にも知れ渡り、一家三人は故郷を捨てる決意をし、荷物をまとめ早々に車で出発した。
しかし他の避難民も多くなかなか思うように離脱出来ずにいた。
焦りと不安が恐怖を生み、両親も冷静を装いきれない状態だったのを子供ながら感じ取っていた。
そして必然的に起こってしまった。
大勢の避難群集を狙った、過激派による無差別な爆撃。
それは私たちの乗った車の目と鼻の先で起こり、目の前には焼けた車、吹き飛んだ肉片、泣き喚く子供、五体満足でなくなった人々、眼前に広がる光景は地獄だった。
道は依然、状況は変わりながらも残骸で車の進める状況ではなく、仕方なく私たちは車を捨て徒歩でこの場から離れることを優先した。
他の生存者たちも同じ考えだった。人々は安全と思われるであろう方向に駆け足で進む。
そんな時、群集の前の方から銃声が聞こえた。
一発ではない、マシンガンのような連続音が数秒おきに聞こえ、前方の人間から倒れていく。
行く手には過激派の武装集団が数人いたのだ。
人々は次々に射殺されていった。前の人々がドミノのように倒れていく。一分も経たず前方は死体の山と化した。
両親は前方に背を向け、母が私を抱きしめ、その上を覆うように父が背を向け、容赦ない銃弾は二人の命をあっけなく奪った。
大半の人々が倒れた後、奴らは私の所へ近づいてくる。父と母の亡骸が盾になっている限り私を殺せないと判断し近距離で射殺するつもりだ。
武装集団の一人が死体の山をゴミのように何の躊躇も無く踏み歩いてくる。
銃声がなった。前方の武装集団からではなく、後方からだった。無数の銃声と共に武装集団は駆逐されていく。
圧倒的戦力で敵を制圧したのが今のインベリス協会だった。
当時から協会は独自の正義のためこうした戦乱の中に介入し過激派の鎮圧を行ってきた。
そういった状況で協会の戦闘部隊、第一師団を指揮するのは師団長サルヴァトーレ・マリウス。
年齢は当時三十前後、茶髪をオールバックにしており、現在も師団長の座にいる。
彼が指揮する部隊が敗北した事は今まで一度もない。そのマネジメント能力の高さと戦果から世間からは軍神と蔑まれるほどだった。
私たちが逃げてすぐ、後方にある町の中心部は武装集団の主力部隊に占領されていたらしく、その主力部隊を駆逐した後、ここまで加勢に来たのだった。
その後、一時的に協会に保護されていた私に行く当てがない事がわかるとサルヴァトーレ・マリウスから誘いの声がかかった。
『世界には今も君のような境遇にある人々が救いを待っている。いや、救いすら忘れてしまった人もいるだろう。理不尽に淘汰される彼らを救いたいと君が望むなら、いつでも我々の元へ来るがいい』と。
罪源の核が破壊された件の重要参考人としてここへ来た、というのは表向きの名目。気づかれないように協会の真実を探らなければ。私が信じるべき正義を確かめるためにも。
それにイリス様のあの力、あれは間違いなく神力だった。それも桁違いに高濃度の。
「お、フローラか?」
後ろから聞き覚えのある雄雄しい中年男性の声が聞こえる。振り返ると、私がまだ孤児院で面倒を見られていた頃の知人が目に入る。彼の名はルーカス・ベルガー。二メートル近い身長と筋肉で覆われた巨体。顎鬚を生やし戦士と呼ぶに相応しい風貌。あの内戦にも参加し、主力部隊の殲滅任務に就いていた一人だ。
「やっぱりフローラか! すっかりべっぴんさんになったなぁ」
変わらない。無駄に大げさで、反応に困る。でも、悪い気のするものではなかった。
「ご無沙汰しておりましたおじ様」
「お前さんは確かニッポンとかいう国の支部に配属されたはずだがこんな所にどうしたんだ?」
「実は罪源の核について────」
過去の記憶から私は彼を信頼し、おおまかな流れを説明した。
「おおう、上の連中が騒いでるアレか! まさかお前さんが。大物になったなーガハハ」
「はい、その件で気になることも多々ありまして。協会について何か気になる事をご存知ありませんか?」
「うーむそうだなぁ。俺はそういうのには疎いからなぁ。そういえば半年前に妙な話をしていた団員がいたなぁ」
「妙な話? ですか」
「うむ。お前さんも知っての通り協会は秩序を守り、神の意思を尊重する団体。表向きには社会福祉団体を名乗ってはいるがな。そこで戦いに備えて異能者の育成も行っているだろう? その中で神眼に長けた奴が言ってたんだよ。『教皇の背中に一瞬羽が見えた。真っ黒い羽だった』ってな。見間違いなんじゃねーのか? って言ったんだが未熟でも神眼は真実を捉えるって自負しててな」
教皇に黒い羽。そんな話は前例がなく、十分な手がかりと言える。
「まーだからと言って教皇が何かしてるわけでもなく、現在も立派に責務を果してるし気にすることはないと思うけどな」
確かに使徒様の降臨を知らない者ならそう考えるでしょう、しかし彼らの意思は食い違ってる。
「さっそくで申し訳ないのですが私は用事があるのでこれで失礼します」
「ん、そうか。何か困った事があったら俺を頼るといい」
彼はそう言いながら満面の笑みを浮かべていた。
スケジュールによれば教皇は地方の演説で本部にはいない。調べるには今しかなかった。
この大聖堂の地下には過去の教皇たちが眠っていることは周知の事実、しかし、噂では地下にはさらに地下へ続く通路があるという。
懐中電灯を手にまずは地下墓所から調べた。地下墓所はトンネルのような構造で天井は低く手を伸ばしながら跳ねれば手がつく程度、室内は照明で明るく手前から順々に調べていく。
とある石棺に近づいたとき彼女にもらった腕輪が違和感を与える。それは意思を持ちまるで私に何かを伝えたいと思わせるような感覚。
過去の教皇の石棺をいじるわけには……しかし腕輪は何かを捉えている……私は恐る恐る石棺の蓋をずらした。
私は愕然とした。棺の中にはあるはずの遺体がない。それどころか埋葬された形跡もない。それは最初からここに遺体なんて安置されていなかった事を物語っていた。
石棺の中には地下への階段があり、噂の地下はこのような形で実在した。
懐中電灯を手にその階段を降りると、その階段は螺旋階段に続いており底は見えない。土臭い空間に外気とは異なる冷たい空気。内部はとても暗く、懐中電灯の明かりがやけに眩しい。
少し進んだところで一瞬壁にあたった光が白いものを映した。気になり光をそちらにもう一度向けた。
「っは……!」
声にならない声が思わず漏れた。
その白いものは骨、紛れもない人骨だった。
螺旋階段の壁から露出している人骨は壁の至る所に埋まっている。
それはカタコンベと言われる共同墓地だった。
おそらくこれらは教皇の遺骨ではない、位の高い者が共同墓地に葬られるとは考え難いからだ。
しかし協会本部の地下に共同墓地があるなんて聞いたことがないし、存在する理由も見当がつかない。
異様な空間に怯えながらも私は最深部を目指すと、数メートル先に地面が見える。
カタコンベの入り口から下へ十メートル程度のところでこの空間は終わりを見せた。
最深部にはとても簡素な作りの墓石があった。かなり古いのか刻まれた文字がかすれている。
名前はなんとか読み取れそうだった。
『Li』……『li』……『th』……そこには『リリス』と刻まれていた。
歴代教皇の中には聞き覚えのない名前で、今回の件とは関係ないと判断した私はここを後にした。
隠された地下室を見つけても本件の事でなければ意味が無い。高いリスクは覚悟の上で教皇の書斎へ向かう。
ガチャガチャ……。扉には鍵が掛かっている。
当然想定はしており、壊せば入れる、しかし出来るだけ穏便に済ませたい。
ドアノブに触れながら考えていると鍵が開いたような音がした。念のためにドアを開けると解錠されていた。
以前彼らは図書館の鍵を易々と突破していた事を思い返すと、この腕輪の能力には察しがつく。
教皇の書斎に入ると、広くは無い部屋に魔道書や魔術道具があちこちに置かれている。
机には組織を管理する上で必要な書類やらが積まれている。
変わったところは特にない。
すると腕輪が何かに反応するかのように腕に違和感を与える。
腕輪の反応が強い方へ向かうとそこには石のブロックを積まれた古風な壁がある。
よく見るとブロックの一つだけ若干色が違うことに気づく。
なんとなく触れてみると、ズズッとブロックが壁に入る。
力を込めるとさらに奥へ入り込みそれに連動するように壁が開いた。
部屋にあったランプを手に壁の中の通路を進む。石造りの通路は空気が冷たい。
……クシャ。
何かを踏んだような感覚、足元を見ると羽が一枚。おじ様の話が脳裏を過ぎる。
さらに進むとそこには簡素な扉がある。
未知なる先への恐怖心に耐えながら私は扉を開けた。
「……っな?!」
立派な装飾の施されたローブを着た遺体がそこにはあった。
長い顎鬚を生やし、白く染まった髪が彼の歩んだ人生の長さを物語る。
死後半年以上、白骨化している。胸には大きな穴がぽっかりと開いている。槍で刺された程度ではここまでにはならない。
教皇の手を見ると羽を握っている。しかしこちらが偽者で、本人が生きているという可能性も否定できない。
長居は間違いなく危険。そう直感した私は地下への通路を閉じ、部屋のドアを閉めた。ドアノブに触れながら念じると、再びドアをロックできた。
立ち去ろうとしたとき後ろから声がかかり、私は振り向いた。
「何をしているのかね?」
そんな……教皇……。
立派な装飾を施されたローブを身に纏う老人、使徒から告げられる神の意思を我々や世間の人々に伝える代弁者で、表向きには最高指導者と知られる。
未知なるものへの恐怖が心を侵食していく。なんとかこの場は納めなければ。
「私は楔破壊の件で重要参考人として日本よりやってまいりました」
「おお。ワシも待っておったよ。是非話を聞かせておくれ」
動揺を悟られぬよう緊張を隠し、真実を話した。私の気持ちは別にして。彼に嘘は通じないと直感したからだ。
「つまり神の使者を名乗る者と人間が、君の制止を振り切り破壊したという事か」
何か考え込んでいるようだ。
「君には新たなシメイを与えよう。君はその二人と面識があり、なおかつ彼らに危害を加えられる可能性が低い。日本へ戻り、警戒される前に彼らを処分しなさい」
賢明な判断じゃない。原則として使徒の疑いがある者を発見した場合にはそれを保護しなくてはならない。神の使者の可能性がありながら処分など正気ではない。
「承知いたしました」
見えない圧力がそこにはあり、拒否権はなかった。この異様な状況を不審に思う団員はおそらくまだいない。おじ様に相談すれば彼まで危険にさらしてしまう。今私に許された行動は、指示通りに日本で向かう事だけだった。
私は真実を知るためにここへ来た。なのに我が身可愛さに彼女たちを利用し、教会にも刺客として利用されようとしている。
今日まで協会は私の正義だった。あの時私を救ってくれた協会だけが。でも今は……何が正しいのかもわからない……。
そう思いながらも私に向かうあてなどもなく、日本に戻った私は彼らの家の前で動けずにいた。