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後悔


 ────イリスと出会う前。


 僕には恋人がいた。厳密に言えば恋人になるはずだった彼女の名前は桜樹歩香さくらぎほのか

 近所の高校に通う店の常連だった。最初はただのお客でしかなかったが会話をするうちに親しくなっていった。

 だからと言って特別親密になる事もしなければそのつもりもなかった。引け目を感じていたんだ。まだ学生で今も未来も輝いている彼女と特に夢もなく日々を浪費する僕が釣り合うはずがないと。

 そんなある日、情けない話だが彼女の方からプロポーズを受けた。それは素直に嬉しい話だったし、その気持ちは伝えた。

 だけどすぐに返事は出来なかった。

 数日後、彼女を買い物に誘った。そこで返事をするつもりだった。

 人通りの多い町を二人で歩き、どこか落ち着いた店に入ったら、そう考えていた。

 だけどあの事件が起こってしまった。

 白昼の無差別殺傷事件。死者十名、負傷者十八名の過去最悪の通り魔事件。僕らはあの現場にいたんだ。

 それは何の前触れもなく起こった。最初は後ろの方が騒がしいと思った。その異変に気づき振り返ると急に彼女が僕を突き飛ばした。

 僕は地面に尻餅をつき、何かと思い正面を見ると彼女の身体はトラックに撥ねられ宙を舞っていた。

 彼女だけではなく他に何人も跳ねられたようだったが、僕はかまわず彼女に近づき抱き上げたが彼女よりも先に僕が彼女の存命を諦めずにはいられなかった。

 歩香には既に下半身がなかった。だけど彼女はまだ生きている。そんな彼女を安心させてやる事も出来ずに、現状に恐怖した表情しか見せてやれない。

 懸命に冷静を装う努力をしながら僕は今しかないと思い彼女に告白しようと決めた。だけど口が思うように動かない。

「ぼ、僕は、今日は、君に、その」

 情けない僕の口に人差し指を当てて微笑むとそのまま目を開ける事はなかった。

 

 犯人はその場からトラックで逃亡。現場が歩行者天国であった事から殺人目的なのは明白だった。

 報道によると犯人の名前は深見圭介ふかみけいすけ。男。三十代。顔写真付きで指名手配された。

 その日から何事にも無気力になり、店は休業、食欲もなくずっと家に引きこもっていた。あの日、彼女を誘わなければ、あるいは僕の方が先に後方の異変に気づいていれば、そもそも最初に返事をしておけば、考えれば考えるほど後悔しかない。

 事件後すぐに彼女の両親にも謝罪しに行ったが火に油を注ぐようなものだった。当然だ。犯人は見つからず、間接的に彼女を殺した僕に矛先を向ける理由は十分だったはずだ。

 数週間後、郵便受けに不思議な手紙が届いていた。赤い封蝋の施された手紙。封筒には何も書かれていない。

 気になり僕はすぐに開封した。


賎劣せんれつな巡り合わせが二人をわかつ。渇望かつぼうせよ。なんじ甘き死も拒み、来たれ』

 

 異色な内容は僕を惹きつけた。だがそれでもない何かがこの手紙にはあった。

 手紙には住所も書いてあり、好奇心でも知識欲でもないものに駆られ日が落ちかけているにも拘らずその日のうちに向かう事にした。

 

 辿りつくとゴシック様式の小さな建物があり、店名は【禁断の果実】

 変な店だと思いながら中に入ると店内も変わっていた。西洋の人形を数体並べているのだが、人間の少女と大差ないほど大きな人形だ。素人が感じる人形独特の気持ち悪さはなくどれも可愛く見えた。

 店内を見渡すと客は一人も居らず椅子に座りながら本を読む一人の男性が目に入った。

 二十台後半ぐらいに見える美形の男。くせの無い長い黒髪は肩よりも長く、一本に束ねて肩に掛けているがそれでも前髪が顔にかかっている。

「これはあんたが?」

 例の手紙を見せ、そう言った。

「あぁそうさ。逢えて嬉しいよ」

 落ち着いた雰囲気を纏ったゆっくりとした口調。表情、態度から、これが大人の余裕なのだろうかと思った。

 こちらが事情を何一つ話していないにも関わらず、彼は淡々とあの事件を話題に出した。

「あれはひどい事件だったね。まずはそこの本棚にある、上から二段目の左から三番目の本を取ってくれるかい。話はそれからだ」

 男は大きな本棚を見ずにそう言うと、再びうつむき本を読み始めてしまった。

 彼のペースに乗せられ本を取ると表紙には【堕落】と書かれている。

「それを読んで見るといい。なぁに、時間はたっぷりあるさ」

 正直、本なんてどうでもいいと思えた。だけどこの時間を取り巻く全ての事象は完全に僕を飲み込んでいた。

 内容は人外じんがいについて書かれており、この本で初めてその存在を知った。とても非日常的でありながらこの本の内容を疑うという思想には行き着かなかった。

「こんなモノが何だと言うんだ」

「君と彼女から全てを奪った堕落者を許していいのかい?」

「あの事件の犯人は魂のない殺人鬼だとでも言うのか? バカな。そんなオカルト」

 感情を露にし、非現実的な話を否定している僕の耳に聞き流せないフレーズが届く。

「私は彼女を救う方法を知っている」

 その言葉に僕は動きを止めた。

 オカルトなんて信じない。だが行き詰った人間というのは何にでもすがってしまう、そんな哀れな性質を持っている。

 男はゆっくりと立ち上がり、片手をポケットに入れながら本棚に向かう。そこから無造作に一冊の本を取り出しそれを手渡した。

 タイトルには【魔弾の射手】と書かれている。

「その本には呪文が刻印され、一般人でも異能を得る事が出来る。法に触れる事も無ければ死体も残さない。人外を容易に葬れる力だ」

「つまりその異能で仇を討てと、そういう話か」

 本当にこれが彼女を救うという事なのだろうかと考えている最中にも男の言葉は僕の心を揺さぶっていく。

「君には素質がある。代償に君の寿命は三年に縮むが、選ぶのは君だ。熟読し最後のページにある魔方陣に君の血を一滴たらせば契約は完了する」

 魔弾には制約が存在する。

 Ⅰ、弾数は最大で六発。

 Ⅱ、弾は必ず標的に命中する。

 Ⅲ、物理で防ぐ事は不可。

 Ⅳ、弾の補充は初弾を使用してから、十二時間おきに自動で装填される。

 Ⅴ、契約すれば三年後に死ぬ。三年以内に新たな契約者を見つけ契約させれば死を回避できる。その場合、前の契約者から能力は奪われ、再度契約することも不可。

 ──そして、契約者は名を失う。


 本を読むと心の奥底から復讐心が湧き上がり、絶望に染まった心を熱く滾らせてくれる。だが。

「犯人は許せない。だが一つだけ頼みがある」

 男は小さな笑みを漏らした。

「聞かせてくれるかい」

「確信が欲しい。その力が実在する確信を」

「そうだね、わかった。それなら心配いらないよ。魔弾の現所有者は私なんだ」

 この男の本当の狙いは代償を肩代わりする生贄なんじゃないだろうか。そう察するのは容易だが、現物を見てから判断しても遅くは無いだろう。

 彼はドアに閉店の札を掛けた。


 男の車で近場で最も広い公園に向かう。数分で目的地に到着すると夜が近いという事もありそこまで賑わっていない。

「公園に落ちてる適当なゴミを、適当な場所に置いてくれるかい。私がそれを打ち落とす。君が選び、君が設置したモノなら小細工は出来ないだろう?」

「そういう事か。てっきり人でも撃ち殺すのかと思ったよ」

 予想していたよりも地味な方法に、若干の心のゆとりが出来たせいか、思わず冗談まじりにそう口走る。数分後に何が起こるかも知らずに。

「まさか。私は平和主義者なんだ」

 適当に空き缶を拾い、風で倒れないよう砂を詰め遊具の上に置いた。男の元へ戻る。空き缶との距離は百メートル。

「周りに人はいない、始めようか」

 公園の外灯が明かりをともし始め、昼間とは真逆な寂しい姿を現す。

 男は銃を取り出し、正面に銃口を向けるのかと思いきや真横の向けた。

「何をしている」

「いいかい、魔弾は必ず命中する。軌道は変わるが銃口がどこを向いていようが関係ない」

 男が引き金を引くと蒸気のような煙を噴出し弾丸は真横に放たれた。ほんの数秒の後、正面にある空き缶が軽い音と共に宙を舞った。

 正直信じられなかった。だが的を仕込んだのは僕自身だ。単純ゆえにトリックが仕掛けられたとも思えない。


 そんな思いが思考を埋め尽くしていると、男の言葉に意識を現実へ戻される。

「おっと、丁度いい所にお客様だ」

 彼の視線の先にはゴミ箱をあさるホームレスと思われる男性がいる。相手はこちらに気づかないほど遠い。

「あの男をよく見るんだ。【堕落】を読んだ君になら見えるはずだ」

 一体なんの事だか理解は出来なかったが目を凝らしてその男を観察する。

「……なんなんだ、あれ…………」

 男の背後から赤いもや状のモノが現れている。その靄の中には今にも断末魔が聞こえてきそうな悲痛に歪む人間の顔と上半身。まるで霊魂を具現化したかのような容姿だ。

「見えるだろう。あれは人外に殺された人間の魂さ。奴らは失った魂を求め他人の魂を奪う。だけどそんな事をしても失った魂を得る事なんて出来ないのさ」

 話が事実ならあの男は……。

「ここまで言えば理解してくれたかな? 彼は人外だよ」

 彼は銃口をその男に向けた。これから行われるであろう行為に動揺を隠せず、それに対してもはや我慢ならなかった。相変わらず標的はこちらに気づいていない。

「お、おい、人を殺さない平和主義者だって」

「その通り。だから殺すんだ。平和のためにあの化け物をね」

「っまて……!」

 蒸気と共に放たれる魔弾。必ず当たる弾丸は、男を射抜きその死体も焼き尽くした。とてもあっけない出来事だった。

「気に病む事はない。あの男は人ではなくなった、ただの人殺しさ。思い出すんだ、君が彼らに受けた苦痛を。彼女が辿った末路を」

 人の道を踏み外している。僕が生きるこの世界には法律があり、刑務所があり、罪人は法によって裁かれる。僕が片足を踏み入れたこの世界は、死神の世界に等しい。でも──。

 不幸な結末だとしても、罪人を裁く事は出来る。僕にはそれしかないんだ。堕ちてやるよ、どこまでも。魂亡きお前たちと一緒に。

 もはや断る理由はなかった。この世に未練があるわけでもなく、復讐を果せるのなら。それに三年の有余がある。


「どうして他人にここまで世話を焼くんだ」

 男の行動原理が全くわからなかった。彼に利益はあるのか、目的は、義理もないはずだ。この男も心に憎悪を抱いているのか。

「この世は不条理に満ちている。私は少しでもこの不条理を正したいだけさ」

 その言葉に驚いた。予測すらしていなかった。この男を動かすものは正義感だというのだから。

 男の話によれば人外に囚われた魂を救う術は存在しない。この魔弾で人外を射た場合、捕らえられていたその魂までも消滅する。それでも奴らを葬らなければいけない。被害者を最小限に抑えるためには。

「まぁいい……やってやるよ。元凶は全て、根絶やしにしてやる」

 怒りと復讐心は減退した僕の活力を呼び戻すほどの影響力を持っていた。

 犯人を殺せるのなら男の理想は正直どうでもよかった。この日から人外を葬る日々が始まった。

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