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色欲

 

 小鳥の鳴き声に目を覚まし、重いまぶたで洗面所に向かい顔を洗う。

 鏡には目元まで延びた無造作な黒髪の僕が映る。左目は今のところなんの変化もない。いつも通りのワイシャツにジーパンという簡単な服装に、しぶしぶ眼帯を着用し僕の一日が始まった。

 居間に向かうとイリスはソファに座っている。

 程よい風がカーテンを揺らし、緑が生い茂った木々の隙間から漏れる光。

 彼女はなぜか僕のシャツを寝衣として利用しており、日光はシャツ一枚でソファに座る銀髪の少女を照らしていた。ぶかぶかで下半身まで覆っているからと言ってもズボンも履かないのは無防備すぎやしないだろうか……。

 神の使いには羞恥心がないのか、あるいは根本的に僕が眼中に存在していないのか、どちらにせよまずは朝食の支度だ。

「おはよう」

「……おはよ」

 こちらを向き、愛想の無い返事。僕を起こさないよう配慮してたのだろうか、彼女は音も出さずにニュース番組を見ていた。

『都内の公園で女性遺体が見つかった。近所に住む男性から人が死んでいると通報があった。駆けつけた警察官が現場でバラバラになった遺体を発見。年齢は四十代くらいで衣服は着ており、ほぼ即死だったという』

 この町ではないがそう遠くない。

 朝食の準備をしていると、キッチンにだらしない格好の少女がやってきた。手には雑誌を持っている。

 ──これは。


 この町には唯一、他国にも劣らないほどの巨大な図書館がある。

 文芸、人文、芸術、語学、法律、経営、理学、辞典、超常現象といった多彩な部門を網羅しており、あまりの広さで内部は本の迷宮と化し行方不明になった者さえいるという噂だ。

 噂止まりなのはこの図書館は一般の立ち入りが禁止されているからで、力を有したとある組織の管理下におかれている。

 その組織というのが”インベリス協会”だ。

【自由】【平等】【道徳】の三つを基本理念とし、現在の団員数は三百万人と推測され、あらゆる時代、国に存在し、信仰を守ってきたと言われるがその実体は不透明な部分が多く、時々ニュースやオカルト番組に名前が出てくる程度である。バラエティ番組では都市伝説として人をさらっていると言われた事もある。

 表向きには社会福祉団体を名乗ってはいるが、内戦などへの介入も行っており一部からは非難する声もあがる。しかしその権力と影響力は不動のモノで銃や刃物の所持が認められている。警察と異なる点は行政機関である前者に対しインベリス協会は独立した組織という点である。


 なのだが、

 あろうことかその組織が管理する図書館の前にいる。もちろんイリスのおかげだ。悪い意味で。

 横幅三十メートル、二階建ての建物は、円柱や角柱の柱が複数並び、ローマ遺跡を連想させる外観をしている。

 建物の周りは鉄製の高い柵で覆われ、入り口の門は施錠されているようだ。

『ここから異質な気配を感じる』

『何かがあることは間違いない』

 そう固守しながらこの建物を特集したオカルト雑誌をしつこく僕に見せるので仕方なく店を臨時休業にしてやってきた。


「さすがにここはもう少し後回しにしてもっと手ごろな所から探さないか」

「……却下」

 賢明な提案は一言で粉砕された。

「……私から離れないで」

 彼女はすたすたと歩き出し正門へ一直線。正面突破する気だ。

「もう少し人目を気にした方がいいんじゃ」

「……問題ない」

 図書館を覆っている柵の正門を押し開ける彼女。見る限り鍵はかかっていないらしい。

 そのまま建物の扉も開けてすんなりと侵入してしまう。無用心だと思いながらも彼女の後をついていく。

 無数にある窓のおかげで内部は明るく照明がなくとも問題は無い。

 一階と二階部分は吹き抜け構造になっており、一階から見上げると巨大な本の波に襲われるような錯覚に陥る。

 しかし本棚の配置は至って普通で迷い行方不明になるとは考えられない。迷うことなく進む彼女にただただついていく。

 しばらく歩くと扉があり、彼女はその前で立ち止まる。この奥が本命のようだ。

 僕が開けようとしたがさすがに鍵がかかっていた。

 彼女がドアノブに触れると、身に着けている腕輪が静かに発光し小さな音を立て解錠される。そこで理解できた。おそらく全ての扉には鍵がかかっていたんだと。少女の行く手をさえぎるものは何も無いようだ。


 扉を開けるとすぐに地下へ続く階段があり、下りきると一本の通路だけがあった。

 内部は薄暗く、明かりが少ない。そもそも光源が何かも解からない。壁という壁は本で埋まり、少し進むと道は無数に枝分かれし始め、フロアの全体像は把握できない。

 道幅は狭い箇所では両腕を広げれる程度、広い箇所では幅二メートルとバラバラだ。

 通路だけで構成されているわけではなく小さな部屋のような空間も数回確認した。

 道中、何度も人骨やミイラを確認し、中には骨が切断された遺体もあった。おそらくここで行方不明になった者達だろう。火のないところに煙は立たぬという事か。

 ハードカバーの怪しげな本がたくさん並び、歩きながらタイトルだけをチラチラと横目で見ていた。

 この中に一般公開できないような禁書などがあるのだろうか。

 そんな余所見をしながら進んでいると後ろから聞き覚えのない声がした。

「止まりなさい。何をしているんです」

 白を基調とし所々に金色のラインが入ったどこかの制服を思わせる様な服装、右腕だけに軽易な作りのガントレットを装着し、靴は布と金属が組み合わさった上品で耐久性に優れたプレートブーツ、ブロンドを白いリボンで結んだポニーテール、彼女の言動はおごそかで、凛々しい印象を受けたが顔はまだ幼い。

「その制服、お前はまさかインベリス協会の……」

「知っているのなら立場を弁えてください。私はインベリス協会のフローラ・アグリコラ。この建物一帯は協会によって監視され、地下への扉に関しては結界まで施されていたはず。こんな奥まで侵入するとは何者です」

 まずいんじゃないか。案の定協会の人間に見つかってしまったがどうする気だイリス。

 こちらの事情を知らない彼女は腰に帯刀した剣の柄に手をかざし、いつでもやれると体言している。

「聞いてくれ。僕らは争いに来たわけじゃない」

 咳払いをし冷静を装い演説を開始した。

「彼女は神の使者で、神の意思の元世界の浄化を行っている。そのためにはここを調査する必要があるんだ」

「そんな話を信じろと? 場合によっては神への冒涜ぼうとくとみなしますが」

「……既に使徒から罪源の核を壊すよう指示が出されているはず」

 先程まで黙っていたイリスが口を開くと、彼女は少し驚いた表情を見せた。

「なぜ罪源の事を……しかし協会からの指示は罪源の核を守護すること。これは教皇直々の命で彼のこれまでの功績を考慮すれば神の意思を隠ぺいすることなどあり得ない」

「……そんなはずはない」

 僕にはまったくわからない話だが二人の話が食い違ってる事はわかる。

「いいでしょう。では協会支部へ来ていただけますか? あなたが使徒様だと証明されればこちらも協力できます」

「……引き返すのは不可能」

「なぜです?」

「……ここは本の迷宮、一度入れば帰れない、そういう異空間」

「確かにそれだと内部の警護が不要なのも頷けますが……」

 イリスの話と状況から察するにここがただの迷路ではないのは明らかだった。しかしおそらく神の目とやらがあれば帰り道がわかるのだろう。

 彼女を大人しくさせるための作戦。敵を騙すにはまず味方から。人の心理を理解した上手いやり口だ。

「……ちなみに神の目に出口を見つける力はない」

 なん、だと……。

「なら現状を打破するにはどうすればいい」


 しばしの静寂の後、彼女の返答は別のモノを指していた。

「……来る」

 壁の方を向き右手を前へと伸ばし掌を広げるイリス。次の瞬間巨大な斧が壁ごと切り裂きこちらに振り下ろされ、ホコリと土煙が舞い状況を把握できない。目視できる斧の先端は、彼女の掌に受け止められている。まるで見えない盾がそこにあるかのように。

「その力……」

「……下がって」

 イリスは珍しく真剣な表情を見せ、僕らを退避させようとしている。

「どうなってんだ」

 ホコリと土煙の中から何かがルビー色に輝くと次は横にいた僕らを狙い壁ごと切り裂く。が、イリスはそれも防いだ。

「くそ、ここじゃ分が悪い。広い空間まで下がるぞ」


 状況はわからないがこの場が危険なのは明らかだった。襲い掛かる敵を視認できないまま僕らは広場まで後退した。

「さっきのは何なんだ」

「……この迷宮を作り出している者によって具現化させられた魔物」

「魔物? お前はそれを知っててここに入ってきたのか?」

「私が知るわけないでしょう。ここは協会の人間も立ち入りが禁止されている。私は結界が破られたのを知り駆けつけただけです」

「……あれは【迷宮の番人ミノタウロス】。外からじゃ確信には到らなかった。ここまできて確信できた。この異空間と罪源の核の関連性は否めない」

「当たりってわけか。それでどうするんだ。外には出れない、奥には化け物だ」

「……倒す。この部屋まで誘き出せれば叩ける。番人を排除しておけば最深部への到達は容易になる。そこにある核を壊せば迷宮からの脱出も可能」

「あなたたちは一体何を」

「わかった。お前はイリ、彼女の傍にいろ。おそらくこの迷宮で一番安全な場所だ。死にたくなければ従え」

 そう言い放ち彼女から離れ単独行動へ向かう。

 しぶしぶ従う彼女の表情は不満に満ち溢れていた。

「な……わかりました」

 ──選択の余地はなく一旦休戦状態となった。


 荷物を彼女たちに預けた僕は、単独で通路の入り口に立ち、銃を取り出す。

 イリスは広場に引っ張り出すだけでいいと言っていたがかまわない。ここで僕が射抜いてやる。

 イメージするのはあの赤い眼光。目標を意識し引き金を引く。

 通称魔弾。特筆すべきは外見ではなく能力にある。その一つとして弾丸は物理防御が不可能。そしてこいつの弾丸は必ず命中する。それは標的を遮る壁にも干渉される事はない。

 それを放つと数秒後に左の方で無機質な音が響き渡る。その音から察するに魔弾は弾かれていた。

 ……弾いただと?

 居場所を予測し番人に近いと思われる位置から同じ要領でもう一度放つとすぐに近距離から弾を弾く音が鳴る。すぐにイリスたちがいる方へ後退し様子を窺っていると直後に僕が直前まで立っていた場所は壁ごと切断された。

 クソ……。僕には倒せないと、そこまでわかっていたっていうのかよ、あいつは……。

 仕方なく当初の予定通りに広場に誘い出すことにした。

 番人を引き寄せながら後退し三発目の魔弾を放つと鉄と鉄がぶつかり合うような音が聞こえる。

 先程までいた空間の入り口が目に入り、その先に見えた彼女たちの元へ駆け寄ると、協会の彼女が駆け出す。

 ブロンドのポニーテールをなびかせながらこちらに向かって走りそのまま僕の横を通過したかと思うと真横から金属音が鳴り響く。

「っく! 死にたいのですか」

 彼女はダガーとサーベルで斧を受け止めていた。

 イリスたちが視界に入り警戒心が解けたその時、後ろから壁ごと薙ぎ払われる斬撃に僕は気づいていなかった。


 壁ごと切り裂いた土煙とホコリが晴れるとそいつは姿を現した。

 大きな二本の角を生やした牛の頭、ルビー色に輝く眼光、二足歩行で右手には巨大な片手斧を持ち、身の丈二メートルはある。

 一見無傷に見えるそいつがどうやって魔弾に対処したのかはわからなかった。

 彼女は受け止めていた斧を力強く弾き、即座に構え直すとその双剣で無慈悲な連続斬撃を繰り出す。一撃の威力は低いものの瞬く間に怪物の身体を傷だらけにしていく。

「これでっ!」

 容赦ない連撃からサーベルでの一撃に繋ぎ、放たれた突きは怪物の腹部を貫いた。

「……やった」

「まだだ!」

 殺意に満ちた瞳が怪しく光り、奴は腹に剣を突き刺したままフローラの首を掴み持ち上げる。

「うぐ……」

「化け物がっ!」

 四発目の魔弾をその左腕に放つ。魔弾は腕を貫通しその部位を中心に焼き千切っていく。腕は焼き切られ彼女は地面に倒れ込む。しかし腕の付け根で消滅は止まり致命傷には至らない。

「……鉄の処女アイアンメイデン

 イリスがそう呟くと左右の地面から聖母を模した像の半身が現れ二枚貝の如く怪物ごと閉じた。次の瞬間その中から悲痛の雄叫びが響き、まもなくして静かになった。

「終わった、のか?」

「……肯定。生命反応なし」


「大丈夫か」

 剣を地面に突き立て、それで上体を支えている彼女は健気にも心持ちだけは不屈だった。

「この程度……。心配される義理も、馴れ合うつもりもありません」

「そうか。だが義理ならある。さっきは救われたからな」

 彼女は少しよろめきながらも自力で立ち上がった。

「勘違いしないでいただきたい。協会の一員として人命の救助を優先しただけに過ぎない。しかし私もバカな事をした。不審者を助けてしまうとは。身に染み付いた正義感が仇となりました」

「お前の都合はどうだっていい」


 口では強気の彼女も、出られない迷宮と強力な魔物を目の当たりにして人間同士で対立するのは得策ではないと判断したのか、最深部を目指す僕らの後ろをついて来る。

 その先で円形の小さな空間に辿り着いた。

「イリス、この辺りに敵の気配は?」

「……今は感じられない」

「なら、ここで少し休憩にしよう」

 こんな所だからこそ提案し、イリスは頷いて同意した。

 探索を中断しその場に腰を下ろすと、後ろを歩いていた彼女はそわそわしだした。


 僕は持ってきたカバンからティーセットを取り出し準備を始めた。

「図書館は迷宮だと聞いていたからな。お前も食べればいい」

「私が不審者の食料を口にするとでも」

 皿が三段重ねになるティースタンドをセットし独特の風味が食欲をそそるライ麦パンのサンドイッチやスコーン、ジャムとクリームの器も乗せる。

 熱い紅茶を水筒からカップに注ぎ、消毒済みの手拭きを取り出す。

 案外腹が減っていたのだろうか、サンドイッチをじっと見ている。


 と、イリスに目を向けると既に食っていた。

「……いらないの?」

「まぁ彼女がそう言うのなら頂かないわけにはいきませんが」

 食べるための口実を見つけたように見えなくもない。

 さっきまでは皆探索に集中して話せる空気じゃなかったが今なら話せそうだ。

「お前は日本人ではないようだが、どうして日本に?」

「個人情報を聞き出してどう悪用する気です」

「それをどう悪用するんだ」

 彼女は軽くため息をついた。

「はぁ。まあいいでしょう。協会は世界中へ人員を派遣しています。私は孤児でしたので母国に執着する理由がなく、どこの国にいくにも支障はなかった」

「……そうか」

 三十分程度休み僕らはまた本の迷宮を進み始めた。本の表紙は見たことのない文字で表記され、かなり古い物のような気がする。多分原書って奴だろう。

 枝分かれした道が不規則に形を変え、もはやイリス以外に道を把握できる者は居なかった。

 厳密に言えば彼女も帰り道はわからず、ただ特異点に向かって歩いているだけに過ぎない。

 既に周りには本すら見当たらなくなっていた。

 羊皮紙やパピルスの巻物、石版や粘土板というモノに変わっている。

 数千単位で昔のものと思われる。かなり奥へ来たということだろうか。

 いつの間にか道が一本になり、しばらく進むと行き止まりが見え、巨大な二枚扉がそこにあった。

 状況や雰囲気から察するにここが最深部だろう。

「不気味なレリーフが刻まれていますね」

 大きな二枚扉には素人には理解できない彫刻が彫られていた。

「……罪源の核にはそれに準ずる守護者が存在する。この奥にいるのはおそらくアスモデウス」

「どんな奴なんだ」

「……そこまではわからない」

「仕方ない、開けるぞ」


 僕はゆっくりと重みのある扉を押し開けると、目の前には体育館ぐらいはあろうかというとても広い部屋が広がる。

 見上げるほど高い天井はアーチ状で、床は姿が映るほど磨かれた石のタイルがフロア全体を埋め尽くしている。

 壁際には一定の間隔で無数の柱が立ち並び、明かりは部屋中にある蝋燭の火のみ。薄暗いせいか実際より広く感じるかもしれない。

「……よく来たね」

 気品ある男性の声が聞こえてきた。

 声のする方に目をやると椅子があり座っている人影を確認できる。その奥にも扉があるようだ。

 イリスは表情一つ変えずに様子を見ている。

 フローラも冷静に相手から目を離さずにいた。

 彼はゆっくりと立ち上がり、ポケットに両手を入れたまま、コツ、コツと靴底を鳴らしながらお互いの顔が確認できる程度まで近づいてくる。

 貴族服に身を包み、首元にはジャボット(宝石で留められた襞のついた布飾り)を身につけ、赤黒い髪に手入れのされた顎鬚あごひげを生やした中年男性、足はすらりと長くスマートな体系。

「……アスモデウス」

 僕は畏怖の念を込めてそう言った。

「我が迷宮を突破しただけはあるようだ。私を知っていたか。望みはなんだね? 知恵か、富か、力か」

 しもじもを見下ろすかのような彼の目は金色に輝いている。

「どれでもない。神の意思の元、罪源の核を破壊しにきた」

「なるほど、神は相変わらず傲慢なようだ。世界の浄化、か。それは上手い事を言ったものだ。確かに浄化もされよう」

 何かを含むような彼の口ぶり。同じ高さの視線でありながら、本能が見下ろされていると感じていた。

「ここまで来た褒美に核の破壊を許そう。ただし条件がある。この変哲のない日々に退屈していたのだ。人の命が輝く刹那を私に魅せてはくれないか」

 彼の穏やかな表情が悪魔の微笑みに変わる。

 結局、戦いは避けられないという事か。

 僕が力んでいると隣から声がする。

「……わかった」

「イリス、どうする気だ」

「……二人は待ってて。私が相手をする」

「よせ、あんな化け物を従えてた奴を一人で相手にする気か」

 得策じゃない、いくら神の使いとはいえ彼女は女の子だ。

「面白い、かつては神に敗れたが、半神風情に劣る私ではないわ」

 僕はホルスターから銃を取り出し加勢に備えた、するとフローラが銃に手を添えて言った。

「ここは見守りましょう、先程の戦闘から察するに我々では足手まといになる可能性が高い」

 確かにあの番人を殺しきれなかった【魔弾】で加勢になるという保障もない。

 情けないが巻き込まれないように気を張るしかないのか。


「なるべくお前の仲間を巻き込まないよう配慮はするが、約束はできんぞ」

 彼が指を鳴らすと背後左右の空間に二つの赤い魔方陣が現れ、そこから牛と羊の頭蓋骨が顔を出す。

「……光神化セレスティアルフォーゼ

 イリスの背中から大きな翼が生えた。だけど僕らのイメージする翼ではなく、金属の様な、鉄の羽だった。

 赤、青、黄、三色の球体が彼女の周りを秒針の如く円を描きながら規則的に回っている。

 初めて見る姿に彼女も本気なのだと理解できた。

「どうして……これではまるで本当に……」

 何か独り言を喋りながら、フローラはレイピアを取り出した。きっさきを真上にし刀身を自身の額に向け目を瞑る。すると辺りに先ほどは感じられなかった風が吹く。

「防御結界を張ります。私から離れないでください」

 僕ら二人を囲う程度の大きな銀色の輪が頭上に現れる。

 輪にはびっしりと文字のようなものが刻印されておりそれが発光している。


 相変わらず手はポケットに入れたまま彼は余裕を見せていた。

「悪いがこちらからいかせてもらおう。ご馳走を目の前にして我慢できる獣がいると思うか」

 牛の頭骨の口が開き、赤い火炎を吹きイリスを直撃する。

 ……イリスっ!?

 彼女はかわす様子を見せず、右手を前へ向け掌を開く。白く輝く魔方陣が現れ盾の役割を果し炎をさえぎる。

「我が業火を堪能するがいい。これが堕落した罪人を焼く炎だ」


 三十秒も経たずに異変に気づく。魔方陣に亀裂が入ったと思うと一部は欠けて砕け散る。

 すると青い球体だけがその規則的な回転から逸脱し砕けかけた陣を青く染めた。

 青く輝く魔方陣は瞬時に炎ごと凍結させ、牛の頭骨は凍りついた。

「っく。我を愚弄しているのか神の使い。こんなもので……世界を焼き尽くす劫火を浴びてもか!」

 今度は羊の頭骨の口が開き、先ほどよりも強いであろう緑の火炎を噴出しイリスを襲う。


 球体の能力で緑炎を凍結させるが一瞬で溶けてしまい青い球体は電球が割れるように砕け散ってしまった。

 熱い、だいぶ離れているにも関わらず熱風がこちらまでくる。

 結界とやらが働いているのか、僕らの周囲を除いて付近の床は黒く焼け焦げている。


「……銀色の硬貨プラハ・グロシュ

 魔方陣が破壊される寸前、彼女が何かをつぶやくと地面から巨大な分厚い鉄の円盤の一部が露出し壁となり炎を防ぐ。それはレリーフが刻まれた神秘的な模様が施されている。

 先ほどより防御力が高いのだろうか、緑炎も防いでいる。

「そんな鉄塊ごときが」

 アスモデウスは両手をポケットから抜くと、掌から緑炎と共に横刃のついた巨大な槍を召喚し、彼の足元に魔方陣が出現したかと思うと予備動作なしにすごい加速でイリスへ急接近する。

 ……早い!

 槍を大きく振り下ろすと分厚い鉄の円盤は粘土のように切断される。

 それよりわずかに早く、彼女は翼で高く飛び上がると黄色の球体が彼女の背後で白く輝いた。まるで太陽を背に地上を見下ろす天使のようだ。

 その球体は輝きと共に無数の光の矢を地上に立つアスモデウスに浴びせる。

「っくだらん」


 それらをすべて槍で叩き落すアスモデウス、その動作により彼に隙が出来る。

「……牢獄の巨像ウィッカーマン

 地面より巨大な右腕のようなものが現われ、彼を捕まえる。生き物の腕には見えない、見た目からは鉄っぽい質感を思わせる。

「っぐは、なんだこれは」

 無機物のような右腕に掴まれながら、彼は手にした槍をイリスに投げつける。放たれた槍は緑炎をまといながら彼女に向かう。

「半神がぁ!」

 しかし地面から巨大な左腕が突き出しその槍を握り潰した。

「バカな……っ」

 動けない彼を見下ろしながら黄色い球体を左手に握ると、手の中から神々しい光の弓が生まれ即座に一本の光の矢放つ。

 光の矢は彼の左頬を掠め羊の頭蓋を砕いた。

 この時初めて、僕は彼女が神の使いだと理解したのかもしれない。

 彼女の力は僕の想像をはるかに超えていたんだ。

 イリスは最後の赤い球体を右手に乗せると、それは禍々まがまがしい赤黒い炎と電気を放電させる矢へと変わった。

 黒い炎をまとったやじりを依然身動きのとれないアスモデウスに向ける。

「……出来れば撃ちたくない。この矢は威力、ありすぎる」

 彼にはもう打つ手がないように見えた。

 目の前で繰り広げられる戦闘は人が干渉できるものではなかった。それは神々の戦い、そんな錯覚すら感じた。


「……フフ、フハハ」

 笑っている。まだ奥の手があるのかあいつ。

「なんて小娘だ。小僧、なぜ貴様がこのようなものに魅入られる。いや、すべてを知るほど退屈な事はないか」

 彼はその質問に関して何も理解していないのだろうが、しかしそうは見えない。おそらく何かのことわりを悟ったんだ。

「私の負けだ。放してもらえないか」

 彼女が呼び出した腕がバラバラと鉄くずとなって形を崩してゆく。

 身だしなみを整え直すと、コツ、コツ、と靴底を鳴らしながらゆっくりと奥の扉へ向かう。

「来たまえ。警戒の必要はない。私に余力がないのはお嬢さんが一番わかっているはずだ」

 振り返らず背中を見せたままそう言う彼に僕らは従った。

 彼が奥の扉に手を触れると音もなくスーっと消えていき、奥へと進む通路が現れる。

 その先の空間は吹き抜けの塔の内部を思わせる形状で、壁はびっしりと本で埋まっている。

 通路から続く道は船の穂先のような行き止まりで終わり、そこに石の台座と一冊の本がある。

 下は底が見えないほど深く、上も天井が見えないほど高い。

 台座の本を手に取るとタイトルは【色欲】と書かれている。

「楔を壊した後、あんたはどうなるんだ」

 あまりに一方的だった情けなのだろうか、僕は彼の末路を案じた。

「さあ。楔は私を地上に縛り付ける役割も果していた。無くなれば更なる深淵に堕ちるのかもしれないな」

「……そうか」

 彼は僕の右腕を突然掴むと、手の甲に軽い口付けをしてきた。

「っな!」

 すぐに手は離されたが殺されると思った。違和感を感じ手を見ると小さな指輪がはまっていた。

「なんのつもりだ」

「悪魔の気紛れだ。フフ、フハハハハ……」

 静かになった部屋に哀愁漂う笑い声が響き渡る。 

「知恵のさかずき。と言ってもなんの知恵も得られん。わかりやすくいえば無限に保管できる書庫のようなもの。どんなに膨大な知恵でも受け入れる事が出来る器だ」

「そ、そうなのか……? なぜ僕に?」

「この本の迷宮ブック・ラビリンスを具現化する要因にもなっていたモノだが、私にはもう必要が無い。君が使うといい」

 呪いでもかけられたんじゃないだろうか……という不安はイリスの様子を見れば取るに足らなかった。どうやら害は無いようだ。

【色欲】の本に銃口を向けるが、当の本人は葉巻を吸っていた。

 引き金を引くと本は撃たれた部分から徐々に燃えていき形を失っていく。アスモデウスもまた、静かに微笑を浮かばせながら端から燃えるようにして消えていった。

 彼女は少し疲れたような様子だった、あの戦闘のせいだろう。

 周囲に大きな変化は見られないが帰り道、あの異様な空気は感じられず、迷うこともなく外へ出られた。

 外は既に真っ暗な夜になっていた。


「私は一旦協会へ戻り、独自で調査を。神の意思と協会の意思がなぜ食い違うのか確かめなければ」

 フローラが先にこの場から立ち去り姿が見えなくなるとイリスはその場に座り込んでしまった。見た目以上に疲労しているようだ。

 華奢な女の子を背負うのは容易だ。僕はしゃがみ背中を彼女に向けた。

「忘れるな。お前に何かあったら僕が困るんだ」

 声になるかならないかの小さな返事をし、しゃがみこんだ僕の背中に何の躊躇もなく覆いかぶさってきた。彼女の腕からは普通の女の子ほどの力しか感じない。

 背負ったまま家に到着し、玄関に彼女を座らせると既に眠っていた。

 この格好のまま布団に寝かせて良いものか、しかし僕が着替えさせるわけには……こんな時に女性でもいてくれれば。

 仕方なく靴を脱がし、布団に寝かせ、枕元にいつものシャツを置いて部屋を閉めておいた。なぜだ、胸が落ち着かない……。

 居間に戻りソファに座り、物思いにふける。

 罪源の核を壊し、この世からすべての罪を浄化する、それがこんなに……。

 あれは僕では力になれそうもない、これからも彼女にやらせるのか、色々考えているうちにソファで意識を失っていた。


「…………ほのか……」

 ソファの寝心地の悪さに目を覚ますと外は明るくなり始めていた。

 テレビがついている、音はない。

『インド北部での地滑りと洪水の犠牲者は恐らく一万人に達する模様。濃霧により救出が困難なためヘリでの住民避難を一時中止。橋の倒壊や道路の浸食により孤立した二万人の住民が今も援助を待っている状態』

 そしてソファで横になっている僕の腰に違和感がある。

 わずかに残った座面にイリスは座っていた。そこはいつもの指定席だった。何気にちゃんとシャツに着替えている。

「……泣いてる。またあの夢?」

 目頭に涙を溜めている事に自分でも気が付かなかった。

「どうやら、そのようだな」

 

 時々、今でもあの時の夢を見る。無垢な少女を殺めた過去の記憶。

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