暴食
再びマモンを偵察に出した朝、イリスは一枚の大きな紙を手に寄って来た。
テーブルの上に広げたそれは地図のようだ。所々にペンでマーキングされている。
「これは?」
「……異常な遺体、不可解な行方不明、最近起きている不自然な事件現場に印をつけてある」
地図には位置と日付が記され、それを考察しているとあることに気がついた。
「これ、僕らの町に近づいていないか」
「……それだけじゃない。真っ直ぐに移動している。そしてこの町を抜けた先にはあの”世界樹”がある」
「偶然、だなんて都合のいいことは考えない方がいいな……」
僕はフローラを呼び事情を話した。
「頼んでもいいか?」
「ええ。協会の人間として、それは私が引き受けます」
身支度を済ませると彼女は家を出た。
さて、あいつをお菓子で雇うか。しかし居間には見当たらない。コーヒーを手に雑誌を読むエルに尋ねてみた。
「ティア知らないか?」
「あいつなら二度寝するって部屋に向かったわよ。昨日の心霊番組が気になってあまり眠れなかったみたい。どうかしたの?」
悪い意味でわかりやすい奴だ……。留守番はティアに任せてイリスの手を借りよう……。
「少し出かける。アリスと留守番を頼む」
「そう。気をつけなさいね」
「あぁ」
事件現場付近を調べる為に僕はイリスを連れて家を出た。
地図を手にしたイリスが紙を指しながら言う。
「……最後の現場と日付から推測すればこの地点から半径五キロ圏内が怪しい。まずはそこを目指す」
僕らは最寄の駅から目的地へ向かう。
フローラと三人で乗った時以来か。だけどそれよりももっと前だ。こうしてイリスと二人で行動するのは。
「なんだか懐かしいな」
彼女は頷き、車内で交わした事はただそれだけだった。
駅を後にし、街中を歩くが日常と変わらない様子だ。しかし、とある廃ビルの横を通ったときは話が違った。
この感覚、固有空間か? ただ、今までと比べ微弱なもの。
僕が彼女を見下ろすと目が合った。
「どうする」
「……調べてみる価値はある」
建物の周りを簡易なフェンスを覆っている。一瞬戸惑ったがすぐに開きかかった入り口部分を見つけ容易に入り込めた。
廃ビルは十階建て程度。ほぼコンクリートと骨組み部分しか残っていないような状態で、窓ガラスもなく吹き抜けになっていた。
光もあまり入り込まず薄暗い内部は外よりもひんやりとした空気が漂っていた。
当然のように電気は通っておらず、僕らは階段を使いながら下から順に調べていく。
フロア内は壁もほとんどなかった。前の企業が立ち去る時に全て取り払われ、そのまま放置されたんだろう。
三階に着くと固有空間特有の空気がより重く感じられる。それでも微々たることに変わりはない。
ひたすら何もなかった目線の先に何かが横たわっている。彼女はそれに近づくとその場にしゃがみ込んだ。
「何があった?」
そう言いながら歩み寄ると、彼女の返事を聞くまでもなくそこにあったのは白骨化した人間の死体。
「……死後数時間」
その言葉で疑問は全て消えた。常識的に考えればそんなはずはなかったからだ。
僕らが話し合う間もなくあからさまな気配がこちらに近づいてくる。
鼓膜を振動させる不愉快な音。誰しも聞き覚えのある翅の音だ。
銃を構えたが、すぐに引き金を引くことを躊躇することとなる。
視線の先から向かってくるのは明らかに規格外な大きさを持つ羽虫。腹部の先端から露出した針に恐怖しないことは生物の性が邪魔をする。
それでも引き金を引けないのは敵の数によるもの。数えなくても五匹以上はいる。弾数に限りがある以上これだけの数を相手にすることは出来ない。
「……牢獄の巨像」
彼女の横から突出した鉄くずの右手。そこから無造作に鉄パイプを抜き取ると僕に差し出した。
「嘘だろ?」
「……これで対処して」
そう言い捨てると自分は神力で構成された純白の弓矢を具現化させる。
僕に選択の余地はなかった。こうなればやるしかない。
「邪魔だ……っ!」
鉄パイプのによる攻撃が巨大な蟲を叩きと押す。見た目通り馬鹿でかいただの蟲だったようで全力で殴れば倒せないこともないようだ。
イリスから放たれる光の矢が確実に翅蟲を減らしていき、矢を抜けて仕損じた蟲を僕が鉄パイプで吹っ飛ばす。無謀に見えた打開策も案外余裕がある。
ある程度を駆逐すると残った数匹は攻撃を止め引き返す。
身構えていると蟲が引き返した奥の陰から音と共に何かがやってくる。
ジャラジャラと鳴り響く金属音。
……こいつ。
現れたのは体中をベルトに巻かれた異様な姿。頭部を覆い隠すベルトからは所々髪が飛び出ており、さながら虫の触覚を思わせる。
両腕は後ろ手に手枷で固定され、足首にされた金属の枷からは途中でちぎれた鎖が伸びていた。それが歩くたびにジャラジャラと音を立てている。
ゆっくりとした一定のリズムで鎖が硬い地面を這う音が近づいてくる。
視覚からの情報以前にこいつが何者であるかは明白だった。アスモデウス、マモン、ルシファー、これまで遭ったどの悪魔よりも禍々しく濃い狂気がこちらの精神を侵食するようだ。
やぶをつついて悪魔を出したんじゃ笑えない。
「……鉄の処女」
左右の床から聖母を模した像の半身が現れ二枚貝の如くそいつを蟲ごと閉じた。鉄の棺桶と化した内部は無数のトゲで埋め尽くされている。本の迷宮でミノタウロスを絶命させたイリスの技だった。
「とんだ藪蛇だな。どうする」
「……核を壊さずに絶命させるのも一つの手だった。だけど──」
「あぁ。何故だかは知らないがこいつ自身から核の気配がする。お前に手がないなら援護を頼む。核を滅せず、肉体のみを死滅させる。僕の魔弾ならやれるはずだ」
「……わかった」
前方から大きな音が鳴り僕らは目を奪われた。
聖母を模した像の中央から鋭利な爪が突き出し、閉じた鉄棺を抉じ開けた。
再び姿を現したそいつは両肩から外殻を持つ大きな二本の脚を生やしていた。蟹の様な、一言で言うなら蟲の脚だ。
さらにもう二本、肩から同じような脚を生やしかと思うと四本の蟲の脚を使い猛スピードで駆け寄ってくる。
間合いを詰められ鋭い爪が薙ぎ払われた。
「……銀色の硬貨」
地面を突き破るように現れる分厚い鉄の円盤。
鈍い音と共に攻撃を受け止めた。たった一撃に鉄壁は形状を大きく歪ませる。
僕はすぐに銃口を向けた。
葬れ……彼の者の名は────翅王ベルゼ!!
魔弾が放たれた瞬間、ベルゼから数千、数万の小さな羽虫が弾幕となって魔弾を打ち消した。
「バカな……っ。来いイリス!」
僕は銃をホルダーに差込みイリスの左手を掴んで早々と階段を下った。
そのまま建物から退避し、十分な距離のある大通りへ出た。追ってくる気配はない。
魔弾の能力は完全に熟知したはずだ。明確に標的を意識すれば軌道は何者にも隔たれることはない。それなのに……。
「どうして防がれた……」
「……あの羽虫からも同じ気配を感じた。おそらくベルゼは無数の蟲の集合体。固体全てが本体である以上、致命傷は与えられない」
そんなことが……。
「まずいな。打つ手なしか」




