堕落
『本当にこんな所にあるのか』
『……肯定。異質な核が存在するのは確か』
僕らは町の外れにある外人墓地へ足を踏み入れていた。
簡素な墓石が無数に立ち並び、墓地中央には辛うじて原型を保つ朽ちた聖堂が建つ。
ここには僕らの捜し求めるものがあるかもしれないからだ。
人々の手から放置され、草木が自由に生い茂ったここでは不可解な現象が多々起こると有名だった。国道の傍に建てられている事もあって夜中でも車がよく通り、多くのドライバーがここで少女の霊を目撃している。
「もう夜も遅いし明日にしないか」
思い立ったら行動せずにはいられない性格なのだろうか。僕にはおかまいなしに神秘的な少女は夜の静まり返った墓場を淡々と歩いていく。
大人とは無縁の謙虚な体系でありながらも、美を超越した崇高な雰囲気が漂う。
しばらく進むと聖堂の裏で彼女は立ち止まる。
「ん、どうした」
「……ここ」
そこを掘れと言わんばかりに地面を指差す。
やれやれ。どの道こんな華奢な女の子に掘らせるわけにはいかないか。
そう思いながら近くに落ちてた鉄パイプで地面を刺すように掘っていく。
少し掘り進むと何かを掘り当てた。石でもない、光沢のある何か。
「なんだこれ」
それはロケットペンダントだった。
状態は奇妙なほど良い。開閉式のフタを開くと中には外国の少女と、両親と思われる男女が写った写真を確認できる。
『それ、探してたの』
振り返ると十歳ぐらいのおさげの少女が静かに立っている。下ろした髪を二つに束ね、三つ編みにし肩に掛けている。その姿は写真に写った少女そのものだった。
少女は小さく儚い声で、ただ一言だけそう告げた。
僕の連れはペンダントを手に取り少女の方へ差し出した。すると少女は微笑み、唇を会話時のように上下させる。だけどその声が僕の耳に届くことはなかった。
少女は足元から透けていくように消えていき、まもなくしてペンダントも風化し何も残らない。
「……ありがとう、って」
彼女は相変わらずの無表情でそう言い、来た道を引き返し始めた。
砂利道を鳴らしながら何事もなかったかのように進み、少し歩いた所で彼女は珍しく鋭い表情を見せ立ち止まる。
こちらも警戒し五感を研ぎ澄ます。わずかな静寂の後、感じられるのは木々と草の揺れる音。
「……人外、フィーブル級」
閑散とした墓地に、小さな彼女の声がはっきりと聞こえる。どうやら久々に仕事のようだ。
「方向は?」
そう尋ねると彼女は木々の間を指差した。
僕はホルスターから回転式拳銃を取り出し、その方へ銃口を向けた。
ソリッドフレーム採用のダブルアクションリボルバー拳銃。
八インチバレルの長銃身は銀色に輝き、グリップ部分にアナログ式時計の文字盤が埋め込まれた特殊なモノ。
最大装填数六発、コイツの弾丸は一般人には視認できず弾倉に装填されてる弾も見えない。
逸しているのは外見だけでなく所有者以外が引き金を引いても何も起こらない。
元来、銃としての機能さえ満たしておらず玩具も同然だ。
「最近は落ち着いてきたと思ったんだがな。弾は五発ある、僕一人で十分だ」
物陰からトボトボとそいつは歩いてきた。
清潔感のない格好、靴も履かず手には刃物、虚ろな目でどこを見ているのかもわからない。
人の姿をした人ではないモノが何の躊躇もなく襲い掛かってくる。
ソレには不幸中の幸いという言葉が相応しかった。そう、ここは墓地なのだから。
標的を意識し引き金を引く。
……葬れ。
銃声音というよりは蒸気が噴出する程度の音が鳴りそれを射る。
銃弾が命中した部分を中心に、燃え広がるかの如く肉体は灰になり数秒で白骨化していく。
まもなくして骨格すらも灰になり、風と共に跡形もなくなる。
人外、それは魂を失った人間。
理性は無く殺人衝動だけが突出し犯罪者として法に裁かれる事も珍しくない。
格の序列があり三つのタイプに分けられる。最下級からフィーブル級、ヴァリアント級、インフェルノ級。
僕は人と人外を見分けることが出来るが、正確に階級まで見分けられるのはこの少女だけだ。
だが特徴が無いわけではない。まず一般人から見ても様子がおかしいと感じ取れる。
フィーブル級は知能が低く殺人頻度も少ない。訓練を受けた一般の警察でも取り押さえる事が可能だろう。
ヴァリアント級は殺人を日常的に行うようになる。世間では殺人鬼、猟奇殺人などと騒がれるのがこれだ。上記と同じく行政機関でも対処出来る。
インフェルノ級になると話が違う。知性や能力は前述の比ではなくなる。神格を持ち、外見も異形と化し人間とは異なる存在。ただ、一般人にはその異形を視認できない。
彼女いわく、秩序の乱れと、不の感情が人を人外に変えるらしい。
腰に違和感を感じ目を向けると彼女がワイシャツの裾を引っ張っていた。
「帰るか」
音もなく少女の首が返事をした。
──この世の秩序は崩壊し始めている。
ふと思う。良い人は幸福な人生を送るのだろうか。悪い人はちゃんと裁かれるのだろうか。誰もが主人公で、平等にハッピーエンドが用意されているのだろうか。
愚問だ。現実は不条理なんだ。それを運で片付けるか、個人の優劣で片付けるか、そこまではわからない。
少なくとも僕は知っている。彼女が不幸な結末を迎えた事を。
ここは都会とは無縁の町。
近くに大型スーパーやデパートはない。
そんな町で細々と喫茶店を営んでいた。
一階建ての建物は古風なアンティーク調で統一されている。部屋は大きく分けて、居間、喫茶店にしている部分、個室がいくつか。住んでいたのは僕一人だった。
空き部屋が多いのもあり彼女はその一室に住み着いている。
少女の名前はイリス。自称、神の使者。
常識的に考えればありえない事だ。だがこの一年は僕の常識を変えるのに十分だった。
年齢はわからないが見た目は十六前後だろうか。性格は大人しく、口数は少ないが質問をすれば返してくれる。
黒を基調とした服装は、頭にヘッドドレス、白いレース、フリルとリボンに飾られた華美な洋服、袖口は白いフリルが花弁のように広がり長めのスカートをパニエで脹らませ、黒のストラップシューズを履いている。
首には鍵穴の開いた鉄製と思われる首輪を身につけ蒼い瞳には不思議な紋章が刻印されている。雪のように白い肌と腰まで伸びたサラサラの銀髪が僕らとは違う存在だと体現しているようだ。
食事はなるべく一緒に取っている。
しばらく独り身だった僕が家族のいない寂しさを紛らわせるためなのかもしれない。
そうして今も夕食を共にしているわけだ。
「ところで、世界浄化のために壊さなきゃならない罪源の核とは何なんだ」
まだイリスと知り合いってそう長くはない僕はある程度知っておくべきだと思った。
使者はゆっくりと語り始めた。
「……この世界を蝕んでいる七つの罪、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。その象徴として現存するのが罪源の核。それらを壊すことで世界は浄化されていき、すべて破壊した時この世界からすべての罪は消える」
なるほど、よくわからないがなんとなく理解し会話を進めた。
「そんな大役、僕らだけでどうにかなるものなのか」
「……既に他の使徒も動き出しているはず」
どうやら神の使いは他にもいるらしい。
彼女は思い立ったかのように急に切り出す。
「……神の目を移植する」
「神の目? 移植って手術でもするのか」
「……私の片目を移植すれば見えないものが見えるようになる」
「ん? 便利そうだがお前の目はどうなる。そもそも手術なんて出来るのか」
口答する気は無いらしい。
百聞は一見にしかずと言わんばかりに顔を近づけ、目を見つめ、両手を僕の肩に乗せる。
「な、なんだよ」
「……目を見て」
一体なんなんだこれはいつ手術するんだこれが麻酔かなんかだというのか。
近くで見る彼女の目はとても神秘的で、深海を思わせるような蒼い瞳に吸い込まれそうだ。
こんな状況に免疫があるわけもなく、しかし真剣な表情の彼女に離れろとは言えなかった。
「……終わった」
「え?」
「……終わった。左目は特異を目視できるようになる。私の左目は人間と大差なくなる」
「そ、そうか」
どうやら本当のようだ。彼女の左目からあの紋章が消えている。
移植後すぐに神の目が発動するわけではないみたいで、しばらくは安静にする必要があるらしい。そのため左目は眼帯の着用を強いられた。
「さて、夕食を済ませたら今日はもう寝ようか」
各々部屋に戻り、僕はベッドに身を沈めるがさっきの彼女の眼差しが頭から離れなかった。
見惚れたのか? まさか。あいつは人間じゃない。忘れるな。僕はあいつを利用しているだけなんだ。
自身に言い聞かせるようにしているといつの間にか眠りに落ち、夜は明けていった。