楽園
買い物を終え自宅に戻る途中、ティアは帰り道とは違う方へ歩き出す。その先は木々が生い茂り、今は使われなくなった小さなトンネルしかない。
「ティア? どこへ行くんだ」
「行くぞ」
その言葉の真意を把握できなかった僕の事をきょとんとした目で眺めている。
「行くぞって」
「リリスんとこ、行くんだろ?」
最重要機密だと聞いていただけに、あっさりとしかもこんなにすぐに案内され拍子抜けしてしまった。
「アトリエの入り口は世界各地に点在してるんだ。どういう仕組みかはあたしもよくわかんねんだけどな」
まもなくして不気味にすら感じる古めかしいトンネルが姿を現した。
その前で立ち止まるとこちらを向き、ティアは顔を赤くしてぶっきら棒に左手を差し出した。
「ん」
口を硬く閉じたまま、鼻から文字にならない言葉を一言漏らす。
「どした?」
「く、空気読めよなっ。手繋げよほら、お前は行き方わからないんだからほら」
ティアに手を引かれ、トンネルを抜けるとそこは見た事のない風景。
小川が流れ、豊かな自然に囲まれ小鳥たちが自由に飛びまわっている。
少し先には古風な石造りの建物がある。そこを中心に見通しのいい自然が広がる。
耳を澄ませば川のせせらぎ、風に揺れる木々の音、小鳥の鳴き声。ここに俗世界の汚点は何一つない、そう思ってしまうほど心が癒される。
辺りを見渡すとトンネルの入り口だけではなく、不自然に無数の扉や窓、洞窟のようなモノまであり、おそらく世界各地に通じていると思われる。肉眼で確認出来る限り他に建物はなく、壁も境界も確認できず、この世界の全体像は把握できない。
離れには屋根と柱のみで作られた円形のガゼボに人影が見える。
歩きながら近づいていくとそこには使徒リリスと、彼女を挟むようにして座る二人の女の子。どうやらリリスが二人に絵本を読み聞かせているようだ。足元には毛の長い大きな犬も寝そべっている。
「綺麗な所だな」
「リリスおねえさま、にんげんがきたよ?」「きたよ?」
一人が話すともう一人がその語尾を真似る無邪気な少女たち。
顔は瓜二つで双子のように見える。見た目は一桁ほどの年齢で、身長にぴったり合わされたゴシック調の洋服が愛らしい。
「そのようですね。お姉さんは大事なお話があるので、あなたたちは向こうで遊んで来なさい」
「はぁーい」「はぁーい」
今度は息がぴったりに答え、二人は犬と共に小さな歩幅で駆けていった。
ここに居るということは、あの子たちも……。
リリスは立ち上がり、こちらへ数歩進み、僕らとの距離は数メートル。
「救いようのない下等種ですね。ヘルヴェティア、あなたまで」
「彼女は関係ない。僕に脅されただけだ」
「ここはあなたのような汚らわしい生き物が立ち入ってはならない聖域。呼吸すること自体が罪だと知っての狼藉でしょうか」
「案内してくれないか。お前たち使徒を従えている奴の元へ」
「何をするつもりか大体察しがつきます。あなたの行為は神への冒涜では済まされませんよ」
「そうかもしれない。だけど、理想まで捨てた先に何がある」
まるで子供のわがままのような言い分にリリスは呆れ顔を見せる。
「浅はかですね。覚悟と理想だけで上手くいくほど世界は優しくありません」
彼女と共に夢も希望も失ったあの時、僕には長い人生が残っていた。だけど──。
「あぁ。僕もそう思っていた。でも違ったんだ。今、ここにはない理想を、いつか叶うと、そう信じる事で人は毎日に生きがいを見出せるんだと僕は思う」
だってそうじゃないか。でなければ、死を宣告された僕の心に生まれた気持ちを説明することが出来ない。
「物は言いようですね」
”……レーヴァテイン”
以前見た高熱により朱色に輝く大剣が現れ、剣先を地面に突き刺した。
その振動に小鳥たちは遠くに飛び去る。
あまりの高温に剣先から付近の草花は瞬時に焼かれ、枯れていく。
「それを傲慢というのです。神の意思に反するあなたは制裁されなければならない」
リリスの強気な姿勢は変わらない。でも時折見せる僅かな表情の変化に、僕は彼女の違った部分を垣間見た気がした。
「自分を誤魔化すのはもうやめにしないか。お前だって本心じゃないはずだ」
「思い上がりも甚だしい。あなたごときに本心を曝け出した記憶はありません。人が何故悲しむか知っていますか? 感情などという曖昧なモノに現を抜かすからですよ。人は求める故に悩み、期待するが故に後悔し、不平の世の中に消えていく。そこにはなんの神秘も奇跡もなく、あるのは無慈悲な結果だけです」
そう言う彼女が見せた態度は、まるで人間のそれのように思えるものだった。
「だとしても抗うことは出来る。理屈じゃないんだ、僕が欲しいのは結果じゃない、何もせずに終わるのは嫌なんだ」
しばし黙していた彼女は大剣を焼失させた。
「全く、お子様ですね」
ため息混じりにそう答えたリリスは手紙を取り出した。彼女の手から発火した小さな炎と共に手紙は焼け消え、僕の目の前に現れる。
赤い封蝋の施された手紙を受け取ると彼女は言葉を付け加えた。
「あとはその爪の先ほども無い脳みそで考えなさい。それと、イリスにはこれまで以上に気を使うことですね」
「どういう意味だ。まさかお前、まだ隠し事を」
「愚鈍があなたの取り柄なのですから、話も最後まで聞きなさい。本来ならばアスモデウスは使徒一人で相手に出来るものではありません。彼女が対等に渡り合えたのは人外の魔力で力を底上げされていたため。ですが今の彼女にはもう魔力は宿っていません」
「……わかった。借りが出来たな」
彼らは元来た道を引き返していく。
気高き真紅の美女はあの日の出来事を追憶していた。
あの人と同じ事を言うのですね、貴方は。
──三十年前。
私が率いる協会の戦闘部隊が戦地より協会支部に帰還した夜の事。
近くの村人が瀕死の重傷を追いながらも協会支部へやってきた。
何があったのか尋ねる団員に、一人の中年が理性を失い村人を殺し始めたと伝えるとその者は絶命した。
戦地より戻ったばかりの兵士たちに休息をさせてやりたかった私は、この件を受け持ち単身で向かった。
夜のトバリが下りた森に灯る明かりは煙を纏っていた。
村に着くと一面は火の海と化し、転がる死体の山。生存者の発見は絶望的だった。火を放ったのが誰かはわからない。
引火性液体の独特の臭いと炎に包まれた村を探索していると銃声音が鳴り響いた。それは目と鼻の先にある一軒の民家。火の手はその家にも燃え移りつつあった。
急いで向かうと銃を持った男が夫婦と思われる男女を撃ち殺していた。それは紛れもない人外。
私は人外に歩み寄り、それの額を掴み神力を含んだ自身の炎で焼き殺した。
すると部屋にあったクローゼットが開き、中から一人の少年が現れる。
一人でも生き残りがいてよかった。私はそう思った。
「化け物! どうしてみんなを燃やした!」
どうやら私が人外を焼き殺すところを見ていたようだった。
仕方なかった。火に包まれた村の中で、少年にはわからないであろう人外を燃やしていれば、私が化け物に見えてもおかしくはない。
炎が燃え広がりつつある家の中で建物が軋む音がした。それは少年の頭上からだった。
私は数歩進み手を差し伸べた。
「早くこちらへ」
「来るな化け物!」
少年は怯えた子猫のように後ずさりする。
「待ちなさい」
間に合わなかった。少年は残骸の下敷きになった。
その後、私はすぐに彼を協会の治療室へ運び、数日が経ったある日の事。内線で少年が目を覚ましたと連絡があり様子を見に行くことにした。
病室に近づくと看護師と少年の話しが聞こえてくる。
「……き残ったのはあなただけなのよ。でも、協会には孤児院があるわ。あなたもそこに入ったら?」
「孤児院には入らない。おれ、協会の騎士になるよ。化け物どもから、おれみたいな人を救いたい。何もせずに終わるのは嫌なんだ」
……あなたはどんな大人になるのでしょうね。
少年の中で私は化け物だった。でもそれでよかったのかもしれない。理由がなんであれ、彼の強い決意はきっと世の中を大きく変えるだろう。
私は少年の正義感を守るためにも面会を避けた。それ以来協会への派遣は他の使徒に任せ、私は最前線から身を引いたのだ。




