魔弾
”世界の救済──その少女には願いがあった”
半透明の立方体が狂気に支配されたイリスを包む。
「長くは持たないでしょう。これは我々の問題。あなたは退避を」
結界を張ったリリスはそう忠告する。
”だが同胞たちは知っていた”
「待て……」
”少女が人外に成り果てる末路を”
リリスの持つ十字を模した高温に熱せられた大剣、そこから放出される炎に酷似した高濃度の神力はイリスを消滅させうるモノだ。
あいつを救う術を持たないこいつらは確実にイリスを抹消するだろう。なら、賭けるしかない。
ルシファーの魔力は俺の比ではなかった、にも拘らず魔弾はあいつの魔力をかき消した。
「下がってろ……俺がやる……」
少女を包んでいた立方体のひびが一気に広がりガラスの如く飛散させる。
結界を砕いたイリスがこちらに駆け、僕の首に剣を突き付けた。
無表情に浮かぶ悲愴な瞳。
「……お願……い……殺して……」
”そんな少女の初めての頼みだった”
「お前、聞こえて、いたのか」
こいつ、まだ……。そんな顔して、殺せるわけがないだろ。
「……ごめ、ん……なさい…………約、束……まもれ、なく……て」
なんでなんだよ。なんでこいつは自我を保ってる。
いや、そうじゃない。違う。
ただ無邪気に世界の救済に尽くしていた少女の末路がこんな……俺は認めない。
脳裏をよぎるあの言葉。
……ふざけるな。
それが嫌だから……俺は。
こんな結末があってたまるか、不条理だろうが関係ない。
待ってろ……イリス。
魔弾の対象が物質だとはどこにも記されていなかった。だからあの時、俺は意識したんだ。ルシファーを撃ったんじゃない、奴が魔力障壁で弾を防ぐ概念そのものを。
魔力の概念なんて俺が知るわけなかった。だが、このプロビデンスの目が漠然とその真理を与えた。
だったらこいつも同じだ。
俺が撃つのは、
──人を人外に変える根源、狂気が理性を飲み込む原理そのもの。
静かな銃声音が響いた後、使徒はその華奢な体を地面に沈めた。
その状況にも仮面の男はじっと傍観し続けている。
躊躇なく少女を撃った彼に使徒は取り乱しながら問いただした。
「お前はいいのかよ、これで」
その問いに彼は答えない。ただじっと、目前に倒れた少女を見下ろしていた。
少女の黒い片翼が風化し風に流され、漆黒の剣もまた、土に返っていく。
「正直驚きました。あなたには出来ないと思っていたので」
二人の使徒に背を向けながら黙し続ける彼の表情を彼女たちが確認する事は出来なかった。
その為に彼女たちはそれ以上問いかける事が出来なかった。
しばし続く沈黙にいたたまれなくなったヘルヴェティアは声を荒げた。
「し、仕方ねぇだろ! あたしらだって……ホントは!」
その声に横たわった少女の指先がほんの少し反応した。
「何故……」
いち早く異変を察知したのはリリスだった。
「ど、どうしたんだよリリス」
そう尋ねるティアも間もなくそれを知る。
イリスは開けるはずのなかったまぶたを開け、自らの力だけで上半身を起こす。
傷口を確認する少女の様子から彼女自身も状況を把握していないと察する使徒たち。
身体を覆っていた魔力は消え、溢れる神力によってルシファーに受けた傷は完治している。
「うそ、だろ、どうなって」
使徒でも動揺を隠せない事態に、彼は口を開いた。
「……気づいたんだ」
その発言に彼女たちは言葉を控え、耳を傾けた。命を奪う銃器に他者を救済できるわけがなかったからだ。
「魔弾が射抜くのは物質だけじゃなかったんだ。弾丸は意識したモノに必ず被弾する、それは事象に対しても有効。だから僕は」
「まさか、ありえません」
ここまで聞いたリリスは察した。彼が撃ったモノを。
「あなた程度の魔力が、そんなはず。わかっているのですか、理の改ざん、それは神にも等しい行為」
正直立っているのもつらい。全身を走った痛みとだるさ、真理の破砕はルシファーの時に現れた副作用の比ではなかった。
イリスの元に歩み寄ると彼女はこちらへ顔を見上げた。僕は片膝を突き、彼女の頭に手を乗せる。
「ごめん。僕は……お前の何も、わかってやれていなかった」
思い返せば最初からそうだった。いつだって彼女の有能さに甘えていたんだ。
自責の念に駆られていると胸に圧力がかかる。
イリスが僕の胸に両腕を当てつけながら寄りかかっていた。
「……恐かった」
少女の顔は隠れて見えなかった。
「そう、だな。頼りない従者で、恐かっただろ」
「……そう、じゃなくて」
「え?」
「……なんでもない」
なぜそんな事が出来たか、それは僕自身もわからなかった。だけど、あの時、何かが僕に助言した、そんな気がする。
「マモン、イリスを頼む。フローラたちの所へ向かう」
「仰せとあらば」
いつになく忠実な執事に違和感を感じる者はいない。
彼に指示を出した僕はフローラたちを残した方角へ歩み始める。
「……大丈夫」
手を貸そうとする仮面の男にそう言うと自力で立ち上がり、道を引き返していた僕の傍に駆け寄り手を握った。
その小さな手はやわらかく、暖かい。
「……ありがとう」
彼女は満面の無表情でそう言った。だけど今はそれが、とてもいとおしく思えた。
「いいのかよリリス」
「良い訳がないでしょう。こんな事、この数世紀にも前例がない……あなたは引き続き彼らの護衛を。それと、監視の必要もありそうです」




