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 それは彼が復讐を願ったあの日までさかのぼる。全ては願った時から始まっていた。

 どんなに幻想的な日々に身と投じようとも理不尽な現実はいつでも彼らを追ってくる。決して逃げられはしない。

 例え異能を手にしようとも、現実は物語のように美しくはない。


 体育館の跡地で神秘的な少女は傷つき倒れ、禍々しい紅いオーラに包まれている。それは使徒が決して保有し得ない魔力。にも拘らずその気配は徐々に増していった。

 仮面の男はその様子をただ見つめている。

 ただならぬ状況に黒髪の青年は少女の頬に手を触れた。

「うぁっ」

 反発と共に生じる赤黒い靄。

 まるで感電でもしたかのような強い刺激に思わず手を引き戻す。

 

「少し、遅かったようですね」

 その美声の持ち主は使徒リリスだった。

「ヘルヴェティア、あなたが付いていながらこの有様ですか」

「いや、それは、だな……」

「リリス……これはどういう事なんだ」


「どうやら限界のようです、下がりなさい。……レーヴァテイン」

 彼女の右手から炎と共に十字架を模した大剣たいけんが現れ、剣先を地面に突き刺した。高熱を帯びたその刃は眩しい朱色に輝き、地面に密着した剣先からはその温度差で絶え間なく小さな炎が噴出している。

「お、おいマジでやんのかよリリス」

「そんな物騒なモノで何をする気だ」

「慈悲であると、理解していただけるなら、彼女と親しかったあなたには話しましょう」

「……あぁ」

 彼はそれしか言葉を発する余裕がなかった。状況から察するに、彼の嫌な予感は当たっていたからだ。

「私には今回、二つの任務が与えられていました。教皇及び使徒暗殺の犯人と共犯者の処分、もう一つはあなたとイリスが出会う前より与えられていた使命──」


 ”────イリスを殺害すること”


 予期していても彼女の言葉に青年は固まっていた。リリスが最初に言った通り、慈悲は容赦なく浴びせられた。

「我々の見立てでは、彼女はもう少し自我を保っていられると踏んでいましたが、その傷が原因でしょう」

「何を……」

「彼女は正確には使徒ではないのです。我々とは根本が少々異なっているようです」

 彼女との出会いは唐突なモノでした。通常使徒は自然発生するもの。そしてインベリス協会のもっとも重要な任務は使徒の確保なのです。

 協会は使徒と思われる存在を確認した場合に身柄を確保します。その後、協会本部に配属されている同胞が直接その者を同族かどうか判断します。

 間違いであった場合はすぐに身の安全を保障の上返され、同族であった場合は使徒の”アトリエ”へ連れて行き神の使者として教育を受けるのです。

 アトリエの所在地は最重要機密であり、協会の人間も知りません。

 ですがあの日、イリスはアトリエの前で衣服もないまま意識を失っていました。

 目を覚ました彼女には過去という名の記憶がなく、あるのは偏った知識だけ。

 瞳に刻まれた紋章、纏った神力は使徒ととても近いもの。

 しかしイレギュラーな事態であったために我々は彼女を細部まで調べました。

 そして明らかになったのは、彼女はあらゆる魔術を駆使し、他者から強制的に抜き取った多量の魂を神力で封じ込め造られた人間、彼女は人造人間ホムンクルスだった。

 そのような事例は過去に例がありませんでしたが、未来を奪われた無数の残留思念は負の感情を増幅させ宿主を殺人鬼と変える。人外と極めて近いプロセスで生まれた彼女が人外に成り果てるのは時間の問題でした。

「──そして私がその任務に就きました。イリスが人外として覚醒した場合、ただちに抹殺すると」

「だから……」

「はい?」

「だからって、あいつを殺すっていうのか」

「本来ならこの事態を予期した時点で彼女は処分の対象でした。今日まで人並みの日常を与えてあげた事に感謝なさい」

「なん、だよ……それ」

「魔術によって強化された器を素材に人外となった場合、既存のソレをはるかに凌ぐ存在となると思われます。排除は止むを得ません」

 彼はいきどおりながら問い詰めた。

「それはお前らの都合だろ。あいつの気持ちはどうするんだ。あいつにだって心があるだろ」

「我々は天命に従うのみ。感情に流されては何も守れません」

 リリスの言葉に彼は反論しなかった。

「……イリスを創ったのは誰だ」

「わかりません」

「……イリスはこの事実を知っているのか」

「知りません」

「……お前たちに、イリスを救う術はないのか」

「ありません」


 この場の誰もが黙していると、抗えぬ闇の誘惑が少女を包んだ。

 イリスから滲み出ていた魔力が勢いを増し、周囲に風を生む。

「おい、なんかやべーぞ」

「人外として覚醒し始めています。このままでは最強の人外が生まれてしまうでしょう」


 強引に引きちぎられたかのように少女の鉄の首輪は弾け飛んだ。

 横たわっていた体が浮かぶように立ち上がり、美しかった碧眼は黄色に輝き、高濃度の魔力は黒い霧を発生させ、左手から漆黒の剣を、背中からは漆黒の片翼へんよくを生やした。

 次の瞬間、リリスは後方へ数メートル飛ばされていた。彼女はイリスの一振りを受け止めただけだった。

 彼が使徒の身を案じ振り返ると、渦を巻いた炎が尾を引きながらイリスへ向かって放たれたが、彼女はそれを左手で遮る。

 リリスはその炎の中を走り抜け高温で真っ赤に輝く大剣を振り下ろす。イリスはそれを黒刀こくとうで受け止めると、剣と剣の接触部分からは摩擦と温度差で小さな炎が吹き荒れる。そのままリリスは彼女に向け呪文を唱えた。

呪縛バインド

 半透明の立方体が暴走したイリスを包み、動きを封じたように見えたが、まもなくして立方体にひびが入り始めた。危険を察知したリリスは距離を取り、さらに立方体の上から複数の立方体で包み込んだ。

「長くは持たないでしょう。これは我々の問題。あなたは退避を」

「待て……」

 上書きした立方体にもひびが入り始める。

「下がってろ……」

 そう言うと彼は前へ歩いていく。

「俺がやる……」

 ガラスが割れるかの如く、結界が崩壊すると暴走したイリスは無表情のまま彼の元へ向け駆ける。


 青年は少女に向け銃口を突き付けた。

 少女は彼の胸元に刃を突き付けた。

 殺意に満ちているはずの無表情は、悲愴ひそうに満ちていた。


「……お願……い……殺して……」

 それは残酷な言葉。

 たった一つ、世界の救済だけを願う。そんな少女が自身の存在を知り、悲しむ有余もないままに自分を殺せと頼んだのだ。

「お前、聞こえて、いたのか」

 男の首元に剣を向けながらも、少女はわずかに残った理性で抗っていた。

 互いに刃を向け合う状態のまま、忌避きひすべき末路に向かいながらも彼は追憶していた。

 青年はいつだか夢見たはずだ。彼女たちと暮らす平凡な毎日を。それでも、それは叶わない夢だと自分に言い聞かせ、抜け目はないはずだった。

 現実の不条理は安易に想定できるものではない。まだまだ先だと思っていた結末は、唐突に訪れた。

 仄甘い夢が残酷な現実を魅せ、彼は悟った。『人』が幻想を『夢』見る、故に儚いのだと。

「……ごめ、ん……なさい…………約、束……まもれ、なく……て」

 少女は一粒の涙と共に詫びて微笑んだ。不器用な少女が見せた、最初で最後の愛想笑い。

 静かな銃声音が響いた後、うたかたの幻想は儚く消えた。

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