日常
その日の午後、イリスが居間のテーブルで何やらしていた。
「何してるんだイリス?」
手元には紅い封蝋のされた手紙があった。
「……協会についてリリスに」
お仲間同士情報の共有ってことか。
夕食を終え、各々自由に過ごしていた。
僕は安楽椅子に座り片手で読書を、フローラは日記か何かをつけ、イリスはソファに座り無音でニュース番組を見ている。
するとイリスが急に型破りな提案を繰り出す。
「……今日から三人同じ部屋で寝るべき」
一瞬、場が凍りつく。しかしそれは傍観者だけの感覚。この一瞬にどれだけの思考が脳裏をよぎった事か。
最初に動き出したのはフローラだった。
「イリス様、若い男女が同じ部屋で就寝とは道徳的にどうかと」
とても反対しているようだ。ごく自然の反応だ。それでいいフローラ。お前が正しい。
「……睡眠中に人外に奇襲された場合、離れ離れだと生存率は致命的」
なるほど。状況が普通でないのなら常識も通用しないという言い分か。
「ですが……あなたはどうなんです」
冷静に距離を取っていると僕にふられてしまった。
「え、いや、そうだな、落ち着かなくて眠れないかもな」
やはり睡眠はリラックスできるかどうかが大事だ。
「聞きましたかイリス様、睡眠不足ではいざ戦闘になったとき死活問題、睡眠不足が原因でやれてしまっては本末転倒です」
フローラは四文字熟語の二連攻撃を放つほど必死なようだ。
「……今晩死ぬより明日死んだ方がマシ」
血も涙も無い力押しで勝敗は決したようだ。
歯磨きから戻るとまた二人がなにやら口論している。
「イリス様! 男女が同じ部屋で一夜を過ごすのになんですその格好は。無防備すぎです」
見てみると相変わらずのシャツ一枚。まったくその通りだ。彼女の事はフローラに更正してもらおう。
「……問題ない。体力を効率よく回復させるには衣服は少ないほうがいい」
「しかし、彼が何か間違いを犯す可能性も」
「……問題ない。彼は悪くいうとヘタレ。危険性は皆無」
なぜ悪く言ったんだ。フローラは少し迷ったようだが、
「イリス様がそういうのなら」
と妥協をした。そこで納得されては僕的に複雑な気持ちに襲われるんだが。
居間に布団を三つ並べると、フローラはしぶしぶ、イリスはとくにいつもと変わらず、各々布団に入る。
で、なぜ真ん中が空いてる。なんだこれは。
「どうして僕が真ん中なんだ、これじゃ左右どちらも危険じゃないか」
「私たちを魔物かなんかとお考えですか。危険じゃありませんよ信用してください」
そういう事ではない。
「……どちらかだけがあなたの隣になってしまっては不公平。これが最良」
僕の隣はそんなに不幸ポジションですかそうですか。
「あまりこちらを向かないでくださいね。あとちゃんと寝てください。寝不足でやられては本末転倒なので」
部屋が暗いのもありいつの間にか眠ったようだが、外が明るくなり始める頃に目が覚めてしまった。
……って! 近!
寝返りをうった彼女らが二人ともこっちに顔を向けて寝ている。イリスはそういう事で取り乱すことはないだろうが、フローラがこの状況で目を覚ますとどうなるかは大体察しがつく。
六時間は寝たかったが彼女が恥をかかぬよう先に起床する。
時間を持て余し掃除をする事に。まずは窓を磨く。片手で掃除はなかなか苦労するが、何かに急かされている訳でもなくマイペースに作業をしていた。
チマチマと騒音の出ない掃除を始めて一時間が経った頃、
「頼んでくれればそれぐらい、私が」
起床したフローラが現れた。あれ以来責任を感じているようだ。
「いや、一応僕の店だからこれぐらいは自分でやるよ」
反射的にそう言ってしまったが、このお嬢さんはこれでは絶対に納得しないだろう。
「あ。そうだ」
「私にお任せください」
誇らしげな顔で何かに期待しているようだ。
「お前には料理を頼みたい」
「っな!?」
彼女の反応からも察するに腕前は明らかだった。
「見ての通りだ、この腕じゃまともに料理は出来ない。でもお前が厨房に立ってくれれば助かる」
「いいでしょう。私に出来ない事など何もない」
助かる、というフレーズは彼女の中で最強らしい。フローラの料理修行が始まった。厨房に立つ彼女の目は真剣だ。
「悪いんだが、僕のエプロンを結んでくれないか」
愛用している黒いギャルソンエプロンを手渡した。腰から下を覆うタイプだ。
「えっ、は、はい」
「和食とかじゃない限り、手順さえ覚えれば案外誰でも料理は出来るんだが──」
僕の指導が始まる。メモ帳を手にエプロン姿のフローラはいつもの凛々しさが緩和されて、ごく普通の可憐な女の子に見えた。
「それでも避けられないのが包丁だ。ハサミでも代用できるけど包丁でなければいけない場合も多い。これは身に着けてほしいスキルだ」
「任せてください。剣も包丁も同じ刃。扱いこなせないわけがない」
いや用途が全然違うが。
「魚を捌けとまでは言わない、そもそもこの店にそんな高度な料理はない。まずは僕が気に入ってる食材、トマトから」
「はい、どのように討伐いたしましょう」
「そうだな、じゃあまず真っ二つにして、ヘタを切り落として、それを半分ずつ乱切りにするんだ」
料理本の写真を彼女に見せ、完成図をイメージさせながら教えた。
「これなら多少形が歪んでも気にならないし、難易度は高くないはずだ」
彼女は剣を、いや、包丁を握った。とても力んでいるようにみえる。
「いきます、はぁあ!!」
包丁という名の剣を重力と共に振り下ろす。
『ブシャ!!』『ブシュ!』『グシャ!』
辺りが真っ赤に染まり、彼女の顔からは浴びた赤い肉片が滴る。
「すいません、少し力を入れすぎたようです」
だいぶな。これは苦労しそうだ。
「まず力はそこまで必要ない、そして押しつぶすように切るんじゃなく、刃をスライドさせて──」
そんな指導をしているところに彼女がやってきた。
「……何してるの?」
彼女が用件もなく近づいてくるなんて珍しい。しかし彼女の目線は食材の方へあまり向かず、何か別の意図がありそうな気がする。そもそも今まで料理をする事は多々あったが興味を示した事がない。
「いや、片腕じゃ出来ない料理が多くてね。フローラに教えてたんだ」
イリスは彼女の方をチラっと一瞬見てから、
「……私もやる」
と想定外の言葉を口にした。
「そ、そうか」
二人同時に教えても同じ事か。
「今は包丁の訓練をしてたんだ。このトマトを使ってな」
「……どうやるの?」
こんな世界の浄化と関係ない事に興味を示すなんて。案外人間っぽいところもあるのだろうか。
僕はフローラの時と同じ要領で教えた。
「……こう?」
お、うまい。
意外にも丁寧な仕事をこなす彼女。
「あぁ。上手だと思う」
と、隣を見るとフローラがこの世の終わりを見たかのような顔をしている。
「こ、これから覚えれば大丈夫だ。そこまで気に病む必要はない。僕も最初は危なっかしい手際だったからな」
フローラほどではないが。
「ホント、ですか?」
泣きそうな顔で頬を紅潮させ上目づかい。なんという破壊力。
「でも訓練は程々にな。長時間の作業は怪我をする危険性を高める。どんなプロでも集中力が尽きれば怪我をしてしまうモノだ」
と、遠まわしにここら辺で休憩にしようという提案をしたのだが二人はやめる気配がない。しばらく放っとくか。
【一時間後】
「んな!?」
そこには山盛りの切り刻まれた野菜があった。
「ちゃ、ちゃんと食べますが何か」
「……上手?」
明日もサラダ大盛りで決定だな。
その日の晩、僕はベランダで一人夜風に当たっていた。特に何かを考えていたわけでもない。
するとフローラがやってきた。
「何を誰そ彼ているのです」
「いや、ちょっとな」
一人ぼーっとしていただけの僕は一言だけ返す。声をかけてきた彼女もそれ以上追及する様子もなく変な空気のまま沈黙が続く。
年が近いせいか彼女を見ていると無意識にあの子を映し見てしまう。
あの日、あの時、彼女を──。
「──僕は守れなかった」
気づいた時には言葉を漏らしていた。
「守れなかった?」
「え? あぁ、いや……」
このまま流してもお互いモヤモヤすると思い僕は過去を打ち明けることにした。
「フローラ」
「はい?」
「懺悔、とは言わない。ただ聞いてくれないか」
「はい」
身に着けていたネックレスを握り締めながら過去を振り返る。
「一年前の話だ。あの日、僕と歩香は人通りの多い商店街を歩いていた」
そこで起きた出来事、その後に魔術師の男から魔弾を教わる事、それらを彼女に打ち明けた。
「魔弾の力を得た僕は、その日から人外を狩り続けた。なぜだか当時はこの町に集中して人外が発生していたんだ────」
当時の行動原理はただ一つ。人外を根絶やしにすることだった。そうすればいずれ歩香を殺した犯人も殺せる。見つければ片っ端から殺した。時には魔術師の男から情報をもらい殺しに行った。何もなければそれらしい殺人現場へ行き標的を探した。
そんな殺伐とした日々が数ヶ月続いた春の夜、なんの手がかりもないまま夜道を歩いていた。晴れた夜空には居待月のような円に近い月が輝く。すると近くの公園の方から若い女性の叫び声が聞こえてきた。声のする方へ駆けつけると二人の人影。片方は人外、それに襲われる女性。
女性はまだ無事だが人外の手にはナタが握られている。腰を抜かした女性はその場から逃げられずに地面に座り込み、それを人外が見下ろしている。
人外の顔を見た瞬間、思わず目を見開いた。心臓が締め付けられるような感覚を覚え、間もなくしてそれが指名手配されていたあの日の犯人だと確信すると憎しみが心を支配していく。
深見、圭介……。許さない……こいつだけは…………こいつを殺すためだけに、俺はっ!
銃口を奴に向け標的を意識すると、あの時のように、見えないものが見えた。赤い靄が奴の背後から立ち上る。それはよくよく見ると人型で、無数の人型をした靄が、表情も確認できるほどはっきりと見える。
そして見てしまった。
嘘……だろ……。
赤い靄の中に歩香そっくりな人影が混じっている。バカな、どうして、そんなはず。ひどく動揺している僕の思考にあの男の言葉が蘇る。
『見えるだろう。あれは人外に殺された人間の魂さ。奴らは失った魂を求め他人の魂を奪う。だけどそんな事をしても失った魂を得る事なんて出来ないのさ』
こいつは歩香を殺した、そんな、そういう事なのか、僕に、二度も歩香を殺せというのか。出来ない……。
女性の命乞いが響き渡る、皮肉にも周辺に人はいない、そして奴の手に握られたナタは無慈悲に振り下ろされ、辺りは夜の公園の静けさを取り戻す。
「す、すまない……」
……違う、こんなのは……僕が命を賭してまで望んだものがこんなモノなら、僕は、もう……。
呆然と立ち尽くしていた僕は憔悴し膝を付き、遠目に見る遺体に向かい謝っていた。その時目に浮かべていた涙が絶望によるものなのか、目の前で殺されてしまった女性に対するものなのかもわからない。
ただ一言、口から漏れたその言葉でこちらに気づいたのか奴がこちらを向きゆっくりと向かってくる。歩香の姿を背負ったまま。
それでも僕は動けなかった。恐怖に支配されたわけじゃない、虚無感が勝っていたと思う。この世に存在するすべてのものに価値や意味を見出せなくなってしまったんだ。
近くでチカチカしていた外灯は僕の生涯を暗示するかのように電気を切らした。
処刑される罪人のように奴が手にしたナタを振り下ろされる。真っ暗だ。これが死後の世界か。いや、明るくなってきた。
死の恐怖など忘れその寸前まで思考が止まっていた僕の目の前には神秘的な少女が立っていた。
月下に照らされた髪は銀色に輝き、それは天使か、死神か、僕をあの世へ案内しにきたんじゃないかと思ってぐらいだ。
「……どうして、撃たないの?」
物静かで、とても優しい、いつまでも聞いていたい可憐な声が僕の耳に届く。少女は後姿しか見せていなかったが、それがその子の声だとすぐに判断できた。
「君は、なん、なんだ……?」
何もわからず、思考を疑問に埋め尽くされた僕の口から発せられた言葉はとても漠然としていて、それで意味が通じるか不安になったが少女はそれに返答した。
「……私は神の使者。この世を浄化する事が私の天命」
何をバカな事を、少女の妄想か、その格好もそれによるものなのか、一瞬の間にいろいろ考えたが目に入った光景が結果だけを教えてくれた。
殺人鬼が大人しくしているわけがない、それにはもっと早くに気づくべきだった。少女の神々しさはそれすら忘れさせるものだった。
少女前方にいる殺人鬼は地面から突き出た無機物な巨大な腕のようなモノに鷲掴みにされていた。人外を表情一つ変えずに捕獲した彼女が只者ではない事は明らかだった。
「待ってくれっ。そいつにはほの、大事な人の魂が奪われているんだ……っ」
「……人外に魂を奪われる事はその者が既に亡くなっている事を意味する。諦めるべき」
「あぁ、知っている、僕が、彼女を死なせたんだ。だからってもう一度彼女を殺せというのか……」
表情一つ変えない少女はしばし沈黙を続けた。何か考えていたのか、困っていたのか、それはわからない。
「……人外に奪われた魂を救済するなんて過去に例がない。だけど魂を取り返す事は出来るかもしれない」
初対面の僕に、ここまで心を折ってくれる理由はなんなのか、そんな事を考える余地はない。僕は藁にも縋る思いで彼女に従った。
「……あなたは人外の肉体を葬ればいい。私は魂が消滅する寸前にそれを束縛する。理論は彼らが魂を奪うのと似ている」
上手くいくかはわからない、でも、僕に成す術がない今はこの少女に賭けるしかなかった。僕は奴にだけ意識を向け、魔弾を放った。身動きのとれない奴にそれは命中し、肉体が気化していく。それと同時に人外に囚われていた魂たちが、放たれた風船のように散っていく中、それに掌を向けた少女の口から聞きなれない言葉が発せられた。
「……魂の呪縛」
奴に向けた少女の手の先の空間が圧縮されるかのように歪み、歩香の魂が消えたかと思うと地面に小さな宝石のようなモノが落ちた。
「か、彼女は」
「……消滅する前に結晶として実体化させた。彼女は眠っている状態に近い」
「そう、か」
地面に落ちていた結晶の元へ歩み寄り、そこへ座り込んだ僕はそれを手に取り胸に当て、蹲っていた。再会できた彼女はとても小さく、とても冷たく、再び会えた嬉しさと現実の非情さがとても切なく感じさせる。
これが最善なのかどうかは今もわからない。だけど彼女を二度も殺す事態を避けられた事に胸を撫で下ろした。しかしここから救う手段も、手がかりも、今は何もないのが現状だった。
そんな僕にみかねたのか、少女が僕に語りかけた。
「……私は神の使者。これから世界を浄化する。その途中、あなたの求めるものも見つかるかもしれない」
復讐は戦意を喪失したあの時、既に終わっていた。この少女が神の使者なのか知る根拠はない、しかし異能者である僕を凌ぐ存在である事は確かだった。
────その日から僕は少女の従者となった。
「……すまない。くだらない話を長々と」
「いえ、どうしてその話を、私に?」
「さあな。ただ、お前にはそうなって欲しくないと思った。それはおそらく歩香と年の近いお前に、彼女を映し見ていただけだと思うが」
彼女は困ったような表情を浮かべ、若干赤く染めた頬で俯いた。やってしまった。結果として彼女に重荷を背負わせている。
話したのは僕の心の弱さだったんじゃないのか? 誰かにこの十字架の重さを分散させようとしたんじゃないのか?
「忘れてくれ。中に戻ろうか」




