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契約生活  作者: 霜月栞那
3/3

OUR SWEET HOME

年末と呼ばれた数日前までは穏やかだった気候も、今や冬と呼ぶに相応しいそれとなった。

車窓から見た道行く人々も薄手から完全冬仕様のコートへと変わり、誰もが肩を丸めて歩いている。

すっかり日が落ちてしまった今時分、時折吹く北風が寒さを助長させて辛い。おまけに空の様子からすると、雪がちらつくと言っていた天気予報が当たるような気がしてきた。


乗っていた電車が最寄り駅に滑り込み、紘也は軽やかにホームへと降り立った。その途端に吹き付けてきた風のせいで、自然と眉間に皺が寄る。

室内に居れば暖房器具で対応できる冷え込みも、外を歩いているときにはどうしようもない。

「貼れるホッカイロを奪ってくれば良かった……」

首を覆った肌触りのいいマフラーに顔を埋め、小さな溜め息をつく。

カシミアで織られたというそれは、先日のクリスマスに恋人から送られたものだ。大学時代から持っていたマフラーを買い換えたい、と呟いていたのを覚えていたらしい。ついでに、と一緒に包まれていた手袋はポケットの中で出番を待っている。

こちらの反応を気にした上目遣いを思い出し、紘也は静かに笑みを浮かべた。


直は、もうマンションに着いただろうか。

親元を離れて同居生活をする二人は、大晦日と正月をそれぞれの実家で迎えた。

正直言えば、恋人となって初めて二人で迎える正月をもったいないと思わなくもない。だが今まで冬期休暇まるまる帰っていた二人が、今年から帰らないというのも不自然だろう。

『来年は一緒に年越しをしよう』

紘也の言葉に直は肯き、それぞれ実家へと向かった。新年の挨拶も携帯越しに終わらせてある。

例年通りの冬期休暇は少しだけいつもと雰囲気が違う。いつも側にある存在がないというのはこんなに違うものなのか。

そして今日は一月二日。多少短めの帰宅となったのは、来年のささやかな伏線かもしれない。


早くも次の年末を考えながら、紘也は人気の多い改札を抜けた。慣れた方向へと進みながら何気なく辺りを見渡し、一瞬で通り過ぎた駅前の噴水に視線を戻す。

冬場のため水を使用していないが、それでも待ち合わせポイントには違いない。石造りのそれに腰をかけた人々が、寒さ対策をしながらも身を縮こまらせている。中でもマフラーもしていない、比較的薄着の人物に視線が止まった。それが唯一の暖房とでも言うように、両手をポケットに突っ込み顔をコートの襟で覆うようにしている。

「……直?」

まさかここにいるわけがない。紘也がその場から伺うようにして見ていると、こちらの視線を感じたのかふいに彼が顔を上げる。

彼の口が「紘也」と動く前に、紘也は駆け出した。

突如走り出した紘也に周囲が何事かという顔をするが、知ったことではない。

「お帰り、紘也」

「馬鹿! こんな薄着で何やってるんだよ!?」

「……薄着じゃないよ」

「寒かったら薄着だっての!」

巻いていたマフラーを問答無用で直に巻きつける。口とは裏腹になすがままなのは、やはり寒さを感じていたからだろう。ほっとした表情を紘也は見逃さなかった。

空いた両手で直の頬を包むと、長時間外に居たのがわかるほど冷たい。

「頬も冷たいじゃないか」

「紘也の手、温かい」

「馬鹿、おまえの体が冷えきってるんだ。どのくらいここで待っていた? まさか駅についてからずっとか?」

今朝送られてきたメールでは、直の電車は三十分ほど先に着く予定だったはずだ。

強い口調で問うと、自覚があるのか視線を逸らす。

「ずっとじゃないよ。最初はそこのファーストフードに行たんだ。でも騒ぐ子供が多くて店にいること自体嫌になっちゃってさ。だからそこの自動販売機で温かいコーヒー買って、ホッカイロ代わりにしてた」

ほら、と視線で自分の脇を示す。二種類の小振りなコーヒー缶が転がっており、それらが触るまでもなく冷たくなっているのがわかる。おそらく、両ポケットに入れて暖を取っていたのだろう。

「今飲まなくても家に帰ってから暖め直せばいいし、ホッカイロよりは経済的だろ?」

「だからって……」

「帰ってくる時間が近かったんだし、待っていたかったんだ。それとも何? 先に帰って部屋を暖めておいたほうが良かった?」

拗ねたような言い方に、ようやく紘也は腑に落ちる。

数日とはいえ、二人して部屋を空けていた。先に帰ったどちらかが誰もいない、暗くて寒い部屋に足を踏み入れるなくてはならない。そこで一人帰りを待つのは嬉しくて、でも一人でいる部屋が少しだけ寂しく思えてくる。

それならば、いっそ駅で待ってしまえばいい。待てないほどの時間差ではないし、電車が到着するのを見計らいながら店で待てばいいのだ。

他の客のせいで外に出たのは誤算だっただろう。それとも、待ちきれなくて寒空の下で待ち構えていたのか。

直の考えたであろう筋道に思い当たり、自分の表情が緩んでいくのを感じる。抱き寄せたいと思う気持ちは止まらず、人目を気にする余裕もなかった。

「ひ、紘也!? ここ、外……っ」

「嫌なら黙っていろよ。暗がりだし、ばれないだろ」

「……嫌じゃ、ない」

体から力を抜き、大人しく胸に収まった直の腕が背中に回った。ぎゅっと力を籠められたそれに応えるべく、紘也も細い身体を抱き寄せる。

髪まで冷たくして自分を待っていてくれた恋人が愛おしい。そして彼の気持ちに気づかなかった自分が不甲斐ないと思う。


暫くそのまま抱きしめ続けた紘也は少しだけ腕の力を緩めた。それに気づいた直が顔を上げ、露わになった額に唇を落とす。

気分的には思う存分唇を貪りたかったが、そうするには理性が強すぎた。複雑そうな表情の直も、きっと同じ気分だろう。

「帰ろうか」

早く帰って、コート越しでなく抱きしめたい。

「……うん」

もう一度だけ、とお願いされて回した腕に軽く力を入れた。直が満足したのを見届けてから解放する。

離れたところから入り込む冬風に眉を顰め、紘也は足元に放置していた荷物を手に取った。直がコーヒー缶を律儀に詰め込むのを見て思わず笑みをこぼす。

「何?」

「何でもない」

準備の終えた直が横に立ったのを機に歩くよう促す。並んでマンションへと向かっていると、ややあって直が小さな声を上げた。空を見上げると白いものがゆっくりと落ちてくるのに気づく。

「雪、だな……」

「初雪だね」

嬉しそうに笑いながら掌を上にして遊ぶ直を見下ろし、紘也は内心で息をつく。

もう少し到着が遅かったら、雪の中彼が待っていたかもしれない可能性に気づいたからだ。

「頼むから、雪が降るかもしれないっていう日は二度と外で待つなよ。風邪を引いたらどうするつもりだ?」

「そうなったら紘也が看病してくれるだろ?」

「正月早々看病させるつもりか?」

「してくれないの?」

「―――甲斐甲斐しくさせていただきますよ」

よろしい、と傲慢に頷く彼に勝てないのは今年も変わらないらしい。

新年早々負けが決まったと一人ぼやく紘也を、直は不思議そうに見つめていた。




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