「愛の言葉」を禁じられた世界の片隅で、愛を叫ぶ
「許してくれ……っ。僕は、真実の愛を見付けてしまった! 心から愛する彼女と、共に生きていきたいんだ!」
感極まったようにそう叫んだ青年を、周囲はドン引きしたように遠巻きに見つめている。
そのセリフを叫ばれた方も、そのセリフに巻き込まれた方も、揃って青ざめ、一歩、また一歩と後ろに下がる。
自分の言葉に酔いしれる青年は、ジリジリと自分を包囲する影に気付かなかった。
「――公国法違反により、貴君を連行する!」
羽交い締めにされ、青年はようやく目を見開いたが、時すでに遅し。
ローグ公国法、第三十七条。
社会に一定の地位を有するものは、軽率に他者への情を訴える言葉を発することを禁じ、違反したものには罰則を与える。
第一項、「一定の地位を有するもの」とは、貴族位を有するもの、及びその血縁者として家名を名乗ることを許されているものとする。
第二項、「他者への情を伝える言葉」とは、「愛」「恋」「好き」「嫌い」といったものを指す。また、これらの言葉に装飾を加えて発することも含む。
第三項、これら全ての言葉は、親子、祖父母と孫、親戚、友人、夫婦間においては、発することを許可する。ただし、互いに免許を取得し、一年ごとに更新するものとする。
第四項、婚約は家同士の取り決めであり、それを結んだりまた解除する場合は、所定の手続きを要する。一年以内に解除となった場合は、手続きをしたもの、当人同士、それぞれに罰則を与える。また、手続き者の了承を得ない婚約及び破棄を行ったものにも、経過年数を問わず罰則を与える。
第五項、……
「……いつ読んでも、けったいな法律ですよねぇ」
長々と続く条文に目を通し終え、公国新聞記者の
オリヴィエ・ルーは、赤毛をガリガリと掻きむしりながら言った。上司のデュボワは答えず、無駄口を叩く部下をジロリと睨みつける。オリヴィエは肩を竦めながら、原稿に視線を戻した。
四年前に制定されたこの法は、年々項数を増やしていく。公国議会で制定された新しい項目を国民に周知することが、国唯一の新聞社員である彼らの務めだ。
ローグは、大国マーディアルの西南に位置する、小さな島々からなる国だ。元はマーディアルの一領地であったが、五十年ほど前、かの国の公爵が統治する公国として、独立を許された。
さて、大国マーディアルでは数年前から、とあるジャンルの娯楽小説が流行るようになった。いわゆる、「婚約破棄もの」、「悪役令嬢もの」といった「ざまぁ」小説である。
不遇なヒロインが「真実の愛」を見付け、自らの手で幸せを掴む。そんな物語が、身分問わず、年齢性別問わず幅広くウケた。マーディアルのベストセラー小説は次々と、近郊のローグの地にも流れ込んで来る。
娯楽の少ない小さな島国であるローグの民、特に暇を持て余した貴族たちは、瞬く間にその斬新な娯楽小説に熱狂した。熱狂するあまり――「自分だけの真実の愛」を見つけようとする者が、続出してしまったのである。
(お貴族サマってのは、何を考えてんのかねぇ……)
あっちで婚約破棄、こっちで駆け落ち騒動。そっちでは二股、向こうでは四角関係。本能を剥き出しにし、夢に夢見る貴族たちは、大暴走に大暴走を重ねる。
婚約は貴族間の家同士の契約。信頼を簡単に反故にされては、社会生活が成り立たぬ――
そう危惧した当代のローグ公が、建国以来の法にこの奇妙な条文を付け加えたのも、まあ、無理からぬことだった。
もっとも、対象は今のところ「貴族」に限定されているため、公国の多数を占める平民たちは、貴族たちのドタバタを面白半分で眺めていた。当初、「本当に取り締まれるのか」、「どうやって」と、この法の施行そのものに疑問を持った者が大半だ。
しかし、ローグ公は――なんか、やってのけた。
密告を推奨したり、盗み聞きをしている様子はない。
けれど、貴族たちが「免許の出されていない」相手に、愛だの恋だのと囁いた瞬間、公爵直属の特命部隊がものの数分ですっ飛んで来るのである。
(うちの公爵サマ、こえぇぇ……)
偉大なる統治者と称えられていた公爵は、平民たちにはすっかり「不気味な変人」扱いされていた。
「……オリヴィエ、大変だ!」
新聞社のドアを蹴破るように飛び込んできた青年が、呼吸も荒くそう叫ぶ。
オリヴィエの酒飲み友達、大工のアンドレだ。
「どうしたい、アンドレ」
仕事中であろう悪友が飛び込んで来たことに驚きながらも、オリヴィエは気の抜けた調子で片手を上げる。デュボワに睨まれ冷や汗をかいた、ガタイの良い青年は、取り繕うように空咳をして告げた。
「ローグ公の甥っ子、キースティングス伯爵家の三男坊が、意中のご令嬢に告白しようとしてるらしい! オーステン広場のオープンカフェに居たのが、どうにも雲行きが怪しくなって……!」
一大スキャンダルの知らせに、いち早く反応したのはデュボワだった。
彼は目を見開いてる部下の背をどやしつけ、鋭い声で叫ぶ。
「ローグ公の関係者が逮捕されるとあれば、政治が動きかねない! 行け、オリヴィエ! 特ダネを逃がすな!」
「りょっ、了解!」
上司の勢いに、咄嗟にそう応じて駆け出したオリヴィエは、しかし内心で首を傾げた。
(……大丈夫なのか? この国)
ローグ公国は、今日も平和である。
キースディングス伯爵家三男、ルネ・ランベールは、窮地に追い込まれていた。
友人以上、恋人未満の子爵令嬢と、カフェデートに来たまでは良かった。コーヒーと甘い菓子を堪能し、公国法違反とならないギリギリの会話を楽しむ――お互いにそれで十分だったはずだ。
(なのに、何がどうなって……!)
きっかけは何だったのか、もう分からない。
ただ、気が付けば、「ルネ様は、私のことをどう思っていらっしゃるの?」と、目の前の彼女が泣きそうになっており、咄嗟に口を開きかけたルネは、完全に固まってしまった。
(しまった――!)
好きだ。即逮捕。
愛している。論外。
好ましい。アウト。
慕わしく思っている。今年の法改正を受けて、先日この言葉を発した友人はしょっぴかれていた。
婚約したい。父に根回ししていない時点で、軽々しく口には出来ない。父はこの国の統治者の兄弟だ。
(どうする、――どうする?)
様子のおかしい若い二人に、周囲は無関心を装いながら聞き耳を立てている。
彼女は涙目。
(女の子、泣きそうになってるじゃないか。ここはひとつ、たとえ逮捕されようと、漢気見せろよ!)
(……あれ。もしかして、ランベールの若様? え、まずいんじゃないの?)
無責任にざわめく周囲のヒソヒソ声に、ルネはますます青ざめていく。
「愛の言葉禁止法」が施行されて以来、貴族は外出時に目に見える形での家紋の携帯を義務付けられている。また、平民たちも、全貴族家の家紋について、一通り頭に叩き込まれている。ルネの身元も速攻でバレていた。
(まずいまずいまずい!)
意中の彼女の心。
ローグ公の関係者としての立場。
男としての尊厳。
貴族位を継がない三男としての将来。
結論の出ない問題がぐるぐると頭を駆け回り、ルネはいっそ頭を抱え込みたくなる。冷や汗が背筋を伝う。お気に入りのシャツが、汗でぐちゃぐちゃだ。
(……ええい、かくなる上は!)
半ばやけになったように、ルネは腹を括った。
「えー、あー、コレット嬢。本日はお日柄もよく……」
「今にも雨が降りそうですが」
「あー、ゴホン! 今日は付き合ってくれてありがとう。君と過ごした一日は本当に素晴らしく……」
「三十分前に合流したばかりですわ」
「君との会話が弾み過ぎて、菓子の甘さなど気づかないほどで……」
「先ほど『このケーキ、甘くて美味しいね』と仰いましたが」
だめだ。
全方位の問題をさり気なく解決しようとして、逆にどこにもかすらずに空回りしていく。愛しのコレットは呆れ顔だし、周囲で聞き耳を立てている人間たちも溜め息をついている。
(あの腕章、公国新聞の記者だ……)
野次馬の最前列、ボロボロになった帳面を構えて身を乗り出している若い男に気付き、ルネはますます焦った。
「コ、コレット! 君は卒業後は、どうするんだい?」
「まだ、決まっておりませんが……。貴族の娘として、どなたかに嫁ぎ、微力ながらお家の発展に貢献出来ればと考えております」
「素晴らしい! 君は公国を代表する賢女だ! 君の夫になれる者は、さぞかし幸せだろうなぁ!」
「……大袈裟ですわ」
「いいや! 君という花を手にする男が羨ましい! 実に羨ましい! 羨ましくて、涙がちょちょ切れそうだ!」
(ど、どうだ! 遠回りに「君と結婚したい」アピールをしつつ、法には触れないこの作戦!)
コレットも周囲も先ほどの表情を消し、真顔になっている。自信を得たルネは、ここぞとばかりに畳み掛けた。
「わた、私は、三男であるから貴族位は継げないんだが、卒業後は家の商売のひとつである、貿易会社に務める予定だ! ゆくゆくはその会社を任せると、父からも言われている!」
「……そうですの」
「そうなんだ! だが、あー、その、なんだ……君のような賢女が、傍に居てくれると心強いだろうなぁと……思っていたり、いなかったり……するんだが……」
(どうだー!)
法律の範囲内で、華麗に決めた愛の告白。これならば叔父の面子も潰さず、コレット嬢に彼の真意を伝えることが出来ただろう。緊張でカラカラに乾いた喉を潤すため、ルネは目の前のコーヒーカップを悠々と持ち上げる。冷めているであろう中身を、一息にあおろうとして、
「……グゲごほぉっ!!」
あまりの熱さに、盛大にむせた。
コレット嬢はハンカチーフで口元を隠しながら、冷静に告げる。
「給仕女中が先ほど、お代わりを注いでくれたではありませんか……」
気付いていなかった。
悶絶するルネは、慌てて駆け寄ってきたウェイトレスが渡してくれた冷水をがぶ飲みする。三杯飲み干し、ようやく人心地ついたルネはウェイトレスに軽く手で下がるよう伝え、コレットに向き直った。
「あー、コレット嬢、とんだ醜態を晒してしまった。面目ない。
と、ところで、もしよければ、いずれ君の家にご挨拶に伺っても良いだろうか? 君のお父上は確か……」
「お断りしますわ」
今日一番の笑顔で、コレット嬢はそう告げて立ち上がる。
ポカンと口を開けるルネを一瞬真顔で見つめ、彼女は貴族令嬢の鑑のような美しい礼をして見せた。
「私、もう少し頼りがいのある殿方が好みですの。――ごきげんよう、キースティングス伯爵令息」
中腰で愕然と立ち竦む若き伯爵令息を背に、子爵令嬢コレット・ポワチエは優雅に歩き去る。
一部始終を見守っていた周囲は、コソコソと囁きを交わしあった。
(ありゃあダメだわ……)
(最低のヘタレ……)
しばらくして、背後からそっと忍び寄ってきた黒衣の集団の一人――羽飾りの仮面を付けた男性らしき人物が、ルネの肩をそっと叩いた。
「……あー、キースディングス伯爵令息? 先ほどの言葉は、『愛の言葉禁止法』に抵触する可能性があり、こちらで詳しくお話を伺えますかな?」
「な、何故だぁぁぁぁぁぁぁ!」




