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短編

地味顔令嬢、縁談を破棄されたおかげで世界の広さを知る

作者: 猫町佑


「ブルーム家よりお手紙でございます」


 執事が恭しく差し出した銀盆には、濃紺の封蝋が輝いていた。私の胸が、ほんの少し嫌な音を立てる。

 押された紋章は、薔薇の蔓をかたどったブルーム家の家紋。

 それをまずはお父さま、エイモン・グレインが開封し目を通した。

 お父さまの視線が左右に動いて、一行、また一行と文字を追うごとにその表情が曇っていく。

 そして便箋の最後まで視線が到達したとき、お父さまは深いため息を漏らした。


「リディア、お前も目を通しなさい」


 そんなわけで手紙を渡されたときには、すっかりわかってしまった。


 ――良い知らせではないと。


「ありがとう」


 お父さまお母さまの憐れむような視線を受けながら、私は努めて穏やかな顔を作り手紙に目を通した。

 


 拝啓 麗春の候、ますますご清祥の段、大慶に存じます。

 さて、先日の会食ののち熟慮を重ねました結果、誠に勝手ながらこの度の縁談は無きものとしていただきたく、筆を執りました——


 やっぱりそうか……。


 丁寧な文面。決して非礼ではなかった。

 むしろ、自分の至らなさや、未熟さを詫び、私にもっとふさわしい縁談があることを祈念して手紙は結ばれていた。


 リディア様にさらなる良縁があることを心よりお祈り申し上げます――。


                       エドワード・ブルーム拝



「また……、これで三度目か……」


 お父さまが再度ため息を吐く。


「リディア。気にすることはないわ。たまたま相性が悪いだけ」


 お母さまが露骨に落胆しながらも、一応私に優しい言葉をかけてくれる。


「そうね。たまたま、連続して相性が悪かっただけ。四回続けて」

「四回……そうだったか」

「こんなに連続して、〝良縁がありますように〟とお祈りレターをもらったのに、なかなかお祈りが神様に通じないみたいですね」


 私は努めて冗談めかして言ったつもりだったのだが、お父さまとお母さまは困ったような笑顔を浮かべるばかりだった。


「次があるわよ」


 お母さまはそう言うけど、私は次も同じことになることを半ば確信していた。


 だって原因は私の見た目なのだから――。


 一重の瞼、低い鼻梁。映えるところのない顔立ち。

 化粧で誤魔化せば「大人しくは見える」けれど、煌びやかな社交界の輪の中で令嬢たちに囲まれては、明らかに見劣りする。


「でもね、お父さま、お母さま」


 私はさらに声を明るくする。


「私は元気だから、気にしないで」


 悲しい時こそ笑顔。

 それが私の幼い時からのモットー。

 見た目に劣る私が暗い顔をしていては、ますます不細工に見える。

 それなら、せめて笑顔で!


「じゃあ、私、そろそろ準備をしないと。また夕食で」

「あら、また子どもたちの読み書き、こんな時までやらなくても……」

「子どもたちと約束したので」


 私はお父さまとお母さまに一礼すると、踵を返す。

 泣き顔を見られてしまう、ギリギリのタイミングで。


 ***

 

 ――思い返す。

 ほんの一週間前、王都のブルーム家のタウンハウスにて、私と縁談の相手、エドワード・ブルームは顔を合わせた。

 上品な金髪、整った笑み。彼は誰に対しても模範的に振る舞う紳士だった。


「グレイン家の領地は果樹園が多いとか。素敵だ」


美しい庭が眺められるサロンでアフタヌーンティーを楽しみながら、エドワードは微笑みを浮かべた。


「はい。秋の収穫祭は、村人たちが集まって賑やかになります」

「それは良い。収穫を共に祝える民と領主の関係は、安定を示す証だ」


 流れるように続く会話。

 カップを傾けるしぐさも優美で、淀みがない。

 ……でも、瞳の奥は冷えていた。

 私を見ていながら、私を見ていない。水面に映る自分の姿でも眺めているような、遠い目。


「婚約すれば、きっと領の果樹園も一層栄えるでしょうね」


 そう言った彼の笑みは、表面だけは輝いていた。

 でも、その輝きは、感情と無関係に作られたものだった。


 その数日後に届いた手紙があれ。

 彼にとって私は、最初から「礼儀正しく断るための相手」でしかなかったのだ。

 


 ***



「ふぅ……」


 私は辞書を引きながら、午後のレッスンのための資料を作る。

 私は週に一度、近くの教会で学校に通えない子どもたちのために、読み書きの授業を行っているのだ。

 もちろんボランティア。授業料は取らない。


 ――子爵の娘がそんなことしなくても……。危なくないの?


 お母さまは私の身を案じてか、何度か止めるように促してきたが、危ない目にあったことはないし、むしろ、やりがいを感じている。


 ――毎回ずいぶんと時間をかけるが、そんなに大変なものなのか? 簡単な綴りを教えるだけだろう?


 以前、お父さまにそう言われたことがあったけど、それは違う。


 たしかに「リンゴとはこう書きます」と、子どもたちに教えるのは簡単だ。

 しかし、リンゴの語源について、そもそもリンゴとはなにか? ナシとどう違うのか?

 子どもたちの山のような質問にできるだけ答えようとすれば、いくら勉強しても足りない。


 さあ、行こう……!

 教会で子どもたちが待っている。泣いている暇なんてない。


「私が笑っていれば、お父さまとお母さまも安心するもの。……大丈夫、大丈夫」


 口に出せば、心は少し軽くなる。

 私は外套を羽織り、玄関に向かった。


 私が美しくないのは、誰よりも私自身が知っている。

 だからこそ、誰かの役に立ちたい。

 麗しい令嬢としてではなく、ひとりの人間として。


 ***


 王都の北側の区画、ノーザンテリトリー、ここは100年ほど前まで王都の中心街だった地域で、歴史的な建物がそのままの状態で並んでおり、よく言えば、風情がある街並み、悪く言えば古ぼけた街。さらに悪く言えば、荒廃しかかっている。

 でも、私はこの区域が大好きだ。

 裕福とは言えない、レイン家がタウンハウスを持てるのは、この区域であるからこそだし、一年の半分をここで過ごしてきた私にとっては故郷も同然だ。


 古びた石畳のメインストリートを少し歩くと目的の教会が見えてくる。

 天窓のステンドグラスには私が生まれたころからずっとヒビが入っているが、誰も直そうとはしていない。

 建物はノーザンテリトリーでも特別古く、建てられて300年は経つらしいが、人々の礼拝の場として、そして子どもたちの遊びの場として、いまだ現役だ。


 いつもは礼拝堂の脇の控室で授業をしているが、今日は天気がいいので教会裏の庭園が子どもたちの読み書き教室となる。


「せんせい、きょうは〝うま〟の書きかた!」

「はいはい、順番ね」

「しろい……うま……のった……きしさま」


 私が控室から持ち出した黒板にチョークで見本を書き、次に子どもたちがそれを真似て書く。私は小さな手をひとつずつ取って、ぎゅっと力の入った指をほぐしながら、線の始まりと終わりを示していく。

 教えるのは簡単な綴りばかりだけれど、質問はいつだって簡単ではない。


「ねえ、このKはどうして声に出さないの?」


 七歳のトムが首を傾げる。私は板書してみせた。


「よく気づいたね。前に〝K〟が付くのは、ずっと昔の古い言葉の名残なのよ。古い言葉で〝仕える人〟って意味から来ていて……」

「つかえる?」

「うん。王さまや主君に忠誠を誓って、弱い人を守る人。だから“力がある”ってだけじゃなくて、“心が強い”ことが大事なの」


 つい余計な力説してしまい、私は慌てて笑った。

 私も膝を折って目線を合わせ、指の運びをもう一度なぞった。


 その時、ささやくような低い声が後ろから聞こえた。


「興味深い。では、“GH”は何ゆえ残ったままなのでしょう?」


 振り返ると、見慣れない青年が立っていた。月のない夜のような艶やかな黒髪、湖畔の森を映した水面のような深い緑色の瞳。

 歩きやすい軽装の上から上質な外套を羽織っている。外套には飾りは少なく控えめだが、裾の辺りに刺繍の織りが見える。植物を幾何学的にデザインしたもののようだが、この国では見慣れない意匠だ。外国産の物だろうか……。


「……ご見学ですか?」


「はい。古い建築が好きで、この教会の彫像を拝見しに。そうしたら裏から楽しげな声が聞こえてきて、思わず。差し支えなければ、端で見学しても?」

「もちろん。ええと、“GH”の件でしたね。これは……昔は声に出していた音の名残、です。のどの奥で息を擦るような、今は使わなくなった音。綴りだけ残ってしまったので、私たちは〝静かな文字〟って呼んでいます」

「なるほど、〝静かな文字〟。いい表現だ」


 青年は目を細め、子どもたちと同じ高さまで腰を落として板を覗き込んだ。その切れ長の目は知的であると同時に、どこか神秘的で、他人を惹きつける魅力がある。


「ついで申し訳ないのですが、あの像はなにを表しているのでしょうか?」


 青年の指さした先には私も子どもたちも見慣れた像があった。

 片膝を立て、恐ろしい形相で地面を睨みつける角を生やした鬼の像。ちょうど子どもの腰くらいまでの高さなので、その険しい相貌にもかかわらず、子どもたちにしょっちゅう頭に座られてしまっている……。


「ああ、これはクランプスと呼ばれる鬼の一種ですね」

「クランプス……」

「おそらくこれ単独で作られたのではなく、このクランプスは大きな彫刻の一部だと思われます」

「どうしてそう思うのですか?」

「まずクランプスは良からぬ者が敷地に入らぬように睨みを利かせる意図で作られます、こんなふうに地面を見ていたのではなく、おそらく門の上あたりに飾られていたのでしょう。そして門の飾りがクランプスだけということはありませんから、門はぐるりと豪華な彫刻で飾られた大きな門があって……。これはその残骸だと考えるべきでしょうね」

「つまりは……」

「はい。おそらくここには現在よりもずっと大きな教会があり、その跡地に現在の教会は建てられたのかと」


 私の発言が自らの推測と同じだったようで、青年がぱっと顔をほころばせる。

 笑うと、これまでの大人びていた印象よりずっと幼く見える。


「邪魔をしました。続けてください」


 その後、授業は滞りなく続いた。

 青年は邪魔をせず、ときに子どもの落としたチョークを拾い、ときに自分の筆記用具を使って、黒板の順番を待っていた子どもたちに綴りを教えてやっていた。


 そして、終わりの時間になると、子どもたちを見送り、最後の一人が門を出ていくのを見届けると、進んで黒板を持ってくれた。


「これ、中に運ぶんですよね」

「すみません、助かります。重くって」

「重さを分け合うのは、旅の習いです」


 耳慣れない言い回しに首を傾げると、青年は照れたように目を伏せた。


「これは故郷の言い回しでして、こちらではこうは表現しないのですね」

「ふふ。素敵な言葉ですね」


青年に黒板を運んでいただき、私はチョークや用意した教材を抱えて

控室へと向かう。


「この街で教師をされているのですか? それともこの教会のシスター?」

「いえ、読み書きを教えているのは、趣味でして、私はグレイン子爵家の娘、リディア・グレインです」

「子爵家のご令嬢でしたか、それではなぜ、子どもたちの先生を?」

「子どもたちこそこの国の財産ですから」


 この国は軍事力や生産力では周囲の国に劣り、資源は少ない。商業と文化こそがこの国の武器となる。その礎となるのが教育。貧富を問わず、どんな子どもでも漏らすことなく読み書きができるようになれば、そこから新たな商業と文化の種が生まれ、育つはず。

 

 私はいつにもなく、自分の思いを熱っぽく語ってしまった。

 こんなこと他人に話したことなかったのに……。


 きっと私は話したかったのだ。

 でも、お父さまも、お母さまも、年の近い友人たちもみな結婚の話ばかりだった。

 誰と誰が婚約しただの、あの人が破談になっただの、そんな話題ばかり。

 私が教育こそが、国の生命線であると熱弁したところで、女がそんな出しゃばった話をするのではないと、たしなめられてしまったかもしれない。


「リディアさん、この活動は素晴らしい!」


 私は少し熱く語り過ぎたと自分を恥じたのだが、青年はむしろ熱っぽいリアクションを返してくれた。


「平民を含めた国民の識字率の上昇こそが、国を支える大きな基礎となり、時間はかかるが結果的に大きな富を生み出す。学びになりました!」

「そんな大げさな……すみません。急に熱っぽく話してしまって、はしたなかったですよね」

「いえ、まったくそうは思いません。むしろ興味深い話で引き込まれました」


 青年は元の位置に黒板を置くと、ぽんぽんと外套についたチョークの粉を掃って、私の方へと向き直る。


「それに、話しているとき表情がとても魅力でした、目がキラキラと輝いていて、笑顔がとても素敵でした」

「あ、あ、えっと、ありがとうございます」


 頬の辺りで発生した熱が、あっという間に耳の先まで到達。おそらく私は顔真っ赤だ。

 急に容姿を褒められるから……。

 そういうの、苦手というか、慣れてないんです。


「あ、失礼、急にこんな話、無礼でしたね」

「い、いえ」


 イヤではなかったし、無礼だとも思っていないのだけれど、照れくささと、気が動転して、上手く言葉が出てこない。


「では、私はこれで」


 青年は右足を少し下げ、右手を胸にあてて一礼すると、とくるりと踵を返す。

 異国の方のようだが、その所作は優雅なんとも気品があり優雅だった。


「あ、あのっ、お名前を伺っても?」

「——アルタン。旅の身です」

「今日はありがとうございました」

「ええ、また来ても?」

「もちろん。子どもたち、喜びます。えっと、それから……私も」


 自分でそう言ってから、頬がさらに熱くなるのがわかった。


「では、また。次は〝静かな文字〟の続きを」


 彼は切れ長の目にかすかに笑みをたたえてそう答えた。


「はい、〝静かな文字〟の続き」


 彼は控室から礼拝堂に出ると、軽く祈りをささげて、夕暮れ時の街中へと消えていった。


 (……また来てくれるといいな)


 私も帰り支度を済ませると、控室のカギを閉め、司祭様に場所を貸していただいたお礼を伝え、教会を出る。

 そのころには、午前中にはあれほど私を苦しめていた、破談の手紙のことはすっかり頭の中から消えてしまっていたのだった。


 ***


 あの出会いからひと月、私は穏やかな日々を過ごした。

 心の安定を取り戻し、自らのやるべきことに取り組めた充実した日々でもあった。

 そんな穏やかな日々と私の心を乱すことになったのは――。


 とある夜会の誘いだった。

 招待の主はお父さまが大変お世話になっているアーヴィング公爵。

 まったくもって気は進まないが、断るわけにもいかない。


 夜会の会場に足を踏み入れた瞬間、思わず息をのんだ。

 天井から吊るされた巨大なクリスタルのシャンデリアは万の星を閉じ込めたかのように輝き、壁には黄金の縁取りが施された鏡がいくつも並び、それがシャンデリアの輝きを反射し、まるで会場自体が星空の中に浮かんでいるかのようだった。

 絹やベルベットのドレスをまとった令嬢たちが色とりどりの花のように笑いさざめき、燕尾服の紳士たちはグラスを手に談笑している。

 楽団が奏でる弦楽の旋律が大広間を包み、香水と料理の芳香が混じり合って、ここが別世界であることを否応なく実感させられる。

 アーヴィング公爵は大きな夜会を開くことで有名で、この公爵邸は王都でもっとも格式高い社交の場のひとつとして知られている。

 ——私にはまぶしすぎる。


「リディア!」


 声をかけてきたのは学友のマルセラだった。

 真紅のドレスを身にまとった彼女は、まるで薔薇の化身のように華やかで、隣には背の高い青年を伴っている。


「来ていたのね。よかったわ、探していたのよ」


 彼女は得意げに隣の青年を紹介した。


「こちらはオルヴィル伯爵家の嫡男、ルイス様。ご存じ? 次の議会で正式に爵位を継がれる予定で、今や若い令嬢たちの憧れなの」


「初めまして、リディア嬢」


 青年は柔らかな笑みを浮かべて一礼した。

 淡い金髪に澄んだ青の瞳、立ち居振る舞いも淀みなく、いかにも〝次代の伯爵〟と呼ぶにふさわしい。

 近くで耳をそばだてていた令嬢たちが小さな歓声を上げるのも無理はない。


「す、素敵なお方ね」


 私が口にしたのは精一杯の社交辞令だったが、マルセラは満足げに頷いた。


「でしょう? ほかにも素敵な男性がたくさん来ているのよ。ほら、あなたも、いい人探さないと、でしょ?」


 アーヴィング公爵はパーティ好きで知られ、この公爵邸で開かれる夜会はこの国でもっとも豪華でもっとも参加者が多いことで知られている。

 つまりは新しい出会いが期待される場だということ……。

 だからこそ、お父さまはこの夜会の招待状が届くよう取り計らったわけだ。

 わたしを送り出したときの、お父さまとお母さまのキラキラした目を思い出すと、さらに気が重くなる。


「あちらには王族の従兄弟筋の方々、あちらは知ってる? いま、社交界で一番の美男子って言われている、ルネさま、モロー子爵家のご長男。それからね……」


 マルセラは声を潜め、私の耳元にささやいた。


「ねえ、聞いた? 今夜は大国バヤル王国の第二王子もいらしているらしいの」


 マルセラは会場をきょろきょろと見渡す。どうやら、その第二王子さまがどの方か、言っている本人も知らないらしい。


「でもまあ、わたしたちには関係ないわね。王族なんて雲の上の方々だもの」


 マルセラは軽く笑って「少しルイスさまと踊ってくるね」と言い残し、先ほどの男性と連れ立って会場の奥へと消えていった。

私は取り残されるようにその背を見送り、回れ右をして、大広間を離れる。


 ……やはり、こういう場は苦手だ。

 煌びやかな光と笑顔に囲まれるほど、自分の容姿が浮き彫りになってしまう。


 人気の少ない場所を探して、私は外のバルコニーへと出た。

 夜風が頬を撫で、遠くから流れる音楽と笑い声がかすかに聞こえる。ほんのひととき、胸の重苦しさが和らいだ。


 ——その時だった。


「……だから無理だって、耐えられないわ、せいぜい三日が限界だって」


 背後から聞き覚えのある声。私は反射的に柱の陰に身を隠した。


「エドワード、君、見た目だけでそこまで言うのはどうかと思うがな」

「いや、わたしも努力はしたさ。会食の場では礼儀正しく接した。だが……正直に言う。あの顔を毎日見る生活など、とても耐えられん」


 ……エドワード。やっぱり彼の声だ。


「おまえら、知らないないから言えるんだ、あの、のっぺりとした顔見ながら飯食ってみろ、なんの味もしないぞ」


 どっと巻き起こるエドワードの友人たちの笑い声。「無礼だぞ」と、たしなめつつも、エドワードの放言を期待しているようだ。


「あの薄い顔を見ながら飯食ってたら、味付けが自然に濃くなって早死にしてしまう、お前ら、いいのか? 俺が早死にしても!」

「でも、いつも笑顔で、性格も悪くないだろう?」

「いや、俺はあの笑顔もキツかった。笑えば笑うほど、痛々しいんだよな。不憫としか言いようがない」


 笑い声が混じる。

 胸の奥がぎゅっと痛む。足が動かない。


「……エドワード様」


 思わず声が漏れた。柱の陰から姿を現すと、まさに出会いの場として夜会を活用中だったようで、エドワードの周りには男性、女性合わせて十人ほどの姿が見えた。

 その中に、金髪を撫でつけたエドワードの姿があった。彼の顔色が一瞬で凍り付く。


「……リディア」


 さすがに気まずそうな様子のエドワード。

 しかし、エドワードにしなだれかかり、腕を絡ませていた女性はそうではなかった。


「別に聞かれてもよくない? だって本心だもんね。エドワードはやっぱ、ブスと結婚はイヤなんだってさ」

 

 ずいっと私に向かって一歩進み出ると、高圧的な表情で私を睨みつける。

 おそらく、エドワードの新しいお相手だろう。

 派手なピンクゴールドのドレス。豊かなブロンドのウェーブヘアー。つけまつげで強調された二重瞼。

 皆が着飾る夜会の場においてすら派手な印象だ。


「ぶっちゃけ、みんなもそうでしょ! 口には出せないだけで結婚するなら美人がいいよね」


 その女性がことさら大声で周囲に同意を求める。

 バルコニーでの騒ぎが夜会の会場内にも伝わり、徐々に周りに人が増えていっている。近くにいた客たちが、興味と同情の入り混じった視線を向けてきた。

 その視線を背に受け、彼女はさらに一歩進み出る。


「あたしはあんたのことかわいそうだとは思わないから。だって、美しくあるのは令嬢の務め。その務めを怠ったあんたが悪いの」


 派手なネイルの施された人差し指で、私を指さす、エドワードの新しいお相手。

 その口に端には侮辱の意に満ちた笑みが浮かんでいる。


 ……不思議なことに腹は立たなかった。


 以前であれば、怒りに身を震わせたか、もしくはショックで涙を流したかもしれない。

 しかし、今の私にはどちらの感情も湧き起こってはこなかった。

 

 涙を流す代わりに私はその女に向かってまっすぐに視線を向ける。


「私はあなたのことをかわいそうに思う」

「なっ⁉」


 驚きで、メイクで大きく見せた目をさらに見開いている。


「だって、そうやって着飾るしか、務めがなさそうなので」

「はあ?」

「私には、やるべきことも学びたいこともたくさんありますから」


 あの日の出会いが私の心を強く支えている。

 彼は子どもたちに読み書きを教える私のことを褒め、評価してくれた。

別に誰かに褒められたくてはじめたことではないけれど、あの言葉が自信になった。

 私はこれからも自分のなすべきことをなす。

 そのためには美しく着飾る必要も、もしかしたら結婚も必要ないのかもしれない。

文字を教え、領民を豊かにし、最終的にそれを国中に広める。


「そ、そんなの、負け惜しみよ!」


 エドワードの新しいお相手が、それこそ門の上の鬼、クランプスのような形相で私を睨みつけている。


「あんた、なんか勘違いしてんじゃないの。貴族の令嬢にとって結婚は一番大事な仕事だから、それのために綺麗でいることは義務なの。義務を果たしてない人間に夢を語る権利はないから! この勘違いブス!」


 ひと際激しい言葉に、私たちを取り囲んでいた、やじ馬たちはかえって静まり返る。

 刃物というより鈍器のように乱暴な言葉に私がどう反応するのか固唾をのんで見守っているだろうか……。

 私はこんな発言に言葉を返す気すら失っていたのだが……。


――代わりにこの静寂を破ったのは男性の声だった。


「その通り、あなたがたは勘違いしている」


 やじ馬たちの人垣を掻き分け、声の主、独りの男性が私と彼女の間に割って入る。

 そして男性は私の前へと立つと言葉を続けた。


「リディア・グレイン、あなたは美しい」


 私はその姿に見覚えがあった。

 ――黒い艶やかな髪に、そして私をまっすぐに見つめる深い緑の瞳に。


「あの方は誰?」

「知らないのか、アルタン殿下だ」

「あの方がアルタン殿下、バヤル王国の第二王子……」

 

 やじ馬たちからざわざわと驚きの声が上がっている。


 え……⁉ 第二王子? バヤル王国の?

 まさか……アルタンさんが、バヤルの第二王子だなんて……。

 それに、さっき、なんて……?


「聞こえなかったかな? 大事な部分を勘違いしていると言ったんだ。リディア・グレイン、彼女はとても美しい」

「はあ、こいつのどこが」


 彼女はなおも食ってかかろうとするが、アルタン第二王子はそれをそっと手で制する。


「美と言うのは、多様なものでね、美人の基準も多種多様。遊学をしていろんな国を見て回ると、その幅に驚かされることも多い」


 アルタン第二王子は周囲のやじ馬たちに講義を行うかのような口調で語りかける。


「エトゥ国では、お尻の大きな女性が美人とされ、ヤシン国ではまず女性の首を見るそうだ。ちなみに我が国では小ぶりな鼻、切れ長の目は、美人の証だとされている」


 そこまで話すと、アルタン王子は再び私に向き直った。


「リディア、あなたは私の本国に来てくれたならば、その美貌で国中の男子を夢中にさせることになるだろうね」


 アルタン第二王子は私に向かって優しく微笑みかける。


「ね、リディア、私と一緒に国に来てくれないか?」

「一緒に?」

「ああ、父君、母君、兄上にもあなたを紹介したい。もちろん、他のみんなにも。みんな驚くだろうな。これまで女性にそれほど興味を示さなかった私がこんな美女を連れて帰国したとあってはね。それこそ、騒ぎになりそうだ」


 信じがたい話だったが、その言葉には淀みがなく、ウソを言っているとは思えなかった。

 それは私だけではないようで、見物人のみなさんからも、そしてエドワードの新しいお相手さんも呆然とその言葉を聞いているだけ。


「みなさんにはその騒ぎをお見せできなくて残念だ。そうだ、リディアのバヤルでの社交界デビューの日を国一番の宮廷絵師に描かせよう。そしてアーヴィング公爵にプレゼントしよう、そうだな、このあたりに飾るのがいいだろう」


 アルタン第二王子は勝手に絵を飾る場所まで決めてしまった。

 アーヴィング公爵は我が国ではもちろん名門だが、大国バヤルの第二王子と比べれば格が圧倒的に異なる。

 バヤルは領土が広大なため、王子たちが分割して統治しているが、おそらく、アルタン第二王子が統治する領土だけでも我が国の数倍の規模となる。


「アーヴィング公に伝えておこう、この夜会に招待してくれた礼に、国一番の絵師が描く絶世の美女の絢爛たる絵画を送ると」


 アルタン第二王子がそう宣言すると、周囲からわっと拍手が沸き起こった。

 おそらく納得がいっていない人もたくさんいるだろう

 しかしバヤルの王子が贈り物をすると言うのです、祝うしかない。


 その後も夜会はつつがなく過ぎ、私はさきほどまでと打って変わって、みんなからそれはそれは丁重に扱われたのだった。

 

 ――手のひら返しの夜。


 この後、私とアルタン第二王子との仲がずっと深まったのちのことだが、この夜会の一夜をそう呼んでは笑い合うようになったのだった。


 ***


 王都を離れて数日。

 馬車の車窓からの眺めは緑の丘陵と、まばらに点在する小さな村々。

 馬車の車輪が小石を踏むたび、柔らかく揺れ、そのたびに私の胸の奥も微かに波立つ。


 両親に私がアルタン第二王子と共にバヤル王国に行きたいと申し出ると、否応もなく、私を送り出してくれた。

 あわただしく支度を整えて、夜会からひと月後にはバヤル王国へと旅立った。アルタン王子の客人として、ひと月ほどバヤルの王都に滞在する予定だ。


 車窓からの風景は変化が少なく、刺激がない。その分、私の意識は内省的になり、過去の出来事などが自然に脳裏に蘇る。


「あの、殿下……殿下は本当に、私が美しいと、そう思われているのでしょうか」


 思わず口をついて出た言葉。

 煌びやかな夜会の記憶がまだ鮮明で、エドワードと取り巻きたちのあの視線が頭を離れていない。

 というか、美女として生きた経験がないので、王子の言葉とはいえ、どうしても信じ切れないというか、不安になってしまうのだ。

 

――なにせ、こちとら物心ついて以来のチャキチャキの地味顔なのだから。


「誓って間違いない。本心だよ」


 隣に座るアルタン第二王子は、即座にそう言った。

 その澄んだ声は、馬車の木壁に共鳴し、まるで揺るぎない宣言のように私の耳に届く。


「夜会での戯言なんかじゃない。偽らざる事実だ。でもね」


彼は、ふっと笑みを含んで続けた。


「僕が貴方を国に誘ったのは容姿が理由ではない。むしろ、それは些細なことだ」


 彼の瞳は真っ直ぐで、緑の森を思わせる光を帯びている。


「子どもたちに読み書きを教えるあなたの知性。人を選ばず分け隔てなく接する誠実さ。あの時、言葉を尽くして語った教育への情熱。僕はそこにこそ惹かれたのだ。だから、もし貴方がこの滞在でバヤルを気に入ってくれたなら、改めて貴方を私の学友として迎えたい」

「学友……」


 その言葉は私も聞いたことがある。

バヤルでの学友とは、王族と机を並べて学び、いずれ王が独り立ちする時に直臣として支えることを意味する。


「つまりは——将来、僕の重臣になってほしいということだ」


 息をのんだ。

 それは、ただの客人でも、ただの留学生でもない。

 バヤル王国の未来を共に担うという、重みある誘い。


 そんな重大な申し出の後、王子は一瞬だけ視線をそらし、頬にかすかな赤みを浮かべた。


「まあ、その……もしかして、お妃でもいい、って言ってくれるなら、僕としては、それはそれで歓迎するけど……」


 不器用に告げられたその一言に、胸がどくんと高鳴った。

 馬車の外では、草原を渡る風が初夏の花々を揺らしている。


「本当に世界は広いです」 


 私がそう小さくつぶやくと、アルタン王子がくすっと笑った。


「だから、学ぶべきことも無限にある」

「そうですね」

「よかったら、静かな文字についての講義の続きを聞かせてくれないか」


 そう言うと、傍らに座るアルタン王子がほんの少し身体をこちらに寄せたのだった。


小説家になろう、初投稿です。

感想などいただければ非常に嬉しいです!

誤字脱字のご指摘などもいただければ助かります!


誤字報告ありがとうございました! 助かりますー!

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― 新着の感想 ―
そうですね、美人の基準は地域によっても時代によっても変わりますからね。 どこかの国では太ましい女性が美人とされてましたし、首が長いほど美しいとされている部族もいますしね。 そして……エドワード、そんな…
ルッキズムからは中々逃れられませんませんが基準は様々ですわね。 自分を好きになる為に外側もですけれど内側に何を持ち得ているか、常に意識をしなければなりませんわねえ。
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