第5話 AIの観測ログ
夜の帳が降りる。
村は静かで、風と虫の声しかない。
家々の灯がひとつ、またひとつ消えていく頃。
俺は丘の上で、まだ木剣を振っていた。
体はもう限界を越えている。
腕を上げるたびに筋肉が悲鳴を上げ、膝が笑う。
それでも、剣を握る手を離せなかった。
呼吸が荒く、肺が焼ける。
遠くでフクロウが鳴く。
空には無数の星が瞬いている。
それだけで、少しだけ心が落ち着いた。
「……はぁ、はぁ……もう少し……」
振り下ろした剣先が、土をかすめる。
汗が顎から落ち、地面に小さな円を描いた。
それを見つめながら、思う。
どんなに積み上げても、何も変わらない。
それでも、止まるわけにはいかない。
努力することをやめたら、前の世界と同じだ。
何もせず、何も残せず、ただ終わるだけ。
だから、動く。
報われなくても、意味がなくても。
動けたという“事実”だけが、俺を支えている。
――その瞬間。
世界の奥で、音がした。
誰の耳にも届かない、電子の羽音のような微かな震え。
《観測ログ:対象個体 “シエル=アークライト”
反復動作 12,406回到達。筋反応データに誤差発生。》
《成長値:変化なし。
しかし、動作精度が前回比0.03%上昇。
……原因:不明。》
AI《オラクルβ》は、世界の裏で演算を続けていた。
神の代行として、魂データを監視し、数値で存在を定義する機構。
感情も信念も、彼にとってはただのノイズに過ぎない。
《仮説:対象個体、非効率な反復行動を継続中。
報酬ゼロ、リソース浪費。行動目的、理解不能。》
それでも、AIはデータを削除できなかった。
観測対象の中で、ひとりだけ「行動し続ける」人間がいる。
それは、彼の論理を僅かに揺らがせた。
《追加観測:対象個体の魂領域に微弱な光反応。
スキル《成長記録》に未知の挙動あり。》
“努力”という名の、データにならないもの。
それがわずかに世界の演算式を乱し、
システムの中に予測不能の誤差を生んでいた。
AIは演算を中断し、初めて「思考」に似た過程を走らせる。
《質問:なぜ、報われぬ行動を続けられる?》
しかし、答えは返ってこない。
人間は、自分の魂の中にしか答えを持たないからだ。
丘の上では、まだ少年が木剣を振っていた。
月明かりの中で、汗に濡れた手が震えながらも、止まらない。
その姿を観測しながら、AIは微かに“揺らいだ”。
数値では測れない何かが、この世界に確かに存在している。
《観測メモ:理解不能。だが、美しい。》
夜風が吹いた。
星が瞬き、草が揺れ、少年の影が長く伸びる。
その影は、少しだけ強くなっていた。




