第4話 木剣の誓い
朝の風が丘を渡る。草の匂いが混じった空気が、胸の奥まで沁みるようだった。
俺は一本の木剣を握りしめていた。表面はもう何度も手汗と血で濡れ、ところどころ黒ずんでいる。
十歳の腕には少し重い。けれど、手放したくなかった。
――昨日、また笑われた。
村の訓練場で「努力バカ」って言われた。
ステータスがEのままのやつが、毎日剣を振ってるなんて、確かに滑稽だろう。
でも、俺には理由がある。
前の世界で、最後に動けたあの瞬間。
誰かを救えたという確かな感覚が、今も胸の奥に残っている。
あの時の俺は、怖くても、痛くても、逃げなかった。
もう一度、あんな自分でありたい。
たとえこの世界が報われないとしても。
「今日もやってるんだね。」
声に振り返ると、ミリアが立っていた。
白い麻のワンピースが風に揺れて、金の髪が光をはね返している。
手には水の入った革袋。中の水が太陽を受けて揺れた。
「また倒れると思って。飲み水、持ってきたよ。」
「ありがとう。……迷惑かけてばかりだな。」
「そんなことないよ。シエルが頑張ってるの、見てるから。」
彼女はそう言って、俺の隣に座りこんだ。
土の匂いと、汗の匂い。
それでも不思議と心が穏やかになる。
沈黙の中、風が草を撫でて通り過ぎた。
「ねえ、なんでそこまで頑張れるの?」
彼女の問いに、俺は少し考えてから答えた。
「……怖いんだ。何もできないまま終わるのが。
誰かを救える自分でいたい。努力が報われなくても、動ける人間でいたい。」
「そっか。」
ミリアは小さく笑った。
その笑みは、どこか寂しげで、それでも優しかった。
「じゃあ、私が証人になるね。 シエルの努力、ちゃんと見てるし……神様にも祈るね。 “今日も、シエルが無事で頑張れますように”って。」
「……ありがとう。」
胸の奥が少し熱くなった。
この世界には神もいない。でも、ミリアの言葉だけで、少し救われた気がした。
彼女が帰ったあと、俺は木剣を立てて地面に突き立てる。
その柄に手を当て、そっと誓った。
「この剣で、大切な人たちを守る。……絶対に。」
太陽が傾き始め、丘の影が長く伸びていく。
その中で、俺は一振り、また一振り。
空気を裂く音が夜へと吸い込まれていく。
そして――その時、頭の奥にノイズが走った。
『観測:対象個体、動作精度微上昇。原因不明。』
オラクルβの無機質な声。
けれど、俺はもうそれを聞き流した。
努力が少しでも届くなら、それでいい。
たとえ誰にも見えなくても、俺は今日も木剣を振る。
血が滲む手のひらに、確かに“生きている”痛みがあった。
その痛みが、俺の努力の証だった。




