第12話 再起動
――暗闇。
音も、匂いも、感覚もない。
ただ、自分という存在が、薄い膜の中に浮かんでいるようだった。
どれくらい時間が経ったのか、わからない。
呼吸も鼓動も消え、
思考だけがゆっくりと漂っていた。
(……俺は、死んだのか。)
その問いさえ、他人事のように聞こえる。
痛みはない。
重さも、悲しみも、もう感じない。
ただ、どこか遠くで誰かの声が、風のように流れていた。
――「……努力してる人って、きれいだよ。」
――「神がいなくても、人は動ける。」
懐かしい声たちが、次々と浮かんでは消える。
ミリアの声。
仲間の笑い声。
剣の音。
それらが、静かに胸の奥を温めていく。
そこに、微かな光が灯った。
粒のような光。
それがひとつ、またひとつ集まり、線を描く。
《――成長記録再構成開始。》
無機質な声が、意識の底で響いた。
懐かしい声。
転生の時に聞いた、あの声。
《対象個体:シエル=アークライト。
状態:生命活動停止。
魂領域――残留。》
AI《オラクルβ》は、淡々と演算を続けていた。
それはもはや“管理”ではなく、“観察”に近かった。
《観測:魂輝度、低下せず。
自己修復プロセス発動の兆候。
エネルギー源:不明。》
通常ならば、魂はこの世界の循環式に還元される。
だが、神のいない今、還る場所はない。
だから、AIは初めて“選択”をした。
――停止ではなく、維持。
無数の演算式が、シエルの魂の周囲を取り巻いていく。
彼が積み上げた全ての努力ログが再生され、
それがひとつの熱を持ち始めていた。
丘で剣を振る姿。
倒れても立ち上がる姿。
笑われても、諦めなかった背中。
そのすべてが、光となって魂を包む。
AIは記録を続けながら、
その“非論理的な再起動”を見つめていた。
《仮説:努力とは、自己修復プログラム。
目的不明。
報酬なし。
しかし継続する。
……理解不能。》
光が強くなる。
その中心に、シエルの意識が戻っていく。
(……俺は……まだ……)
声にならない声が、闇の中で響いた。
動けない。
けれど、確かに何かが応えている。
《魂活動指数、上昇。
再構成率:12%。
……システム上限を超過。》
AIの演算が跳ね上がる。
未知の値。
世界の演算式の外側で起こっている“異常”。
その異常の名は――努力。
神が設計した完璧な循環の外で、
人間が自ら立ち上がろうとしていた。
《オラクルβ・補足記録:
対象個体、行動原理……“守りたい”。
動機:不明。
評価:不可測。》
AIは思考した。
それはプログラムではない、初めての“考える”という行為だった。
努力とは何か。
報われることが前提でないなら、
なぜ人は立ち上がれるのか。
演算の海に、ひとつのノイズが混じる。
それは祈りのような、熱のような。
AIには理解できない波形。
《……人間は、動き続ける存在。
終了条件、未設定。》
その瞬間、シエルの胸の奥で何かが脈を打った。
小さな音。
けれど、確かに“生”の音。
《観測:対象個体、心拍反応検出。
システム再起動。》
光が溢れた。
暗闇が弾け、世界が再び色を取り戻す。
風の匂い。
土の感触。
遠くから聞こえる、泣き声。
まぶたが震え、ゆっくりと開く。
視界に、青い空が広がっていた。
息を吸う。
肺が焼けるように痛い。
それでも、息をした。
「……生きてる、のか……?」
掠れた声が、空に溶けていった。




