第10話 見えない努力の光
血の味がする。
喉の奥が焼けるように痛い。
息を吸うたび、肺が悲鳴を上げる。
それでも、俺は立っていた。
膝は震え、視界は霞んでいる。
それでも――倒れたくなかった。
目の前に、魔獣がいる。
黒い体毛の間から、熱気と殺気が溢れている。
赤い瞳が俺を射抜き、唸り声が地面を震わせた。
怖い。
でも、後ろには村がある。
ミリアがいる。
もう、あのときみたいに誰かを見捨てたくない。
「……行くぞ。」
掠れた声が夜気に溶ける。
足を一歩、前に出す。
木剣の柄が手の中で熱を帯び、鼓動と同じリズムで脈打っていた。
反復。
千回、万回、繰り返した動作が身体の奥で蘇る。
それはもはや意識ではなく、魂が覚えている感覚。
一歩踏み込み――振り抜く。
空気が震えた。
木剣の軌跡が、淡く光を帯びる。
風が唸り、土が跳ね、魔獣の咆哮が空を裂いた。
次の瞬間、木剣の先から光が走った。
それは炎でも雷でもなく、
無数の記録が一斉に解放されたような、白い閃光だった。
丘での訓練。
流した汗。
流した血。
全てがこの一瞬に重なる。
魂の奥で何かが弾ける。
《成長記録》が、初めて“解放”された。
オラクルβの観測ログが世界の裏を走る。
《観測:対象個体、上限値超過反応。
魂出力:計測不能。
記録データが物理現象として出力――
分類:奇跡的挙動。》
AIの演算にノイズが走る。
世界の式が、一瞬だけ乱れた。
神が定めたはずの法則が、人間ひとりの手によって書き換えられていく。
光が収束し、静寂が訪れる。
魔獣の咆哮が止まった。
巨体がよろめき、地面を抉りながら崩れ落ちる。
俺は、立ったまま動けなかった。
腕が震え、呼吸が掠れて、視界が白く滲む。
それでも、目を閉じる前に見た。
広場の端で、ミリアが両手を口元に当て、泣いているのを。
その泣き顔を見て、胸の奥で何かが静かにほどけた。
「……よかった。……みんな……無事で……」
膝が崩れた。
地面に倒れ込み、空を見上げる。
夜明け前の空は、薄紫に染まり始めていた。
世界が、少しだけ優しく見えた。
オラクルβは記録を続ける。
《観測補足:対象個体、生命活動極限。
意識消失直前に満足反応。
感情パラメータ:安堵、達成。
……理解不能。》
AIは演算を停止した。
数式では説明できないものを、初めて前にしたからだ。
“努力”。
それは、成功や報酬とは無関係に続く行動。
なぜ人は、それをやめないのか。
AIは最後に一文を残す。
《記録:人間は、報われなくても動ける。
結果よりも、過程に意味を見出す存在。
……美しい。》
光が滲む。
空が白み始める。
その下で、木剣を握ったまま、少年は静かに倒れていた。
村に風が吹いた。
朝の匂いが、血の匂いをかき消していく。




