休憩時間は休みたい
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(ご都合主義のゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
「丹羽ちゃん、あのね」
教室の席に座ったまま、次の授業の準備をしている俺の横にだらんと立って、大隈くんが他愛のない話をつらつらと吐き出している。昨日の帰り道での出来事、家での家族との会話など、大隈くんは自分のプライベートを惜しげもなく俺に伝えてくる。次の授業開始のチャイムが鳴り始めると、
「丹羽ちゃん、またね」
そう言って、大隈くんはとなりのクラスに素早く帰って行く。大隈くんは、五分休憩、十五分休憩、昼休憩、とにかく休憩時間のたびに俺のクラスにやって来ては、勝手に話したり、黙って横に立っていたりする。ときどきだが移動教室の際にも、となりのクラスのくせに廊下を俺についていっしょに移動することもある。そして結局、大隈くんだけ戻って行くのだ。
なぜなのか。思いあたることが、あるにはある。というか、大隈くんがこんな行動をするようになる以前、俺と大隈くんの接点はそれしかなかった。
ひと月くらい前のことだ。体育の授業が始まるのをグラウンドで待っていた俺は、授業開始のチャイムが鳴っても誰も出てこないことから、体育の授業がどうやらグラウンドではなく体育館に変更になったのかもしれないということに気づき、教室に体育館シューズを取りに戻っていた。高校に入学して以来、友人をつくるタイミングを逃しまくってしまってずっとぼっちなため、体育の場所変更の伝言を誰からも受け取ることができなかったのだ。焦っていた俺は、走ってはいけない廊下を普通に走っており、階段に向かって角を曲がったところで、思いきり誰かの背中にぶつかってしまった。階段を上ろうとしていたその人物は、おそらくクラス全員分のノートを抱えていた。日直かなにかだったのか、先生に頼まれたのだろう、前の授業で集めたものを返却するために職員室から運んでいたのだと思う。俺がぶつかったため、彼が抱えていたノートはつるつると滑るように床に落ち、周囲に散らばってしまった。
「あっ、ああ……」
彼の口から悲しげな声がもれた。俺のほうは、それまでの焦りが霧散し、もう授業に遅れようがどうでもいい、という気持ちになった。どうせ、もう授業は始まってしまっているのだ。俺は、「ごめんなさい」と彼に謝り、散らばったノートを拾い集める。
「あ、うん」
短く返事をし、彼もノートを拾い始めた。
「これで全部だと思います」
ノートを拾い終わった俺は言った。
「二組の人ですよね。教室まで持ちます」
彼の顔は見たことがあった。となりの、一年二組の生徒だということも知っていた。名前までは知らなかったものの、顔がよくて目立つのでその存在は印象に残っていたのだ。
「ありがとう」
彼は言い、さわやかな笑顔を浮かべた。
「いや、俺のせいなので」
「俺、二組の大隈。名前おしえて」
「丹羽です。一組です」
「同学年なんだから、敬語やめてよー」
これが、大隈くんと初めて話したエピソードだ。なんてことない日常の、なんてことないエピソードだと思っていた。しかし、それ以来、俺は大隈くんにつきまとわれている。
大隈くんは顔がいい。その上、人懐こいというか、人当たりがいいというか、とにかくそういう人物なので女子に人気がある。そんな大隈くんが、顔も勉学もスポーツも、何事に関しても極めて普通で目立ったところのない俺に、急にまとわりつき始めたのだ。周囲から見るとちょっぴり意外な光景だったのだと思う。俺自身も、わけがわからないし、なんで急に? とは思っている。なにより、休憩時間のたびに大隈くんがやって来るので、気持ちが休まらない。休憩時間くらいは休みたい。
その日、休憩時間になると、俺は素早くベランダに出て、窓から身を隠すようにしゃがみこんだ。俺の姿が見えなければ、大隈くんは諦めて自分の教室に戻るだろうと思ったからだ。しかし、
「丹羽くん、大隈くん来てるよ」
親切なクラスメイトが、窓を開けて、ベランダにいる俺に知らせてくれたので、この小さな計画は失敗に終わった。
「丹羽ちゃん、あのね。今朝、交差点の信号のところでさ」
大隈くんは、ベランダにしゃがみこむ俺の横に同じようにしゃがみこんで、とりとめのないことを話し始めた。
「うん」
俺は諦めて、大隈くんの話に相槌を打つ。
「小さい犬がじっと倒れてて。びっくりして飼い主さんにワンちゃん大丈夫ですかって聞いたら、帰るのを嫌がってるだけだから大丈夫だって」
「うん」
「帰るのが嫌で動かないんだって。散歩が好きなんだね。かわいいね」
「うん。それはかわいい」
「丹羽ちゃん、またね」
話が終わると大隈くんはそう言って、チャイムと同時に自分の教室へ帰って行った。俺も、自分の席に戻る。
用事があるわけでもないのに、大隈くんはなぜ休憩時間のたびに俺に会いにやって来るのか。どうしたら、来なくなるのか。いや、来るなとは言わない。少し、その頻度を落としてもらいたい。授業中、ずっとそんなことを考えていた。
次の休憩時間、俺は、教室後方の掃除用具入れの中に素早く身を隠した。しかし、
「丹羽くーん、出てきな。大隈くん来たよ」
掃除用具入れの扉がノックされ、クラスメイトからそう伝えられる。俺は、そっと掃除用具入れから外に出る。少し恥ずかしい。
「丹羽ちゃん、なんでそんなとこ入ってんの」
大隈くんに笑顔で問われ、おまえを避けるためだよ、なんて言えず、「いや、ちょっと」と、曖昧な返事をした。
そして、ここ数日間、そんなかくれんぼのような休憩時間を過ごしていたら、
「ねえ、丹羽ちゃん、なんでいつも大隈くんから隠れるの? せっかく会いに来てくれてるんだから、相手してあげなよ」
昼休憩に弁当を食べているときに、となりで弁当を囲んでいたクラスメイトふたりが話しかけてきた。いま気づいたが、いつの間にか俺の呼称が「丹羽くん」から「丹羽ちゃん」になっている。絶対大隈くんのせいだ。別にいいけど。
「休憩時間は休みたい。大隈くんが来ると心が休まらない」
俺は正直に答える。
「なるほど、そうか。心がね。ちょっとわかるかも」
「どうしたら、大隈くんは来る頻度を落としてくれるだろうか」
そう質問してみると、「そんなの本人に言ったら?」と、俺でもそう返すだろうな、という当たり前の返事があった。
「わかってるけど、言いにくいだろ、なんか」
一応、弱い反論をしてみる。
「まあ、それもそうだけど」
「でも、言わないと、ずっと来るよ。大隈くんは」
「諦め悪そうだもんね」
「丹羽ちゃんが、もう慣れるしかないんじゃん? 心を大隈くんに慣れさすんだよ」
ふたりに口々に言われ、
「心を」
俺はオウム返しにそう口にする。
「そう。休憩時間に大隈くんがいることが普通。大隈くんの存在込みで、休憩時間。それが丹羽ちゃんの日常。それに慣れて受け入れるしかないよ。そうなったら、大隈くんが来ても心を休めることができるでしょ。それが普通なんだから。他人を変えることなんてできないんだもん、自分を変える努力をするんだよ」
それは確かにそうなのだが、自分を変えるなんて嫌だなあ、他人が変わってくれたらなあ、などと思いつつ、やっぱり慣れるしかないのか、という諦めの気持ちで、
「アドバイスありがとう」
俺は礼を言う。すると、「絶対納得してないじゃん。すごい棒読みじゃん」と笑われてしまった。
そのアドバイスを受け、俺はもう隠れることをやめた。大隈くんがいる休憩時間を真正面から受け止めることにする。
「あのね、丹羽ちゃん」
弁当を食べ終わったころにやってきた大隈くんは、にこにこと話しかけてくる。さあこい、とばかりに俺は大隈くんの他愛のない話に相槌を打つ。
「丹羽ちゃん、次、音楽室じゃなくて、教科書持って体育館だって」
「あ、そうなんだ。ありがとう」
俺は教えてくれたクラスメイトに礼を言い、体育館シューズの準備をする。いつの間にか、クラスメイトたちと普通に話すようになっていた。なにがきっかけかといわれれば、やはり大隈くんの存在だ。そのときはじめて、俺は、大隈くんに感謝の気持ちを抱いた。なので、その日の俺は非常に機嫌がよく、昼休憩にいつものようにやって来た大隈くんに、にこにこと対応した。
「丹羽ちゃん、今日はごきげんだね」
大隈くんはなぜかうれしそうに言い、「丹羽ちゃん、またね」と帰って行った。
クラスメイトに言われたとおり、自分を変える努力の末に、俺の心が大隈くんのいる休憩時間に慣れてきたある日。休憩時間になっても大隈くんがやって来なかった。
「休みかな」
クラスメイトが俺に言う。大隈くんのことを言っているのだろうとわかってしまう自分が嫌だ。
「かもね」
そう答えた次の日の休憩時間も、その次の日も、大隈くんは来なかった。
「最近、大隈くん来ないね」
クラスメイトに言われ、
「うん」
快適さ半分、寂しさ半分で、俺は短く返事をする。
「知らないの? 大隈くん、骨折して入院してるらしいよ」
別のクラスメイトが、横から言った。
「え、そうなんだ。丹羽ちゃん、知ってた?」
「知らなかった」
「お見舞い行ってあげたら? 大隈くんの連絡先とか知らないの?」
「知らない」
「え、意外すぎ。なんでなにも知らないの」
「なんで知らないんだろう」
連絡先を交換しようと言われたなら普通にしていただろう。だけど、大隈くんがそういうことを言ってくることはなかった。
「もう、連絡先なんて最初に聞いておきなよ」
そう言われ、最初っていつだろう、と少し考える。大隈くんにぶつかったあのときだろうか。そのタイミングで連絡先を交換するのは変な気もする。
考えていても仕方がないので、
「大隈くんが入院してる病院てどこ?」
大隈くんの入院を教えてくれたクラスメイトに尋ねてみたのだが、「そこまでは知らない」とのことだったので、大隈くんのクラスの担任に聞きに行くことにした。
放課後、すぐに病院へ向かった俺は、受付で大隈くんの病室番号を教えてもらい、その扉をノックする。中から、「はい」と、大隈くんの平坦な返事が聞こえた。扉を開けると、ベッドで上半身を起こし、右脚を固定された大隈くんの姿が目に入る。へえ、個室なんだ、と思っていると、大隈くんが俺を見て目を見開いた。その目にぷっくりと涙が浮かんだのを見て、俺はぎょっとする。
「ごめん、びっくりして」
大隈くんは目をこすりながらそう言った。勧められてベッドの横の丸椅子に座ると、
「俺さ、休憩時間のたびに丹羽ちゃんに会いに行ってたでしょ」
大隈くんは、唐突に話し始めた。
「うん」
「丹羽ちゃん、いつもそっけなかったから、本当は迷惑かもって思ってて」
俺は大隈くんの言葉に驚愕した。迷惑かもしれないと思っていたのか。思っていたのにやめなかったのか。大隈くんが、迷惑かもしれないと感じた時点でやめてくれていれば。そう思わないこともなかったが、しかし、いまの俺は自己改善が進んでしまい、大隈くんのことを別に迷惑だとは思っていなかった。普通に友だちだと思っている。大隈くんが俺の反応を見て早々に諦めていたら、俺は大隈くんに対してこんなふうに親しみを覚えていなかっただろうと思うと、なんだか不思議な気持ちになった。
「でも、そういうの考えないようにして会いに行ってた。丹羽ちゃんに会いたかったから」
「うん」
ぽつりぽつりと話す大隈くんに、俺は無味無臭の相槌を打つ。
「最近は、丹羽ちゃんはごきげんな日が多くて、なんだかんだ相手してくれるから、うれしかった」
「そうか」
「お見舞い、来てくれてうれしい。まさか来てくれるとは思ってなかったから」
「うん」
相槌を打ちながら俺は考える。大隈くんの、俺に対するこの執着としか言いようのない行動について。
「まさかとは思うけど」
俺は、考えて推測した結論について大隈くんに確認しようと口を開いた。
「大隈くんて、俺のことすごく好きなの?」
俺の言葉に、大隈くんは一瞬ぐっと歯を食いしばったように顔に力を入れた。喉仏が動いたのがわかる。
「うん、そう。丹羽ちゃんのこと、すごく好きなの」
大隈くんは裏返ったような声で小さくそう言った。
「へえ、そうなんだ」
大隈くんの言葉に対しての返事は、たぶんこれじゃない、と自覚しながら俺はそんな言葉を返してしまう。そんなにあっさり、でもなかったが、肯定されるとは思っていなかったのだ。
「やっぱり、迷惑?」
「いや」
大隈くんの問いに、俺は首を横に振る。
「迷惑なんてことはない。好かれて悪い気はしないし」
最初は確かに、ちょっと迷惑だなー、とは思っていた。だけど、ここ最近、休憩時間に大隈くんが来ないことを寂しく思っていた。そういうことを大隈くんに伝えればよろこぶかもしれないと思いながらも、俺は急に恥ずかしくなってなにも言えなくなった。
「ところで、なんで骨折したの?」
なのでわざとらしく話を変える。
「自転車で側溝に落ちたんだよ。そんで、足首が変なふうに曲がっちゃった」
「うわ、痛そう」
「いまは痛み止め飲んでるから痛くはないよ。再来週には退院できるみたい」
「そうか、よかった」
俺の言葉に、
「心配してくれてるの?」
大隈くんが意外そうに言うので、「うん」と頷くと、大隈くんは、へへへ、と笑っていた。
大隈くんの顔も見たことだし、そろそろ帰ろうと思い、俺は、「大隈くん、連絡先交換しよう」と切り出した。
「いいの?」
「いいよ。暇ならメッセージでも入れて」
俺は軽い気持ちでそんなふうに言ったことを後悔することになる。
その日から、俺のスマホには、大隈くんからの怒涛のメッセージ攻撃が届くようになった。動けない大隈くんは暇なのだろうが、あいにくこちらはそんなに暇ではない。授業中もおかまいなしに震えるスマホがうるさいので、俺は教室の後ろのロッカーにスマホを封印した。
「丹羽ちゃん、スマホすごい震えてたけど、SNSでもバズったの?」
休憩時間、クラスメイトにそう聞かれ、「いや。大隈くんと連絡先を交換しただけ」と答えると、
「ああ、なるほどねえ」
彼はなにかを察したのか、すぐに納得した。
「通知をオフにしておいたら? そんなに震えてたら充電すぐなくなっちゃうよ」
「うん、そうする」
彼のありがたいアドバイスに従って、俺は大隈くんのメッセージの通知をすぐにオフにした。
大隈くんのメッセージは、病院で出た食事の写真から、固定された自分の脚の写真、「丹羽ちゃん」と俺の名前をただ呼びかけるものまで、とにかくどう返事をしていいのかわからないものばかりだった。俺は、返事を考えることを諦め、敬礼のポーズをとりながら「了解!」と言っているキャラクターのスタンプを、その日の最後に総括として送ることにした。
数日後、大隈くんの顔を見に病室に行くと、「なんで返事くれないの」と拗ねたように言われた。
「返事してるだろ。一日の総括として、了解! って」
「スタンプじゃん」
あれって総括だったんだ、と大隈くんは笑っている。
「スタンプはだめ?」
「だめじゃないけど、丹羽ちゃんが打ってくれた文字が読みたい」
「じゃあ、今日から、了解! って文字で返信するよ」
「それもなんか違う」
「どうしたらいいの」
「俺のことを考えて、なにか丹羽ちゃんの心からの言葉を送ってよ」
「大隈くんて、面倒くさい人だね」
思わず本音を口にしてしまい、平常心を装いながら内心慌てていると、
「俺も、自分がこんなに面倒くさいやつだと思ってなかったよ」
大隈くんが困ったように笑うので、少しほっとした。
「じゃあ、今日の総括はなにか考えるよ」
「うん」
そんな会話をして帰宅した夜、寝る前にベッドの中で俺は大隈くんへのメッセージを必死になって考えていた。考えて考えて、俺は少しずつ、自分の素直な気持ちをスマホに文字で打ち込んでいく。
大隈くんのおかげでクラスに友だちができました
大隈くんと仲良くなれてよかったです
ありがとう
そのメッセージはすぐに既読になり、続けて、「ちゅき」とクマがハートを飛ばしているスタンプが送られてきた。急に恥ずかしくなって、うっと呻いてしまう。続けて、「うれしい」の四文字だけポンと届いて、俺は、はあ、と息を吐いた。ドキドキして、眠れそうにない。
恥ずかしくて、大隈くんの病室に顔を出さないでいたら、あっという間に数日経っていて、「明日退院だよ」と、大隈くんからメッセージが届いた。よかった、と思ったので、「よかった」と、すぐに返事をした。大隈くんは、「ちゅき」のスタンプを送ってくる。
次の日の休憩時間、大隈くんは松葉杖で俺のクラスへやって来た。
「無理して来なくていいよ」
「やだ。来る。無理してないし」
俺の言葉に、大隈くんはぶんぶんと首を横に振る。
「わかった。じゃあ、次の休憩時間は俺がそっちの教室行くから」
「え、本当?」
「うん、本当」
「本当に本当?」
「本当に本当。ちゃんと行くから、座って待ってて」
そんなことを言ってしまったものだから、俺はしばらく休憩時間のたびに大隈くんのクラスに通わなくてはならなくなった。少し面倒くさいと思いつつ、俺の顔を見た大隈くんがうれしそうな表情で迎えてくれるので、俺もうれしくなる。だけど結局、心が浮ついてしまって休まらない。
了
ありがとうございました。