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中二病の俺が影のダンジョンヒーローを目指していたら、変てこな幽霊と不思議な股旅に出会う  作者: 本尾 美春
最終章「東京タワーダンジョン  ―信じる者の最期と影のヒーローの誓い―」
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第62話

 第9層を抜け、第8層への路を辿る間、俺の頭の中では言い残したことが引っかかっていた。

 休憩層で話してもいいはずなのに、どうしても今、口にしなければ気が済まない気がした。


「慧さん」


 重たい空気を切り裂くように、俺は声を絞り出した。

 足音だけが響く暗い通路で、その声は妙に響いた。


「なんだ、阿須那」


 慧は肩で息をしながらも、表情を緩めずに応える。

 顔には疲労の色が濃く、剣を握る指先にかすかな震えが見えた。


「あの時、犯人だと疑ってすみませんでした……」


 先ほどの死闘を経て、お互いの命を預け合った今だからこそ、言わなければと思った。

 パーティーに入った真の理由。

 それは彼の顔を見て、直感的に「犯人かもしれない」と思ったからだ。

 今考えれば恥ずかしいほどの短絡的判断で、自己嫌悪感が胸を塞いだ。


「気にするな。俺もお前を疑ってたからお互い様だ」


 慧は意外なほど素直に答えた。

 その表情には、先ほどまでの緊張感が薄れ、どこか人間味が戻ってきていた。


「ただ怪しいと思ってなんで俺のパーティーに入ったかは気になるがな」


「うっ……」


 思わぬ切り返しに、冷や汗が背中を伝った。

 慧の鋭い観察眼は、疲労で鈍ることはないらしい。


「MPK犯を突き止めたかったていうのは休憩層で聞いたけどよ、それで俺のパーティーに入った理由はなんだ」


 もはや逃げ場はない。

 同じ戦場を駆け抜けた仲間に、正直に答えるしかなかった。


「……。顔が犯人っぽいなと」


 俺は小声でぼそっと呟いた。

 頬が熱くなるのを感じる。


「ぷっ……」


 後ろから蓮の抑えきれない笑い声が漏れた。

 彼は顔だけを後ろに振り向け、笑いを必死に堪えている。

 普段の穏やかな表情が崩れ、肩が震える様子は、この緊張した雰囲気の中で妙に救いだった。


「お、お前! 俺の気にしていることをっ!」


 慧の声には怒りよりも恥ずかしさが滲んでいた。

 普段の冷静な記者の仮面が一瞬だけ崩れた瞬間だった。


「ほ、本当にすみませんでしたあっ!」


 俺は頭を下げる。

 ミステリー小説では悪人面はミスリードにされがちだけど、多分あれは見かけで決めつけるなという教訓なんだろうなと今になって思う。

 ハヤテのような鋭い目を持ち合わせていれば、もっと本質を見抜けたのかもしれない。


「……ったく」


 慧は顔に手を当て、一瞬眉をピクリと動かした。

 彼の表情には諦めと、どこか自嘲的な色が混じっていた。


「まあ、記者としては人相で判断は禁物なんだがな」


 そう言って慧は苦笑した。

 自分も阿須那を疑っていた立場ゆえか、それ以上は責めることはなかった。

 彼の職業倫理が垣間見える瞬間だった。


「そういえば俺からも気になってたんだが、お前のぶつぶつ言ってた独り言。あれなんだよ」


 予想通りの質問が飛んできた。

 この場で嘘をつくよりも、ある程度の真実を話した方がいいだろう。

 俺は用意していた答えを口にした。


「信じられないかもですが、俺には……ずっと傍にパートナーがいたんですよ」


「……はあ?」


 慧の表情が一瞬で固まった。

 半信半疑の色が、彼の疲れた顔に浮かぶ。


「人からは見えない存在なんですけど……ここにいる間も不安に押しつぶされそうな俺を励ましてくれてた存在でした。霧を呼び出したのも彼女のお陰なんです。でも……『絶対戻るから』って言ったきり……ここから離れていきました」


 俺の言葉に、周囲が静まり返った。

 蓮の顔からは笑みが消え、困惑の色が広がる。

 慧は眉をひそめ、葵は黙って聞いている。

 ククルのことを説明するのは難しいが、今はこれが精一杯だった。


「そ、それはちょっと信じるのは怖いんだけど……」


 蓮が声を震わせた。ホルスターに無意識に手を伸ばす仕草は、彼の不安を物語っていた。

 他の二人も同様だろう。

 見えない友達という存在を信じるなんて、常識的な人から見れば異常者のように思われても仕方ない。


 俺は諦めかけていた。だが――


「あたしは信じるよ」


 葵の声が、静かながらも力強く響いた。

 彼女の青い瞳には、真摯な光が宿っていた。


「葵さん?」


「あたしにも天城がいるから……もう、いなくなったけど、それでも私を支えてくれる感覚がするの。あの10層のときも助けてもらったんじゃないかって思う」


 葵は左手の剣を優しく撫でながら語った。

 彼女の指先には愛おしさと悲しみが混じり、その動作には言葉以上の物語が込められているようだった。

 誰かを失った痛みが、その仕草に滲み出ている。


「葵さん……ありがとうございます」


 彼女の言葉に、胸が温かくなった。

 初めて会った頃のクールな印象からは想像できないほどの優しさが、葵には隠されていたのだ。


「俺にはよく分からんねえ。そういうの」


 慧は肩をすくめながら独り言のように囁いた。

 煙草を欲しがるような指の動きが、彼の緊張を物語っている。

 休憩層に着いたら一服するつもりなのだろう。


 そんな会話を交わしながら、俺たちは休憩層へと近づいていった。

 手の届く距離に安全な場所が迫るにつれ、通常なら安堵感が広がるはずだった。

 だが――俺の心の奥には、不安と恐怖が刻一刻と膨らんでいた。


 足取りが重くなり、呼吸が浅くなる。

 汗ばんだ手のひらをズボンで拭う。

 脈拍が早まり、耳鳴りのようなノイズが頭の中に響く。

 全てが「何か」を警告していた。


「やっと休憩層だね」


 蓮の声は安堵に満ちていた。

 彼の肩の力が抜け、普段の柔らかな表情が戻りつつある。


「はあ、ここで数時間は休むか。流石にしんどかったぜ」


 慧もため息をつき、メモ帳を取り出す手にも緩みが見えた。

 彼らの様子は、岩壁を突破した興奮から、ようやく落ち着きを取り戻しつつあることを物語っていた。


 そして俺たちは――休憩層へと足を踏み入れた。

 そこが最後の舞台になるとも知らずに。




「待ってたわ」


 その声は、かつて俺が巾着田ダンジョンで知った弱々しい詩歌のものとは思えなかった。

 冷たく澄んだ声色には、もはや偽りの優しさすら宿っていない。

 まるで氷の彫刻から音が発せられたかのような冷たさだった。


 休憩層への入り口に立つと、その空間の異様さが一瞬で感じ取れた。

 いつもなら温かく、活気に満ちているはずの場所が、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。

 壁からの柔らかな光は健在だったが、その光に照らされるはずの人々の姿はどこにもなかった。


 そして中央に佇む詩歌。


 金色の長い髪が月光のように輝き、洞窟の暗がりの中で妖しく浮かび上がる。

 彼女の瞳は今や無感情な氷のように冷たく、両手を胸の前で組み、まるで祈りを捧げるような仕草で待ち構えていた。


「詩歌!?」


 葵の声が裏返った。

 膝から力が抜け、よろめきながらも言葉を絞り出す。

「どうして……こんなことを……」


 その言葉には憎しみよりも、深い悲しみと混乱が溢れていた。

 裏切られた心の痛みが、葵の青い瞳に映し出されている。


 葵の言葉が途切れた瞬間、詩歌の唇が薄く歪んだ。

 それは笑みと呼ぶには冷たすぎる表情だった。

 まるで人形のような、感情のない動きに見えた。


「MPK失敗したから許してもらおうとでもいうつもりか?」


 慧が警戒心を剥き出しにする。

 その声は怒りというより、裏切られた痛みが滲んでいた。

 彼の右手が剣の柄に伸び、左手はポケットのボイスレコーダーを握りしめていた。


「失敗? そうね、私は確かに10層でやられると思ってた。でも『先生』……『あの人』は違った。必ずここに来るって言ってたの」


 詩歌の声には、どこか崇拝に近い熱が宿っていた。

 「先生」という言葉を口にした瞬間、彼女の瞳には狂信的な光が灯る。


「『先生』?」


 俺は思わず聞き返した。

 その言葉はククルが詩歌の連絡を盗み聞きしたときに聞いた言葉だ。

 何者なのか、そして「革命」とは何を意味するのか――答えを求める前に、詩歌は続けた。


「だから二重の手を打ちなさいってこれをくれたの。ふふ、標的はあなたたちだけだから他の人たちは追い出したわ。最後の舞台としてもここは相応しいじゃない?」


 そう言って詩歌が取り出したものは、銀のペンダント。

 半円上の銀の装飾が特徴的な、どこか医療器具のようにも見える奇妙な形状をしていた。

 その表面に複雑な模様が刻まれ、微かに青い光を放っている。


「ここまで協力してくれたもの……今度は私が『あの人』に協力する番」


 詩歌は銀のペンダントを高く掲げた。

 その動作には、儀式的な厳かさがあった。

 彼女の表情が一段と冷たく、鋭くなる。

 金色の髪が宙に浮かぶように広がり、まるで生命を持ったかのように揺れ動いていた。


「虐げられる者から虐げる者へ。騙される方から騙す方へ。世界を……『革命』する!!」


 その言葉と共に、銀のペンダントから青白い光が溢れ出した。

 光は休憩層全体を包み込み、壁や床から光の帯が浮かび上がる。

 空気が重く、粘着質に変わり、呼吸するだけで体力を奪われるような感覚が俺たちを襲った。


 そして、光が集まった場所から、何かが形を成し始めた――何か、恐ろしいものが。

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