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中二病の俺が影のダンジョンヒーローを目指していたら、変てこな幽霊と不思議な股旅に出会う  作者: 本尾 美春
最終章「東京タワーダンジョン  ―信じる者の最期と影のヒーローの誓い―」
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第61話

 迫り来る夜の闇に彩られた東京の街並みを、一人の男が疾風のように駆け抜けていた。


 三度笠を深く被った姿は、現代の風景に不釣り合いな古めかしさで浮き上がり、道ゆく人々の視線を集めていた。

 股旅姿のハヤテは、代々木ダンジョンから全速力で飛び出し、周囲の景色をほとんど認識する間もなく前へ前へと突き進んでいく。


 代々木から東京タワーへ――彼の足取りは焦りと恐怖に駆られたように乱れていた。


「間に合わない……このままじゃ決して間に合わない!」


 ハヤテの声には、これまで聞いたことのない緊迫感が込められていた。

 8層の休憩所から地上まで僅か60分足らず。通常なら4~5時間はかかる距離を、彼はまるで命を削るような速さで駆け抜けてきた。

 だが、それでも不十分だと感じていた。


 東京の夜景が目の前に広がる頃には、彼の呼吸は荒く、汗が道中合羽を濡らしていた。

 ダンジョンを出た瞬間に身体能力は一般人レベルまで落ち、それが焦燥感に拍車をかける。


「『あの人』がいるなら、二重三重の罠を張っているはずだ……」


 ハヤテの頭の中では、過去の記憶と現在の状況が重なり合い、恐ろしい予感が確信へと変わっていた。

 休憩層の安堵感。通信遮断の不安。

 これらを巧みに利用した罠。

 全てが繋がり始めていた。


「阿須那……」


 若者の名を呟いた瞬間、ハヤテの瞳に一瞬だけ迷いが宿った。

 目の前に立つ阿須那の姿が、過去の誰かの面影と重なって見えたことで、胸が締め付けられるような痛みを感じる。


「そこまでして『僕』を殺したいのか、『あいつ』はっ!!」


 叫びが夜の静寂を破った瞬間、長年維持してきた「ござんす」の仮面が砕け落ち、素の「僕」という言葉が流れ出た。

 股旅の装いの下に隠された本当の姿が、わずかに顔を覗かせる。


 ハヤテはそれに気づくと、一瞬だけ動きを止め、深く息を吸い込んだ。

 己の感情を抑え込むかのように、目を閉じる。

 だが次の瞬間、彼の耳に風のような、かすかな声が届いた。


「……?」


 彼は突然立ち止まり、周囲を見回した。

 足音が止まり、時間が凍りついたように静かになる。

 その声は弱々しく、まるで別の世界から届くエコーのようだった。


「誰だ……?」


 呟くように問いかけると、風に乗って届く声は、彼が知る誰かのもののように感じられた。


 

 ◇◇◇


 

「蓮……」


 葵の目から涙がぽたりと零れ落ちる。

 大きな剣を背負っていた彼女の肩が震え、そのクールな仮面が砕け落ちていた。

 蓮は彼女の肩に腕を回し、優しく寄せる。


「まだ……信じられないの。詩歌が裏切ったなんて……受け入れることができない」


 葵の声は蜂蜜を通したような透明感のある悲しみに満ちていた。

 震える唇からこぼれる言葉には、深い傷の痛みが込められている。

 通信室の薄明かりが彼女の藍色の髪を柔らかく照らし、流れ落ちる涙が石の床に小さな水たまりを作っていく。


「うん、僕もだよ。受け入れるしかないけども……ゆっくりでいいから。今はいっぱい泣くんだ。みんな誰も責めないから」


 蓮の声には珍しく真摯さが宿り、普段の軽薄な雰囲気は消えていた。

 彼の腕が葵の肩を包み込む様子は、まるで長い年月をともに過ごした仲間を慰めるかのようだった。

 彼の黒髪が葵の青い髪に触れ、その対比が妙に印象的だった。


「ありがとう……」


 葵の声はかすれ、蓮の肩に顔を埋めるように身を寄せた。

 彼女の両手が震えているのが、わずかに見える。


「だがこれで戻れば事件は解決だ。通信機能が使えたら今報告できたんだがな……」


 慧が左ポケットから取り出したのは小型のボイスレコーダーだった。

 蛍光灯の下で金属部分が冷たく光る。

 まるでその小さな機械に、全ての真実が閉じ込められているかのように。


「撮ってたのか? いつの間に……」


 俺は驚きのあまり目を見開いた。

 何気ない動作で録音を始めていたとは。

 危機的な状況でも冷静に証拠を集め続ける慧の鋭さと用意周到さに、一瞬だけ感嘆の念が胸をよぎる。

 彼がCランクだと偽っていた理由が、少しずつ見えてくるようだった。


「辛いが、警察に突き出した方が身のためだ。そして……彼女のためにもなる」


 慧の声は冷静を装っていたが、その奥には悲痛な響きが隠されていた。

 彼のメモ帳を握る指先が、わずかに震えている。

 鋭い眼差しの奥に、どこか深い悲しみを秘めているようだった。


「うん、そうだね……」


 蓮も同意する。彼の声には疲労感が混じり、普段の余裕は消えていた。


 葵は黙って頷くだけだった。

 その表情は辛そうだが、決して反対はしない。

 ただ金色の髪を持つ少女の姿が、忘れられないように思い返していた。


 しかし、俺の頭の中ではいくつかの疑問が渦巻いていた。




「詩歌。でも冷静になって考えてみると可笑しな点があるんです」


 俺は声を落ち着かせて慧に尋ねる。

 心臓はまだ早鐘を打ち、先ほどの死闘の疲労が全身を包んでいたが、冷静に考える必要があった。


「ああ」


 慧はすぐに頷き、声を落とした。

 彼の表情が一瞬引き締まる。


「あの10層の様子だ」


「どういうこと?」


 葵が顔を上げ、二人の間で交わされる会話に耳を傾けた。

 彼女の瞳には涙の跡が残っていたが、その目は鋭く、探り探るような光を宿していた。


「詩歌はMPKを仕掛けるような不審な行動は一切してなかった。なのに、あれだけのモンスターが突然現れた」


 俺は静かに答える。あの瞬間の恐怖が鮮明に蘇る。

 モンスターたちの黒い液体、侵食された床、赤く輝く瞳。

 あの恐怖の記憶は、そう簡単には消えそうにない。


「そして、あの……女性の声」


 慧の顔には困惑の色が浮かんでいた。

 その眉間にはしわが寄り、探索者としての経験と記者としての勘が、何かの違和感を察知しているように見えた。


「……そういえば」


 蓮がゆっくりと顔を上げる。

 その瞳には新たな疑問が浮かび始めていた。

 小刻みに震える瞳孔が、彼の内なる不安を物語っていた。


「俺が推測できるのは共犯者の存在くらいだが……」


 慧は眉を寄せ、メモ帳をポケットに戻しながら言った。

 彼の声には確信と疑念が入り混じっていた。

 探索者としての分析眼と記者としての鋭さが、この状況の背後に何かを見出そうとしていた。


「でもあんなこと……『人間』が出来ることなんですか?」


 俺は疑問を口にする。

 あの時見た光景、聞いた声——それは人知を超えたものだったのではないかという恐れが心の奥に広がる。

 背筋に寒気が走る。


「特殊な装置を使ったか。何かしらのスキルを使ったか……かな?」


 蓮は推測を述べるが、その表情には自信のなさが滲んでいた。

 両腰のホルスターに手を添え、不安を隠そうとするような仕草が見える。


「考えられるのはそのくらいか。スキルといえば詩歌の岩壁だが……俺はあのスキルを知っている」


 慧の声はわずかに低くなり、まるで悪い知らせを伝えるように慎重になった。

 彼の表情からは探索者界隈に精通する者の知識が窺えた。


「え? 知ってたんですか!?」


 俺は思わず身を乗り出した。

 そんな重要な情報を持っていたとは。


「ネットで調べてたら似たスキルがあった。『ストーンウォール』ってスキルで自分以外の進路を妨害するやつだ」


 慧の説明は論理的で明確だった。

 その知識の確かさに、記者としての側面を垣間見る思いがした。


「だから詩歌はすり抜けたんだね……」


 蓮はゆっくりと理解し、頷いた。

 彼の顔には悲しみと共に、新たな疑念が浮かんでいるようだった。


「少し回復したら進もう。あとは休憩層で全回復すればいい」


 慧は立ち上がり、その姿勢には新たな決意が宿っていた。

 彼の肩にはまだ傷痕が残り、自動回復の効果が及んでいない箇所もあったが、それでも前進する意志は揺るがなかった。


「うん、わかった」


 葵も蓮も同意し、ゆっくりと立ち上がる。

 肩を支え合うような二人の姿が、暗い通信室の中で浮かび上がっていた。


 俺は黙って頷いたが、心の奥底では何かが引っかかっていた。

 この直感は何を意味するのだろう。

 あの岩壁の向こうの世界で、ククルは何を見つけたのか。そして詩歌は——。


(地上へ帰れば……本当に終わるのか?)


 そんな疑問が胸の内で膨らみ始め、不安の波が押し寄せてくる。

 こんな簡単に終わる話ではない気がしてならなかった。


 俺は立ち上がりながら、白い霧に包まれていくククルの姿を思い出していた。


「あいつ、本当に戻ってくるって言ったよな……」


 そう呟きながらも、岩壁の向こうに何があるのか、ククルはどうなってしまうのか——答えのない問いが脳裏を駆け巡り続けていた。

 胸に手を当て、不規則に鼓動する心臓を感じながら、俺は先へ進む決意を固めた。


 この地下深くに潜む真実が、これからどんな試練をもたらすのか——それを知るには、前に進む他なかった。

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