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第60話

 「戦の欠片」の出現と共に、洞窟内の空気が凍りついたように重くなった。

 その存在だけで、モンスターたちでさえ畏怖している様子が窺える。


 俺は生まれて初めて見る圧倒的なオーラに、一瞬だけ足が竦んだ。

 しかし、すぐに気を取り直した。ここで怯むわけにはいかない。


「……見せてもらおうか、10層の守護者の力とやらを」


 冷静さを装って言ったものの、額には緊張の汗が滲み始めていた。


 戦場の混沌の中、最も目を引く敵は三種類だった。


 「平和を喰らう者」——白い鳩の姿をした群体が黒い墨のように変形する不気味な存在。

 その羽毛の隙間からは常に黒い液体が滲み出し、飛翔するたびに床に落ちた滴は小さな穴を開け、周囲を侵食していく。

 まるで東京が戦争で焼け野原になった記憶そのものが具現化したかのようだ。


 「怨霊鎧」——紫の霧を纏った古い武士の鎧が、中身のないまま浮遊する亡霊。

 霧の内側には無数の黒い糸が蠢き、霧が薄れるたびに糸が周囲に伸び、触れたものから色を奪っていく。

 鎧の隙間から覗く紫の瞳には、言い表せない怨念が宿っていた。


 そして、最も恐ろしい「戦の欠片」——黒いサムライの姿をした鬼武者で、この群れの支配者とも言える存在。

 その足跡には黒い水たまりが残り、それらは時間とともに結晶化し、空間そのものを蝕むように拡がっていた。

 剣には幾多の亡者の呻き声が宿り、刀身から黒い霧が立ち昇っている。




「フ……フフフ、アハハハハ!!」


 突如、蓮が笑い出した。

 その眼は今までの温和な色を失い、狂気に近い興奮に満ちていた。

 常に軽薄で穏やかな彼の顔が、まるで別人のように変貌している。


 俺は背筋に悪寒を感じた。

 あの穏やかな青年が、こんな顔をするなんて。


「面白い! こうでなくちゃ! こういう逆境の状態じゃないと盛り上がらない! 派手に殺し合いのパーティーといこうじゃないかっ!!」


 蓮の動きが変わった。

 それまでの慎重さが消え、まるで別人のような大胆さを見せ始める。

 彼は突如前線に飛び出し、二丁の銃から目にも留まらぬ速さで弾丸を放つ。


 その精度は常軌を逸しており、「平和を喰らう者」たちの赤い目を次々と撃ち抜いていく。

 ホルスターから取り出した銃は、まるで彼の手の延長のように滑らかに動き、空間を切り裂くように銃弾が走る。


「おいおい……あれが蓮の隠してた本気か」


 慧が驚きの表情を浮かべる。

 彼の顔には困惑と共に、何かを察したような鋭さがあった。


「彼を前衛に出して!」


 俺は判断を下す。この新しい戦力配置が最適だと直感した。


「慧、葵は傷ついた敵を確実に仕留めるんだ!」


「了解!」




 慧が前に出る。

 だが、彼の動きには妙な違和感があった。

 「怨霊鎧」の攻撃で受けた傷が少しずつ癒えている——いや、自然治癒とは違う。

 まるで時間を巻き戻すかのように傷が閉じていく。

 黒く侵食された皮膚が本来の色を取り戻していく様は、まるで映像を逆再生しているようだ。


「俺も色々隠してましたけど、慧さんも人のこといえませんよね」


 俺は小声で言う。

 この状況で互いの秘密を暴き合っても仕方ないが、やはり気になる。


 慧は薄く笑った。

 その顔には、長年の秘密を持つ者特有の諦めが浮かんでいた。


「昔稼いでた金で買ったやつさ。『HP自動回復+100%』だ。なかなかの値段だったぜ」


 Bランク以上なら1〜2枚は稼いだお金を元手にスキルカードを買うことは珍しくはない。

 しかしCランクだと、そんな高価なカードを買える金銭的余裕はないはずだ。

 彼は昔一体何をしてきた人なのだろう。

 その表情の奥には、語られない数々の物語が隠されていた。


「それでさっきの電撃ダメージも……」


「ああ。今はそんなことより、あいつを何とかしないと」


 慧が視線を向ける先には、「戦の欠片」が立ちはだかっていた。

 その巨大な姿は、まるで戦場そのものを支配するかのようだった。


 「戦の欠片」が剣を一閃する。

 その刀身から放たれた衝撃波が床を抉り、慧を直撃した。

 盾で受け止めようとしたが、その威力はあまりに強大で、慧は後方へ吹き飛ばされる。

 鎧の隙間から黒い血液が飛び散り、床に落ちるとジュッと音を立てて溶けていく。


「慧!」


 葵の叫びが響く。

 その声には純粋な恐怖と、何か別の感情——深い喪失感のようなものが混じっていた。


「大丈夫だ、こんなの……!」


 慧が立ち上がろうとするが、「戦の欠片」の第二撃が彼を再び床に叩きつける。

 彼の体が壁に叩きつけられ、衝撃で壁にヒビが入った。




 それを見た瞬間、葵の表情が一変した。


「このまま……」


 葵の目に怒りの炎が灯る。

 穏やかだった青い瞳が、まるで凍りついた湖のように冷たく変わり、同時に激しい怒りの炎が宿った。


「また私から奪うのか……!」


 彼女の左手の剣が鈍く光を放った。

 「天城」と刻まれた剣が、まるで持ち主の感情に応えるかのように振動し始める。

 その刀身から漏れ出す青い光が、彼女の体を包み込むように広がっていった。


「私の大切な人も、こうやってモンスターに殺された……」


 葵の声が低く、怒りを秘めている。

 普段のクールさは消え、その代わりに激しい感情の嵐が表面に現れていた。

 彼女は身を震わせ、目には涙さえ浮かんでいた。


「またそうやって繰り返すつもり? 私の前で! やってみなさいよ! 殺してやるからあ!」


 葵の二剣が閃光のように輝く。

 彼女の動きは風のように軽やかさを増し、「怨霊鎧」に向かって飛び込んだ。

 両方の剣で打撃を与え続ける様は、まるで舞踏のように美しく、同時に恐ろしいほどだった。


 特に左手の「天城」の剣は、まるで意思を持つかのように的確に紫の霧の核心を捉え、「怨霊鎧」を一体、また一体と確実に倒していく。

 剣が鎧を貫くたびに、紫の霧が爆発的に拡散し、やがて消えていった。


 倒された「怨霊鎧」は紫の霧を残したまま動きを止めた。

 霧は床に降り注ぎ、黒い水溜りとなって残る。

 その水溜りさえも、「天城」の剣が近づくと、まるで恐れるかのように消えていく。


「あれは……復活しないのか?」


 俺が驚きの声を上げる。

 これまでの攻撃では一時的に動きを止めるだけだったのに、葵の剣による攻撃は完全に敵を倒している。


「葵の左の剣には特殊な力があるんだ」


 蓮が説明する。

 彼の首筋の黒い斑点も薄れつつある。

 いつもの軽薄な笑顔は戻らず、その代わりに興奮に満ちた表情が浮かんでいた。

 その目は獲物を捕らえた猟師のように鋭く、同時に愉悦に満ちている。


「そういえば彼女は言ってたな。『天城』は友人の形見だって」


 葵の猛攻により、側面の「怨霊鎧」たちが次々と倒されていく。

 彼女の剣は光の軌跡を描き、紫の霧の中心部を正確に捉える。

 その一撃一撃には感情が込められ、まるで誰かへの思いを剣に託しているかのようだった。


 だが、その代償は大きかった。

 彼女の動きは次第に鈍り、呼吸は荒くなっていった。

 左腕には蝕種との接触によって黒い血管状の筋が浮き上がり、その部分から血が滲み出していた。

 彼女の顔は蒼白になり、一度踏み出した足が震え始めた。


「阿須那!」


 慧が叫ぶ。

 彼の顔に浮かんでいた傷はほぼ完全に消え、体勢を立て直していた。


「蓮と葵で道を開ける。その間にボスを!」


「分かった!」


 俺は戦場の混乱を利用して、徐々に「戦の欠片」へと近づいていく。

 葵の怒りの嵐と蓮の精密射撃により、敵の数は確実に減っていた。

 【光明(セイクリッド・)破天(ブレードライザー)】で道を切り開き、【神の裁き(ジャッジメント)の矢(ピアサー)】で遠距離から牽制しながら「怨霊鎧」の数も減らしていく。


 光の矢が暗闇を引き裂き、怨霊鎧を貫くと、その中から解放されるように無数の小さな光が溢れ出た。

 まるで封じ込められていた魂が自由になったかのようだ。




 ついに「戦の欠片」との距離が縮まった。

 巨大な武者の姿が俺の前に立ちはだかる。

 黒い甲冑と鬼の面が、洞窟の薄闇の中で不気味に輝いていた。

 甲冑の隙間からは黒い靄が常に湧き上がり、その周辺だけ微妙に現実がずれているように見えた。

 まるで空間そのものが歪んでいるかのようだ。


 「戦の欠片」が一撃を繰り出す。その剣は空気を切り裂き、俺を両断せんとする。

 風の音さえも聞こえるほどの速度で振り下ろされた剣が、わずか数センチの距離まで迫っていた。


「速い……だけど、ハヤテよりもずっと遅い!」


 俺は一歩後ろに下がり、剣を避ける。

 まるで予測していたかのような動きだった。

 これまでの数々の戦闘経験が、この瞬間のために俺を鍛えてきたように。


神の裁き(ジャッジメント)の矢(ピアサー)


 光の矢が「戦の欠片」を貫く。

 黒い甲冑に開いた穴から、眩い光が漏れ出した。

 だが、黒いサムライはわずかに動きを止めただけで、すぐに次の攻撃を繰り出してきた。

 光の矢が刺さったままなのに、甲冑は自己修復するように黒い靄が穴を覆い始める。


 矢が刺さった場所から黒い液体が流れ出し、床に落ちては小さな穴を開けていく。

 その液体は生き物のように蠢き、床を伝って俺の足元へと近づこうとしていた。


 俺は焦りを感じながらも冷静さを保とうとする。

 ここで取り乱せば死は免れない。


「なら次だ!」


封絶の(エターナルクリ)水晶牢(ムゾンプリズン)


 光の粒子が集まり、「戦の欠片」を取り囲む結晶の檻を形成する。

 虹色に輝く透明な檻の中で「戦の欠片」は動きを止め、その面からは怒りの表情が浮かび上がっていた。

 鬼の仮面の目から赤い光が漏れ出し、まるで檻の外にいる俺を睨みつけているようだ。


 結晶が内側から割れ始める。

 「戦の欠片」の剣が赤く光り、結晶を内側から破壊していく。

 ヒビが入った箇所からは黒い靄が漏れ出し、光の檻を侵食していく。


「くっ、まだか!」


 最後の手段。

 俺は両手を天に掲げ、全身の魔力を解き放った。

 スキルブックの最後に残された力を、全て解放する時だ。


神罰(ジャッジ)の聖痕(メントクロス)


 天井から巨大な光の十字架が現れ、結晶の檻を突き破って「戦の欠片」を貫いた。

 黒いサムライの体が眩い光に包まれ、その全身から光が溢れ出す。

 激しい光の爆発が洞窟を覆い、一瞬、全てが白く染まる。

 まるで閃光弾が炸裂したかのように、全員の視界が一時的に奪われた。


 爆発が収まると、「戦の欠片」は膝をついていた。

 黒い甲冑には無数のヒビが入り、鬼の面は半分砕けていた。

 その隙間からは光と闇が交錯しながら溢れ出し、周囲の空間を歪めている。

 だが、まだ完全に倒れてはいない。


 ヒビの入った甲冑が徐々に修復され始め、砕けた鬼の面が再び形を成していく。

 黒い靄が周囲を覆い、「戦の欠片」の力が再び増していく。


「これが……最後の魔力だ!」


 最後の魔法を紡ぎ出す。

 スキルブックの最後のページが開かれ、漆黒の力が噴き出す。

 光ではなく闇の力——それが「戦の欠片」を倒す最後の切り札だ。


漆黒(アビス)の審判(ブレット)


 闇の弾丸が俺の指先から放たれ、「戦の欠片」の面を直撃する。

 鬼の面が砕け散り、中から無数の魂が解放されるように光が溢れ出す。

 同時に、黒い粒子の嵐が爆発的に拡散し、周囲の空間そのものが侵食されていくような歪みが生じた。

 光と闇が交錯する奇妙な光景が、洞窟内に広がっていく。


 「戦の欠片」は静かに崩れ落ち、その体が黒の粒子となって消えていく。

 最後の刹那、幻聴なのか、崩れゆく武者の口から言葉が漏れ出た気がした——「解放、された……」


 崩壊した場所には黒い水たまりだけが残り、やがてそれも床に染み込むように消えていった。




 静寂が戦場を覆う。


 四人は息を荒げながら、互いの顔を見つめた。

 全身は傷と汗でまみれ、疲労が限界まで達している。

 衣服や肌には黒い斑点や筋が無数に残っている。

 だが、その斑点や筋は少しずつ消えていく。

 目に宿る光は消えていなかった。


「勝った……のか?」


 蓮が周囲を見回す。

 その目からは狂気的な高揚感が薄れ、通常の穏やかさが戻りつつあった。

 黒い粒子の残骸に染まった床は、まだらに黒く変色していたが、少しずつ消えていくのが見える。


「ああ、全部倒したようだな」


 慧が肩で息をしながら答える。

 彼の顔には細かな黒い筋が網目状に浮かび、少しずつ消えかけていた。

 彼の剣には黒い血が付着し、握り締めた手が微かに震えている。


「でも……出口は」


 葵が壁を指差す。

 彼女の怒りの表情は消え、再び普段のクールな表情に戻りつつあった。

 左腕の痣はより鮮明に浮かび上がり、「天城」の剣からは微かな青い光が漏れていた。




 岩壁はそのままだった。逃げ場はない。


「俺にはもう、魔力が……」


 俺は力尽きたように膝をつく。

 スキルブックの力は使い果たし、今は一片の光も放っていない。

 ただの古い本のように見える。


「大丈夫だ、俺たちに任せろ。最後の力を振り絞って壁を壊すぞ」


 慧と蓮と葵は疲れた体に再度の鞭を打つように壁を打ち付ける。

 慧の刀が岩を削り、蓮の銃弾が壁を穿ち、葵の二剣が岩を砕く。


 多少時間はかかったが、何とか人一人が通れる穴が出来た。


「やれやれ、これでようやく……」


 蓮が安堵の表情を浮かべる。

 彼の顔は通常の温和さを取り戻し、あの狂気的な笑みは消えていた。

 だが、その目の奥には何かが潜んでいるようにも見えた——自分の中に宿る別の何かを、彼自身も恐れているのかもしれない。


 穴の向こう側を覗いても、岩の向こうに人影はなかった。


「通信室だけは絶対に敵は出ない。ここで少し休息をしてから休憩層を目指そう」


 慧がリーダーとして的確な指示を出す。

 彼の表情は冷静さを取り戻していたが、どこか物思いに沈んでいるようにも見えた。


「またMPKを仕掛けるとかないよね……?」


 蓮が不安そうに尋ねる。

 その声には疲労と共に、何かから逃れられないという諦念が混じっていた。


「一応、そのための回復はした方がいいが……8層と9層で敵を集めるのは至難だと思う」


「……」




 俺は言葉を発さなかった。

 これで終わったのだろうか。

 MPKを失敗させることが出来た。

 だが、この先に何があるのか。あの金髪の少女が、また何かを仕掛けてくるのではないか。


 室内の空気が重く沈む。

 安堵すべき脱出の喜びよりも、これから起こりうる何かへの恐怖が濃密に漂っていた。


 まだ、終わってない——そんな予感が俺の心に重くのしかかっていた。

 明かりの灯った通信室の奥に、次なる試練が待ち受けているような不安を感じずにはいられなかった。

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