表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/153

第53話

「……」


 安心する三人と対称的に、俺は更に不安が増した。

 頭の芯が凍りつくような恐怖が全身を駆け巡る。


 つまりこの先は詩歌が道案内することになる。

 その金色の髪をした少女が示す道を、俺たちは盲目的に進むことになる。


 もし彼女がMPKに関わってたら、彼女の手のひらに踊らされることになる。

 目の前で起きた小さなやり取りが、自分の命を握る伏線になるかもしれないという恐怖が背中を這い上がる。

 冷や汗が首筋を伝い、シャツの襟元が湿っていくのを感じた。


「アスちゃん、大丈夫だよ」


 ククルのふわりとした声が耳元で囁いた。

 その声には、いつもの茶目っ気はなく、真摯な決意が込められていた。

 彼女の半透明の体が、わずかに明るく輝いているように見えた。


「ククル?」


「ククルが詩歌より先行して様子見るよ。危なかったらすぐ知らせるから。元気出して!」


 ククルは小さな拳を握りしめ、力強く頷く。

 その瞳には、初めて出会った日には見せなかった強さが宿っていた。

 彼女の表情は、いつもの気まぐれな少女のそれではなく、まるで戦うことを決意した戦士のようだった。


「あ、ああ……」


 四人にバレないように言葉少なに返事をした。

 視線を落とし、あくまで自然な態度を装う。

 だが心の中では、強い安堵と感謝の気持ちが広がっていた。


 良かった、ククルがいてくれて。


 一人だけの戦いじゃない。

 この底なし沼のような不安の中で、ふわりと浮かぶ灯り。それがククルだった。

 彼女の存在だけで、崩れそうになる心に支えができる。


 だけど……いつかはその光も消えるかもしれない。


 「怖かったら逃げろ」と自分で言ったのだ。

 無残な光景を見たあの時、彼女があまりの恐怖に青ざめ、言葉を失っていた姿が脳裏に焼き付いている。

 もう二度と、あんな表情を見たくない。


 そうなっても俺は絶対に責めないけど、いざそうなったら俺は耐えられるだろうか。

 彼女が消えた後、自分だけで立ち向かう勇気が自分にあるのか——その不安が、まるで闇そのものが形を成したかのように俺の前に立ちはだかっていた。




 第6層の鉄骨の大迷宮を、詩歌を先頭して俺たちパーティーは進行していく。


 無限とも思える赤い鉄骨の迷路。

 足音が金属に響き、それが幾重にも反響して方向感覚を狂わせる。

 天井からは時折水滴が落ち、その音が不規則なリズムを刻んでいく。


 迷宮の攻略をメインとしているせいか敵は少なめだ。

 だがどの通路も同じ赤い鉄骨、同じ曲がり角、同じ袋小路に見える。

 交差点には何の目印もなく、床の感触も壁の質感も全て同じ。

 これはスマホなしでは確かにきつい。


 詩歌は迷いなく道を選び、時折スマホの画面を確認しては方向を指示する。

 その姿に何の不安も見えない。

 それは単に彼女が自信を持っているからなのか、それとも——。


 本当なら、俺たちを迷わせ陥らせようとするのではと疑心暗鬼に駆られるところだったが、ククルは更に先行して罠がないか確認してくれている。

 彼女の半透明の体が壁をすり抜け、先の様子を探る姿に、俺は何度も助けられたような気持ちになった。


 それだけでも安心感が段違いだった。

 ククルがいて良かったと心底思う。


「ククルに頼りっぱなしだな、俺……」


 心の中でそう呟く。

 正直男として情けないと自嘲する。

 ククルだって俺と同じで不安と疑念に苦しんでるはずなのに。

 彼女は怖いものが苦手で、冒険よりもアイスクリームが好きな幽霊少女なのに。


 そうだな……情けないな、ヒーローとして。

 ここでMPK犯に屈するわけにはいかないだろう。

 俺が目指す影のヒーローはこの程度の不安で押しつぶされる奴じゃないだろう。

 ハヤテだって俺を信じて、このダンジョンを任せたのだろう?


 そう自分に言い聞かせる。

 それで潰されそうになった心は戻ってくるわけじゃないが、自己暗示としての効果はでかかった。


 俺は目を見据える。大丈夫だ、俺は進める。

 たとえ前が見えなくても、一歩ずつでも前に進む。

 それが今の俺にできることだ。


 そして——。


「やっと見えてきた。休憩層への階段だ!」


 安堵の色を滲ませる声が階段に向かって響いた。

 慧の声には珍しく感情が込められていた。

 全員の表情が一瞬で明るくなる。

 疲れ切った体に一筋の光が差し込むような解放感だった。




 第7層は東京タワー展望台を再現したような巨大な円形空間だった。


 円形の広間には古びたテーブルと椅子が整然と並び、壁一面が巨大な窓のように設計されている。

 天井からは柔らかな光が降り注ぎ、床は磨き上げられた大理石が敷き詰められていた。

 空気は清浄で、下層の湿った匂いは嘘のように消え、かすかに花の香りさえ漂っていた。


「すごい……」


 葵の声が小さく漏れる。

 彼女の目には子供のような驚きが浮かんでいた。

 彼女のクールな仮面が一瞬だけ剥がれ落ち、素直な感動が表情に現れる。


「殺人事件のせいとはいえ、ここまで人がいないのはレアだわ」


 普段なら観光客や探索者で賑わうはずの休憩層も、今日は彼らだけだった。

 それは幸運なことのようでいて、どこか不気味さも感じさせた。


 窓際に設置された真鍮の望遠鏡のようなものを詩歌が見つけた。

 その光沢のある金属が、彼女の金色の髪と同じ輝きを放っていた。


「これ望遠鏡、ですか?」


「ああ、それな。面白いもんが見られるぜ」


 慧がスイッチを押すと、窓の外の景色が変わった。

 その変化は唐突で、まるで映画のシーンが切り替わるかのようだった。


 東京の過去と未来の姿が次々と映し出される。

 江戸時代の街並み、建設中の東京タワー、高度経済成長期の活気ある東京、そして——。


「? この風景なんだ?」


 窓の向こうには、半透明のガラスと光のリボンで形作られた建物が宙に浮かび、小さな飛行物体が飛び交っている未来都市の姿があった。

 背の高い塔は雲を突き抜け、街全体がまるで生きているかのように脈動していた。


「これな、研究者が言うには未来の東京の姿らしいぞ」


 慧が説明した。彼の顔には少年のような好奇心が浮かんでいた。


「あくまで可能性の一つらしいがな」


 その言葉には微かな皮肉が混じっていた。

 彼の眼差しには、その未来を信じきれない何かが宿っていた。


「よし、ここから全回復するまで休息だ。みんな好きなように過ごしていいぞ。何ならカフェも使っていいからな」


 慧の指示に全員が頷く。

 長い迷宮に疲れた体を、それぞれの方法で休める時間だ。


「カフェもあるの?」


 詩歌の目がキラキラが輝きだした。

 その表情はあまりにも無邪気で、MPKの犯人とは思えない純粋さがあった。

 だが、その無邪気さこそが最大の仮面なのかもしれない。


「探索者がビジネスでやってるぞ。すっげえ金かかるけどな!」


 後半のセリフはわざとらしく慧が大声で叫んだ。

 その声は広間に反響し、カフェカウンターに座る男の耳に届いた。


「……聞こえてるぞ、兄ちゃん」


 休憩層中央にはカフェカウンターがあり、中年の男性店員が温かい飲み物を淹れていた。

 彼の無精ひげと疲れた目は、この層で長く働いてきた証のようだった。


「当たり前だ。聞こえるように言ってるんだからな。文句あるなら値下げしろ」


 慧が愚痴るように店員に語り掛ける。

 だがその言葉にも長らく交流してきた親しみが感じられた。

 まるで兄弟のような、気の置けない関係性が見て取れる。


「無茶いうな。材料を仕入れるだけでも一苦労なんだぞ」


 店員がちらりとカウンター内に視線を向ける。

 そこには「ダンキャット便」と書かれたダンボールが積まれていた。

 箱の側面にはネコの足跡のようなロゴが描かれている。


「ダンジョン猫 (ダンジョン専用宅急便)使ってるからだ。……ったく」


 慧は呆れながら片手で顔を覆った。

 彼の表情からは、これが彼らの間で何度も繰り返されてきた会話であることが窺えた。




 俺たちはそれぞれ休息を楽しむことにした。


 休憩時に葵は二本の剣を取り出した。

 右手の剣はいつもの手入れ道具で磨き始めたが、左手の剣には特別な布を取り出し、まるで生きた存在に触れるかのような優しさで拭き始めた。

 その表情には、通常の葵からは想像できない柔らかさと慈しみが浮かんでいた。


「その剣、随分と大切にしてるのね」


 詩歌が好奇心に満ちた目で尋ねた。

 彼女は葵の横に座り、剣に映る自分の姿を見つめている。


 葵の手が一瞬止まり、遠い目をした。

 その瞳には、言葉にできない痛みと喪失が映っていた。

 まるで大切なものを失った人特有の、どこか虚ろな光を宿している。


「……ただの習慣よ」


 そう言いながらも、左手の剣の柄に刻まれた小さな名前を、指先でそっと撫でるのを俺は見逃さなかった。

 その仕草には、言葉以上の想いが込められていた。

 過去の記憶と今の現実を繋ぐ、唯一の絆のように。


 葵が席を外したタイミングでククルが囁いた。

 彼女は俺の耳元に近づき、誰にも聞こえないように小声で言う。


「アスちゃん、その剣、名前が刻まれてるの見えた?」


「ああ、でも読めなかった」


「『天城』って書いてあったよ」


 ククルの声は珍しく真剣だった。まるで何か重要な意味を持つ言葉を告げるように。


 知らない名前だ。

 彼女にとって何か深い意味のある名なのだろうか。

 大切な人の名前、あるいは失われた何かの象徴かもしれない。

 葵の背負う物語を知る鍵が、その剣に刻まれているようだった。


 そして、しばらくして詩歌の姿が見当たないことに気づいた。

 テーブルに置かれた彼女のカップからは、まだ湯気が立ち上っている。


「詩歌さんはどこ?」


「家族に無事の報告をしたいって」


 蓮が隅の仕切られた空間を指差した。

 プライバシーを確保するために設けられた小さなブースだ。

 そこには「通信ブース」と書かれた札が掛けられている。


 ククルが様子を見に行く間、慧が俺に近づいてきた。

 彼の足音は静かだが、確かな存在感を放っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ