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第51話

 5層への階段を下りながら、俺は不意に蓮の動きに目が留まった。


 彼は普段は軽快に動くのに、階段の踊り場で一瞬だけ立ち止まり、何かを確認するように周囲を見回していた。

 その目は普段の茶目っ気ある表情とは違い、冷静に状況を分析するような鋭さを帯びていた。

 まるで別人のように変貌した姿に、一瞬背筋に冷たいものが走る。


 しかし俺と目が合うと、すぐにいつもの気さくな笑顔に戻る。

 その切り替えの速さに、俺は小さく息を呑んだ。


「どうしたの? 何か気になることでも?」


 蓮の声には軽やかさがあるが、その瞳の奥には何かが潜んでいる。

 表面的な明るさの背後に、計算高い観察眼が隠されているように感じた。


「いや、なんでもない」


 俺は軽く返したが、心の中で疑問が膨らんだ。

 彼の素の表情はどちらなのだろう?

 軽薄な態度は演技なのか、それとも鋭い観察眼を隠すための仮面なのか?




 螺旋階段を下りると、突如として広大な空間が開ける。


 第5層は東京タワーの内部構造をそのまま地下に埋めたような鉄骨の森だった。

 赤く錆びた鉄骨が天井から床まで無数に張り巡らされ、その隙間から青白い電気の光が漏れている。

 空気は金属と油の匂いに満ち、足を踏み出すたびに床から金属音が響く。

 壁からは時折火花が散り、その閃光が空間に不気味な影を作り出す。


 広大な空間を埋め尽くす鉄骨の赤錆色と、それを走る青白い電気のコントラストが異様な美しさを放っている。

 頭上から垂れ下がる電線は蛇のようにうねり、床に張り巡らされた回路は蜘蛛の巣のように複雑だ。

 遠くではモーターの唸り声と、何かが機械的に動く音が絶え間なく響いていた。


 俺たちパーティーは五人に増え、ボスが鎮座する部屋へ向かって真っすぐ進んでいる。


 最前列は慧と詩歌。

 慧は詩歌の肩のすぐ後ろに立ち、いざというときには盾になれるよう体を寄せている。

 詩歌は時折金色の髪を優雅に揺らし、慧に何かを小声で話しかけている。

 二人の間には初対面とは思えない親密さがあった。


 中列に蓮と葵。

 葵からまだ不機嫌な気配が漂ってはいるが、少しずつ最初に会った頃の冷静さを取り戻しつつある。

 彼女の青いショートヘアが鉄の森の中で鮮やかに映える。

 蓮はそんな葵を見て楽しそうに微笑んでいる。

 その視線には何か別の意図が含まれているようだった。


 そして、最後列に俺とククル。

 他の4人が前方と会話に意識しているお陰で俺とククルは会話状況を作り出すことが出来た。


「ククル、このボス戦のあとは壁をすり抜けて先に進んで様子を見てきてくれないか? もし何か怪しい仕掛けがあったら教えてほしい」


 俺は小声で囁いた。

 話し声が鉄骨に反響して、前にいる四人に聞こえないか心配になる。


「了解!  壁抜け偵察ならククルにお任せあれ!」


 ククルは元気よく宣言し、半透明の体を小さく浮かせた。そのままくるりと回転して、前方の様子を窺う。


「でも本当に推理小説みたいになってきましたね……。忘れかけてたけど、犯人は代々木にいるかもしれないんだよね?」


「そうだな。ハヤテの方にいる可能性もある」


 むしろ代々木の方が人気あるから、あっちの方が可能性あるんじゃないかとは思うんだよな。

 今頃ハヤテも代々木ダンジョンを探索しているはずだ。

 この5層ボスが終わったら一旦ハヤテに現状を報告したほうがいいだろう。


「この中にいるとしたら……やっぱり詩歌と慧どちらかじゃないかな? と油断させといて蓮と葵の可能性もゼロじゃないし……」


 ククルの声には珍しく真剣さが混じっている。

 彼女のふわふわした体が、電線の放つ静電気に反応して淡く光る。


「つまり全員に可能性ありか……。じゃあ行動しかけるとしたらどの層になるとククルは思う?」


「ククル、ここのダンジョンよく知らないから分からないよー」


「それもそうだな……」


 俺の予想だと、ボス込みのMPKだろうから最下層だと思うんだよな……慧も注意すべきは10層だと言ってたしな。

 冷や汗が背中を流れる感覚に、喉が乾いた。


 重低音の振動が床から伝わってくる。

 何かの巨大な心臓の鼓動のようだ。

 進めば進むほど、その音は大きく、重く、空間全体を支配していく。


「着いたぞ。ボス部屋の前だ。ここで一旦説明するぞ。休息が必要なら今言ってくれ」


 慧が全員に問いかけるが、必要だと進言する人はいなかった。

 皆の表情には緊張と高揚が入り混じっている。

 慧も満足げに頷くと、剣を腰から外し、柄を握りしめながら説明を開始した。


「現在ここの探索者が激減している状態だ。5層ボスはほぼ確実にいると思っていい。5層ボスは鉄骨ドラゴンといって、その名の通り鉄骨でできたドラゴンだ」


 慧の表情は真剣さを帯び、声には力強さがあった。

 彼の言葉に合わせて、扉の向こうからは金属が軋む音が聞こえてくる。


「突進してくるがこれは俺で防げるし、電撃攻撃だけは何とか対処してほしい。無理なら後方から支援してくれ。今回は五人もいるし、10層ボスも控えてるからそこは遠慮するな。弱点は水属性だ。持ってるやつはいるか」


 慧が聞いてくると、蓮が自信ありげに挙手をした。

 その動作は優雅で、軽やかだった。


「ウォーターガン持ってるよ。嵩張るから、いざという時にしか使いたくないけどね」


 彼の眼差しが楽しげに輝く。

 その瞳には、待ち望んでいた瞬間が訪れる高揚感が宿っていた。


「ここから先、水属性必要な敵はザコくらいしかいない。使うならここで使ってくれ」


「了解した」


 蓮は小さく微笑むと、ホルスターから特別な銃を取り出した。

 それは通常の銃よりも重厚で、半透明の水タンクが側面に取り付けられている。

 蓮は銃を少し持ち上げて、重さを確かめるように手に馴染ませた。


「あと一番やっかいな点。奴が倒れた時に発する電磁波だ。通信機器や電子機器に深刻な影響が出る」


 慧の声が少し低くなり、その目に警戒の色が浮かぶ。


「こればかりは……俺と葵は諦めて受けるしかない。他の奴らは全速力で可能な限り逃げてくれ。特にスマホが必要な人は要注意だ」


「受けるとヤバいのか?」


 俺は慧に尋ねる。その影響力がどれほどのものなのか気になった。


「別にダメージ受けるわけじゃないんだが……ちょっと厄介なことにはなるな。まあこれは避けられなくても責めないからな」


 何かは分からないが、受けても仕方ないといった感じに聞こえる。

 俺は言われた通り頷いた。

 詩歌は少し不安そうな表情を浮かべたが、すぐに微笑みに戻した。

 葵は無言で剣の緊急点検をしている。


「それじゃあ行くぞ!」




 慧はボス部屋の扉を力強く開いた。

 重苦しい金属音と共に、その向こう側の世界が姿を現す。


 東京タワーの鉄骨と電気設備が捻じれ、うねり、龍の姿に模った「鉄骨ドラゴン」が俺たちを睥睨していた。

 その全長は優に10メートルを超え、赤錆色の巨体からは常に青白い電流が走っている。


 関節と関節を繋ぐ部分はケーブルで結ばれ、その内部では何かの液体が流れているように見える。

 頭部には東京タワーの展望台が取り付けられ、その窓ガラスの向こうで赤い瞳が鋭く光っていた。

 尾の先には避雷針が突き出し、周囲の空気に放電していた。


「あれが目標だ!」


 慧が片手剣を掲げながら指示を出す。


 鉄骨ドラゴンは咆哮と共に口から青白い電磁波を放射。

 周りの空気と、鉄骨で出来た壁をも振動させる。

 電流交じりの風が俺たちの髪を逆立たせた。


 全員が手際よく準備を整えた。

 蓮はウォーターガンを構え、葵は両刀を抜き、詩歌はボウガンを構える。

 俺も光の弓矢を形成した。

 全員の顔に緊張と闘志が浮かんでいる。


「援護は任せてください」


 詩歌の声には意外な落ち着きがあった。

 彼女のボウガンから放たれる矢は通常のものではなく、何かの特殊効果を持っているのかもしれない。


 鉄骨ドラゴンが尾を振り回し、高圧電流を帯びた一撃が地面を裂く。

 慧が前に飛び出し、盾のように剣を構えて衝撃を受け止めた。

 彼の筋肉が一瞬隆起し、足元の床が凹むが、少しも動かない。


「今だ!」


 蓮の号令と共に一斉攻撃を仕掛ける。

 光の弓矢、水弾、連続斬撃、ボウガンの特殊弾が次々と鉄骨ドラゴンを襲う。


 蓮のウォーターガンから放たれた水弾は、鉄骨ドラゴンの体を打ち、水しぶきが飛び散る。

 水に触れた部分から激しく蒸気が立ち上り、ショートした回路から火花が散る。

 葵の剣は鉄骨の隙間を狙い、重要な接続部を切断していく。

 詩歌のボウガンの矢は鉄骨を貫通し、内部の機械を直撃する。


 ドラゴンは次々と機能を失い、関節部分が歪み、鈍った隙を突き、最後の一撃を放つ。

 俺の光の弓矢が鉄骨ドラゴンの胸部を貫き、致命打となる。

 ドラゴンの巨体が揺らぎ、崩れ始める。


「急いで散開しろっ! 早く!!」


 慧の警告に反応し、俺は急いでその場を離れようとしたが——間に合わなかった。

 あまりにも見事な連携の勝利に気を緩めた一瞬の隙が命取りとなった。


 鉄骨ドラゴンが倒れると同時に、透き通った電子音が水の波紋のように広がり、俺の体を包み込んだ。

 視界が一瞬だけぼやけ、耳鳴りがした。


「な、なんだったんだ今のは……」


 冷や汗が全身をしっとりと濡らしている。

 耳の奥で電子音が鳴り響き、指先に微かな痺れを感じる。


「スマホだよ」


 慧が言った。その表情には少しの同情と諦めが混じっていた。


 俺が確認すると、スマホには「圏外 通信サービスはありません」と表示されていた。

 圏外マークの横には赤いバツ印が点滅している。

 再起動を試みても、同じ画面に戻るだけだった。


「これは……」


「EMP攻撃と似たようなものだ」


 慧は説明する。

 彼の声は冷静だが、どこか不穏な色を帯びていた。


「この層より下ではすべての通信機器が使えなくなる。外部との連絡は完全に遮断される」


 ハヤテに連絡できない。

 誰にも助けを求められない。

 俺たちはこの先、完全に孤立することになる。


 あの中華街での光景が再び脳裏に浮かび、胃が痛くなる。

 黒い液体に浸された死体。閉ざされた壁。

 誰にも助けを呼べなかった探索者たちの最期。


「皆さん、次の層に進みましょうか」


 詩歌が微笑みながら言った。

 その声は甘く、優しいが、どこか冷たさを含んでいるように感じられた。

 その金色の髪は5層の鉄骨を背景に炎のように煌めいていた。

 彼女の瞳の奥に何かが潜んでいるような気がして、俺は思わず息を飲んだ。


 俺たちの運命はこれからどうなるのだろう。

 この深淵の先に待っているものは何なのか。


 そして詩歌は何を隠しているのか——。 

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