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中二病の俺が影のダンジョンヒーローを目指していたら、変てこな幽霊と不思議な股旅に出会う  作者: 本尾 美春
第五章「中華街ダンジョン再訪 ―謎めく死と響き合う心―」
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第44話 グロテスク描写注意

 俺たちが7層へ入ったとき、すでに異様な雰囲気が漂っていた。


 豪華絢爛な朱色の柱と黒い瓦屋根が特徴の7層は、いつもなら探索者の姿もまばらなはずだ。しかし今日は違った。


「なんか……探索者が異様に多くないか?」


 五、六人ほどの小さなグループが、あちこちで固まっている。

 それぞれが不安そうな表情で小声で会話している。

 下層に進むほど探索者の数は減るはずなのに、この状況はあまりにも不自然だった。


 ハヤテも異変を察したのか、静かな足取りで近くの探索者グループに近づいていく。

 青白い顔をした若い男性に、ハヤテは穏やかな声で話しかけた。


「すみません、8層で何かありましたか?」


「え! 令和の股旅!?」


 男性は目を見開いて驚いた。

 その表情には一瞬の安堵が浮かんだが、すぐに不安の色が戻る。


「あ、あの、なんか階段が岩みたいなのに塞がれてて8層に行けないんです。探索者本部には連絡したんですけど――」


「!?」


 ハヤテの背中が一瞬硬直するのが見えた。彼は一言も言わず、即座に駆け出した。


「アスちゃん、変身する?」


 ククルの声が聞こえる。俺は瞬時に状況を判断した。


「……いや、ハヤテがいるし止めよう。それに、アストラルの出番じゃないような、そんな気がする」


 これは単なる勘だが、何か今回はアストラルとしてではなく、阿須那として向き合うべき出来事のような気がしていた。


 ハヤテの後を追って走り出す。前回はハヤテのスピードについていけなかったが、今回は【移動速度+100%】のスキルカードのおかげで、何とか遅れずについていける。

 それでも追い抜くことはできなかった。

 ハヤテの足の速さは常人の域を超えていた。


「すご……ハヤテ、めっちゃ速いね」


 息を切らせながら呟くと、ククルは俺の肩にしがみつきながら頷いた。

 俺は風を切るようにモンスターの間を縫って進んだ。

 回廊を曲がるたびに、8層への入口が近づいていた。


 ようやく8層への入口に辿り着くと、そこでは10人ほどの探索者が塞いで立ち往生していた。

 皆、困った表情で壁を眺めているが、どうもできずにいる。


「そこから離れろ!」


 ハヤテの声が、洞窟内に響き渡った。

 低く、しかし確かな威厳を含んだその声に、探索者たちは自然と道を開けた。


 ハヤテは刀を鞘から抜く。

 その動作はなめらかで無駄がなく、まるで呼吸をするように自然だった。


 閃光。

 崩れる岩。

 そして——沈黙。




 刀を振るった瞬間、目にも留まらぬ速さで岩壁に無数の切れ目が走り、次の瞬間には崩れ落ちていた。

 しかし、その後のハヤテの反応が異常だった。


 彼は動きを止め、立ち尽くしていた。

 その背中から伝わってくる緊張感は、これまで感じたことのないものだった。


「ハヤテ?」


 俺は呼びかけながら近づこうとした。

 その時、ハヤテはゆっくりと振り返り、低い声で言った。


「見るな……見てはいけない」


「!?」


 ハヤテの声には、いつもの冷静さとは異なる緊張が走っていた。

 三度笠の陰に隠れた顔は見えなかったが、彼の態度だけで最悪の状況が起きていることが伝わってきた。


「何があったんだ?」


 そう言いかけた瞬間、鼻をつく甘く重たい臭いが漂ってきた。

 鉄錆のような血の匂い。

 そして腐敗の始まりを告げる異臭。


 ハヤテはゆっくりと先へ進んだ。

 その背中には、普段感じることのない重さがのしかかっていた。


「……」


 俺は息を飲み、立ち止まった。

 岩の隙間から見える床には、暗い水たまりが広がっている。

 いや、それは水ではない。

 その黒ずんだ液体の正体を考えるだけで、胃がひっくり返りそうになる。


「アスちゃん?」


 ククルは事態が飲み込めていないのか、首を傾げている。

 その無邪気な表情が、これから見るかもしれないものにさらされると思うと、胸が痛んだ。


 足が震える。喉が乾く。

 先に何があるのか分からないまま進むわけにはいかない。

 でも、もし最悪の事態が起きているなら、それを知る必要がある。


「アスちゃん……」


 ククルが不安そうに俺を見つめている。

 半透明の瞳には、見たことのない心配の色が浮かんでいた。


「ククル……俺はどうすればいい? 多分ここから先踏み込んじゃいけないものがある。でもヒーローたるもの行かなければいけない気がするんだ」


「うーん……アスちゃんはどっちに後悔するかじゃないかな」


「後悔?」


「うん、このまま家に帰って見れば良かったと後悔するのか、先に進んで見なければ良かったと後悔するのか。どっちの道に進んでも苦難が待ち受けてるのなら、どっちの後悔を選ぶかでしかないと思うよ」


 ククルの言葉は、時々こうして妙に的を射ることがある。

 幽霊の姿をしているが、その智慧は古くからのもののようにも感じる。


「……」


 俺は唾を飲み込み、両手で自分の頬を叩いた。

 勢いよく空気を吸い込み、決断する。


「よし、俺は行くぞ。ククルは見ない方がいいからここで待っててくれ」


「アスちゃん、気をつけてね」


 ククルは小さく頷いた。

 その表情には、言葉以上の心配が浮かんでいた。


 俺はハヤテの後を追いかけた。

 一歩踏み出すごとに、足が重くなる。

 心臓が早鐘を打ち、肺に空気が入らないような圧迫感がある。


 岩の固い感触を足の裏で感じながら、乗り越えた先で、俺が目にしたものは——。




「うっ……!!」


 吐き気が込み上げてきた。


 そこにあったのは、もはや人間の形とは呼べないほど無残な三つの塊だった。

 引き裂かれた衣服の間から覗くのは通常の血肉ではなく、黒く変色した組織と、床に広がるどす黒い水たまり。

 その黒い液体は単なる血液ではないようで、床に触れる部分が微かに侵食され、くぼみができていた。


 死体そのものからは黒い煙が微かに立ち昇り、まるで内側からゆっくりと何かに浸食されているかのようだった。

 肌の表面には黒い血管のような模様が広がり、それは時間の経過とともに進行しているように見える。


 喉に熱いものが込み上げてきて、思わず手で口を押さえた。

 視界が歪み、冷や汗が背筋を伝い落ちる。


 ハヤテは死体のそばで、静かにその体を調べていた。

 血で汚さないためか、道中合羽はしまっており、紐で袖をまとめている。

 特殊な素材で作られた手袋を両手にはめ、慎重に死体に触れていた。


 素人とは明らかに違う、体系的で精密なその手つき。

 手袋をはめた指が黒く変色した創傷を確かめる動き、異様に濁った瞳孔を確認する仕草、死後硬直の進行を確かめる角度まで——。

 すべてが的確で、まるで慣れた手つきだった。


「なんでお前、平気で触れるんだよ……」


 頭の中でそう思った。

 三度笠の陰に隠れた顔に、一瞬だけ何かが走った。

 怒り? 悲しみ? それとも——責任感?


 そして俺は気づいた。

 普通なら探索者が死亡すると一時間後に遺体は消滅し、免許証だけが残るはずだった。

 それなのに、ここにはまだ三体の遺体が残されている。


 近づいてくる気配で察したのか、ハヤテは俺に気づいた。


「警告したはずでござんすが……」


「ごめん、見なかったことを後悔するより、見る後悔を選んだ」


「……あっしが来る二十〜三十分ほど前みたいでござんすな」


 ハヤテは静かに立ち上がり、特殊な手袋を慎重に外して布で包み、懐にしまった。

 その所作には、慣れた動きがあった。


「じゃあ犯人近くにいるんじゃ――」


「……残念ながら、荷物がなかったことから奪った後らしい」


「これ……8層ボスにやられたのか?」


「いや――」


 ハヤテの声は沈み、遠い目をした。

 その表情には、隠しきれない暗い感情が浮かんでいた。



 

「それだけではないでござんすな」


 そう言って彼は、遥か彼方を指差した。

 俺が視線を向けた先には、幾多のモンスターたちが俺たちに向かって押し寄せていた。


「なっ!?」


 それは偶然集まったにしてはあまりにも多すぎた。

 20〜30体はいる。そしてその中に——黒い煙を放出する8層ボスもいた。

 8層ボスだけが他のモンスターとは違い、体から黒い靄を立ち昇らせ、その足跡だけが床に黒い痕跡を残していた。


「片づけるでござんすよ」


 ハヤテは刀を抜き構える。その姿勢に迷いはなく、勝つことを疑わない強い意志が感じられた。


「分かった」


 俺もスキルブックを取り出す。

 ぞっとする勢いだが、ハヤテがいればこの場は何とかなるだろう。


 そして俺は、いつもの癖で——やらかした。




「ククル!」


 俺はサポートをしてもらおうとククルを呼んだ。


「えっ!?」


 ハヤテは予想だにしていなかったのか、驚きの声をあげる。


 そして……ククルがここへ来てしまったのだ。




「はいはー……い?」


「あ……」


 やってしまった。

 ククルは三人の残虐な死体を見てしまう。

 そして……ククルの顔が、一気に青ざめてしまった。


「あ……あ……」


 がたがたと震える。

 唇は真っ青になり、目はこれでもかと恐怖に見開かれる。


「いやああああああ!! 来ないでっ! 死にたくないっ!! 助けてええああああ!」


 その叫び声は、今目の前で見たものへの恐怖だけではない。

 まるで遠い過去の記憶が、今この瞬間によみがえったかのような。

 どこかで見た光景。忘れたはずの恐怖。

 幽霊となった今でさえ、消えることのない記憶の断片。


「ククルっ!?」


 彼女の瞳は現実を見ていない。

 何か別の光景を見ているようだった。

 ククルは絶叫しながら後ろの階段を駆け上り逃げ去ってしまった。

 その姿は瞬く間に暗闇に飲み込まれ、悲鳴だけが洞窟に響き渡る。



「ククル!」


「追いかけろ!」


 ハヤテは俺に怒鳴った。

 彼の声には今までにない緊迫感があった。


「でも――」


 モンスターはもう目の前。

 俺の視界の端では、ハヤテの手が刀の柄を握りしめている。


「一人でも大丈夫だ。ククルを!」


「ハヤテ、俺も――」


「行けっ!!」


 ハヤテは一喝した。

 その声には命令だけでなく、何か言葉にできない後悔と決意が含まれていた。


「……」


 俺はそのハヤテの声に金縛りになったかのように動けなかった。


「行かなければいけないでござんすよ。ここはあっしでも解決できるが、ククルの心を救えるのは他の誰でもない、阿須那しか出来ないでござんす」


 ハヤテは続けて説得するように言葉を紡ぐ。


「あっしみたいに一生を引きずる後悔だけはするな」


「ハヤテ……」


 俺は、拳を握りしめる。

 選択肢はもう一つしかないとやっと理解した。


「ここを離れる。……信じてるからなハヤテ!!」


 ハヤテは頷いた。

 俺はククルを追いかけるために7層への階段を駆け上った。


 振り返ると、ハヤテがモンスターの大群と対峙する姿が見えた。

 その背中はいつもより凛として見え、三度笠の影に隠れた瞳に冷徹な決意が宿っていた。


「いきますか」


 彼は刀を構え直し、その身体から静かな殺気が立ち昇る。

 何十体ものモンスターが押し寄せるというのに、その表情には微塵の恐れも見えなかった。

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