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中二病の俺が影のダンジョンヒーローを目指していたら、変てこな幽霊と不思議な股旅に出会う  作者: 本尾 美春
第四章 「羊山ダンジョン —交わる夢と秘められた決意—」
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第37話

 夕暮れが近づく試験会場。

 長い一日の終わりを告げるように、空は橙色に染まり始めていた。


 警察には即座に盗難届が出された。

 不良受験生二人と魔銃を奪った黒髪の男は、試験委員会から妨害行為として即日失格処分を受けた。


 だが、金髪と茶髪の不良は試験の失格が痛手でも、黒髪の男には何の意味もないだろう。

 魔銃の価値は彼らの野心をはるかに超えている。

 おそらく今頃は高飛びする算段をしているに違いない。


 俺はエントランスホールの隅の椅子に座り、空しく頭を垂れていた。

 後頭部の鈍痛よりも、やりきれない悔恨と罪悪感が胸を塞いでいる。

 あれだけ警戒して対策していたつもりが、このざまだ。


「クソッ……」


 俺は低く呟き、握りしめた拳を緩めた。

 指先に食い込んだ爪の痕が赤く残っている。


 ククルのことも心配で仕方なかった。

 黒髪の男のバイクにしがみついて離れていった彼女は無事だろうか。

 幽霊とはいえ、あの魔銃を取り返せるとは思えないし、こんな遠くまで走り去ったら、どうやって戻ってくるのだろう。


 エントランスホールの向こう側、合否発表の掲示板には受験者たちが群がっていた。

 歓声を上げる者、肩を落とす者、それぞれの表情が交錯する中、銀色の髪が人混みから抜け出し、こちらへ向かってくるのが見えた。


「阿須那くん」


 志桜里の声は、かすかに疲れを含みながらも、不思議と明るさを失っていなかった。

 俺は顔を上げ、彼女を見上げた。目を合わせるのが辛かった。


「……志桜里さん、どうだった?」


 いつもの調子で答えようとしたが、やはり声に陰りが混じるのを避けられなかった。


 志桜里は静かに微笑んだ。

 その瞳には達成感の輝きがあった。


「ありがとう、阿須那くんのお陰で……合格できた。私、探索者になれたの」


 彼女の声には誇らしさと感謝が込められていた。

 俺はかすかに唇を動かし、言葉を絞り出した。


「……おめでとう、志桜里さん」


 本当なら一緒に喜びたかった。

 心から祝福の言葉を贈りたかった。

 探索者になるのは始まりに過ぎないこと、これからが大変だけど志桜里ならきっと素晴らしい探索者になれるはずだと、そう伝えたかった。


 だけど……今の俺にはどんな言葉をかけていいのか分からなかった。

 自分のせいで志桜里の大切なものを奪われてしまったんだ。

 そんな自分に、かける言葉など見つからなかった。


「……ごめん、本当は色んなこと志桜里さんに言いたかったんだけど。もう今となっては分からないんだ」


 俺の声は空虚に響いた。


「阿須那くんのせいじゃない」


 志桜里は静かに、だが芯のある声で言った。

 彼女の銀色の髪が夕日に照らされ、琥珀色に輝いている。


「むしろ、私ずっとお礼を言いたかった。ずっと……守ってくれてたんでしょ?」


「守ってても奪われたら意味がないんだよっ!!」


 思わず声を荒げた。

 志桜里はびくっと肩を震わせた。

 その反応を見て、俺は瞬時に後悔した。


「あ、ごめん……怖がらせるつもりはなかった。何やってんだよ俺……」


 この鬱屈した感情を、よりにもよって志桜里にぶつけた自分が情けなかった。最低だ。



 志桜里は少し間を置いてから、静かに言った。


「ねえ、阿須那くん」


 彼女は頬を赤らめながら、ためらいがちに続けた。


「あの、私の話……聞いてもらってもいいかな?」


「あ、うん。全然いいよ」


 志桜里は俺の横に腰かけた。

 夕日が差し込む窓辺に、二人の長い影が伸びていた。

 彼女はしばらく沈黙し、やがてぽつりぽつりと語り始めた。


「私ね、お兄ちゃんがいたの」


 彼女の声は柔らかく、懐かしさを帯びていた。


「探索者としても、自衛隊としても強くて、憧れのお兄ちゃん。でも怖がりでね、よくそれを克服するために私と一緒にホラー映画いっぱい見てたの」


「あ……だから最終試験は大丈夫だったのか」


 志桜里はかすかに微笑んだ。瞳には遠い記憶が映っているようだった。


「お兄ちゃんは街の人を守ることに生きがいを感じてて、輝いてた。でも――」


「……まさか」


「うん、三年前……中国の重慶で起きたA級スタンピードで……殉職したの。仲間を守るために自分を犠牲にして……」


 彼女の声は小さくなり、目に涙が浮かんでいた。

 だがすぐに拭い、真っ直ぐに俺を見た。

 その瞳には覚悟と決意が宿っていた。


 俺は黙って頷いた。自衛隊のダンジョン部隊。

 スタンピード防衛を任務とする探索者の最高峰。

 そこに所属していた人間が彼女の兄なのか。


「じゃあ志桜里さんもお兄さんの後を継ごうと?」


「それもあるんだけど……」


 彼女は少し躊躇い、続けた。


「私ね、自分の夢も捨てきれなかったの」


「え? 夢って……探索者になることじゃないの?」


 志桜里はもじもじと頬を赤らめながら両手の指先をもてあそんだ。

 明らかに言いづらそうだった。


「あ、あの! 言っても、笑わないでくれる?」


「大丈夫、絶対笑わない。でも無理に口に出さなくてもいいからね」


 志桜里は深呼吸をし、決意を固めたように言った。


「あの、阿須那くん、私ね……」


「うん」俺は続きを促した。


「アイドルになりたかったの。私の、小さな頃からの夢」


 一瞬の沈黙。


「素敵な夢だね」


 俺は率直に答えた。


 志桜里の瞳が驚きに見開かれ、そこには長い間閉じ込めてきた想いが解放される安堵が浮かんでいた。


「え? 笑ったりしないの?」


「むしろ笑ってるやつがいたらぶっ飛ばしたいくらいだよ」


 志桜里の肩から力が抜けていく。

 おそらく何度も、その夢を打ち明けては冷笑された経験があるのだろう。

 銀色の髪を揺らし、彼女は小さな声で続けた。


「あ、ありがとう、阿須那くん……」


「でも、アイドルの夢と探索者がどう繋がるのかは疑問ではあるんだけど」


 俺の素朴な疑問に、志桜里は少し顔を明るくした。


「あ、あのね、私も少し前までは同じ考えだったの。絶対両立できないって思ってたの」


 彼女は髪を耳にかけながら続けた。


「でもね」志桜里の声が少し弾んだ。

「親友が、ネットで調べて教えてくれたの。Dtuberってあるんだって」


「Dtuber……」


 俺もちらりと聞いたことがある。

 ダンジョン探索を配信する人たちのことだ。

 ただでさえモンスターとの戦いで危険が伴う中、配信に気を使うというハンデを背負うので参入する人は非常に少ない。


「配信でダンジョン探索やスタンピードでみんなを守って、歌って踊って勇気づけることが、できるんじゃないかって」


 志桜里の目が、夕日を受けて輝いていた。その瞳に未来を思い描く光があった。


「私ね、想像するの。緊張した探索者が私の歌を聴いて勇気づけられたり、危険な状況でも冷静に判断できる余裕が生まれたり……」


 彼女は両手を胸の前で軽く握りしめた。


「ダンジョン探索ってとっても孤独で、時々怖くて……でも、そんな時にアイドルの歌が心の支えになってくれたら素敵だなって」


 ただ配信で歌って踊ってダンジョン探索というのは聞いたことがない。

 俺が知らないだけかもしれないが……。


「誰もやったことはないかもしれない。だったら最初の人になろうよって、親友も応援するって言ってくれて。だから……探索者を目指したの」


「それが志桜里さんの夢」


「うん、私の夢」


 俺は改めて志桜里を見た。

 彼女の瞳からはいつの間にか涙は消え、そこに強い光を宿しているように見えた。

 銀髪の少女の中に、これまで気づかなかった芯の強さを感じた。


「志桜里さん、俺も……応援してもいいかな」


「え?」


「正直に言うとさ、最初志桜里さんが探索者になりたいって言った時、不安な気持ちはあった。探索者としてやっていけるかなって」


 自分の言葉に少し迷いながらも、俺は続けた。


「でも、志桜里さんが試験に必死に挑む姿や真剣な想いを感じて、心の底から応援したいと思ったんだ」


「阿須那くん……」


 志桜里の目に小さな光が宿った。

 それは星のように、淡く、でも確かな輝きを放っていた。


「だから、これからも……応援し続けてもいいだろうか」


「ありがとう……すごく嬉しい。そんなこと言ってくれるなんて思ってなかった」


 志桜里は嬉しさで頬を緩めた。

 窓から差し込む夕日が彼女の横顔を優しく照らしている。


 だが、次の瞬間、彼女の表情はわずかに曇った。


「でも、魔銃はもうないから。武器は自前で用意して頑張らないと……大変だけど、夢は諦めたくない」


「魔銃のことも諦めちゃだめだ志桜里さん。いつかきっと――」


「ううん」


 彼女は静かに首を横に振った。その表情には不思議と達観したような穏やかさがあった。


「確かに大切だけど、もしかしたら……お兄ちゃんが頼るなって、言ってるのかもしれない。魔銃が心の支えになりすぎて頼り切りなのは本当だから」


「志桜里さん……」


 彼女の言葉に、俺は何も返せなかった。

 そこには俺の知らない彼女の成長があった。

 魔銃を失った痛みを、前向きな力に変えようとする強さ。


「阿須那くん、私のことは志桜里、でいいよ」


 突然の申し出に、俺は少し戸惑った。


「俺も阿須那と呼び捨てでいいよ」


「呼び捨てはちょっと慣れないから……そのままでいたい、かな」


 志桜里は微笑みながら立ち上がった。

 夕日に照らされた彼女の姿は、まるで輝きを帯びているようだった。


「本当にありがとう。あの……初めてダンジョン配信するときは、誘ってもいい?」


「...うん、俺で良ければ喜んで」


 志桜里は嬉しそうに頷いた。


「ありがとう。また、月曜日ね」


 そして俺と志桜里は別れた。

 彼女が見えなくなるまで、俺はその後ろ姿を見送った。


 夕暮れの風が慰めるかのように、俺の頬を撫でていった。

 どこか遠くから、ククルの姿が見えることを願いながら、俺は空を見上げた。


「ククル……無事でいてくれよ」


 風に乗せた言葉が、果たして彼女に届くだろうか。

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