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中二病の俺が影のダンジョンヒーローを目指していたら、変てこな幽霊と不思議な股旅に出会う  作者: 本尾 美春
第四章 「羊山ダンジョン —交わる夢と秘められた決意—」
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第34話

 迷路の半透明なアクリル壁は朝日を受けて淡く輝き、志桜里の銀髪に虹色の光を映していた。

 彼女は壁に映る自分の姿をちらりと見て、深呼吸した。

 自分でも驚くほど冷静に見える。

 けれど胸の内では心臓が小鳥のように震えている。


「落ち着いて……」


 彼女は小さく呟きながら、スマホの画面を見つめた。

 マッピングアプリには彼女が辿ってきた道筋が青い線で記されている。

 あちこちに赤いバツ印がついた行き止まり。

 それは阿須那くんが教えてくれた方法で、一つずつ排除していった不要な道だった。


 時間は既に35分が経過している。

 「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせながら、志桜里は分岐点でひとたび立ち止まった。

 どちらの道を選ぶべきか。左手は未踏の道、右手は既に別の分岐から繋がっていることが分かっている。


「左に行こう」


 志桜里は迷いなく選択した。

 いつもの優柔不断な自分とは違う。

 この迷路に入ってから、少しずつ自分の判断に自信が持てるようになっていた。

 阿須那くんが「自分の記録を信じて」と言ってくれた言葉が、背中を押してくれている。


「お嬢さん、そっちは違います」


 突然の声に、志桜里は小さく悲鳴を上げそうになるのをぐっと堪えた。

 振り返ると、短い茶髪をした男性が立っていた。

 表情は親切そうに見えたが、どこか計算高い視線に志桜里は本能的な警戒心を覚えた。


「あなたの行こうとしているところは行き止まりなんです。俺が案内しましょうか?」


 男は一歩近づいてきた。

 志桜里は無意識に一歩後ずさった。

 彼の視線が自分の腰にぶら下げた魔銃「スターバースト」に向けられていることに気づいた。

 その瞬間、記憶の中で阿須那くんの声が鮮明によみがえった。


『迷路の中で誰かに話しかけられても、絶対に相手にしないでくれ』


 彼はこうなることを予測していたのだろうか?

 だとしたら、あの優しい笑顔の裏には鋭い観察眼が隠されていたことになる。

 志桜里は胸が温かくなるのを感じた。

 自分のために気にかけてくれていたんだ。


「教えてくれてありがとうございます」


 志桜里は小さく、だけど毅然とした声で言った。

 平静を装おうとしても、指先が小刻みに震えている。

 でも、もう逃げたりはしない。


「でも……私は自分の記した道を信じます」


 男の表情が僅かに強張るのが見えた。

 志桜里は深く息を吸い込み、背筋をぴんと伸ばした。


「自分の力でこの迷路を抜けます。だから……ごめんなさい」


 その言葉は、自分自身への宣言でもあった。

 銀髪を揺らしながら、志桜里は男に背を向け、迷いなく左の道を進み始めた。

 振り返らない。その背中には、これまでの彼女からは想像できないほどの凛とした決意が見えた。


 男の「おい、待てよ!」という声も遠ざかっていく。


 道は曲がりくねっていたが、志桜里の予想通り、新たなエリアへと通じていた。

 行き止まりではなかったのだ。彼女は小さく笑みを浮かべた。

 自分の判断が正しかったこと、そして阿須那くんの警告が的中していたことに、二重の喜びを感じたのだ。


 

 ◇◇◇


 

 迷路の出口に辿り着いたとき、志桜里のタイムカードには「50分」と記録された。

 決して早いわけではない。でも彼女の胸には、純粋な達成感が溢れていた。


 出口は中心より少しずれた場所にあった。

 そのデザインは、左手の法則が通用しない複雑な構造だった。

 スマホがなければ、おそらく時間内に抜け出すことはできなかっただろう。


(ありがとう、阿須那くん)


 彼への感謝の言葉を心の中で繰り返しながら、志桜里は次の試験の会場へと足を進めた。


 

 ◇◇◇


 

「筆記試験を始めます。制限時間は90分です」


 試験官の声が教室に響いた。志桜里は緊張で硬くなった指先をほぐすように軽く握ったり開いたりした。

 問題用紙を前にして、深呼吸。

 これなら大丈夫。ダンジョンの基礎知識は、兄の教えのおかげで十分に頭に入っている。


 だが、椅子に座ったその瞬間—


 ガンッ!


 後ろから強い衝撃が伝わり、志桜里の体が前のめりに揺れた。

 小さな悲鳴が喉から漏れる。

 振り返ると、黒い筋の入った金髪の男が意地の悪い笑みを浮かべていた。

 その目には明らかな挑発の色が宿っている。


「な、何するんですか!」


 震える声で問いかけても、男は肩をすくめただけだった。


「あ〜ぶつかった? 悪かったね〜。足癖悪いのなかなか直んなくてさ〜」


 背中から冷たい汗が流れ落ちる。

 あまりにも露骨な嫌がらせに、志桜里の瞳が恐怖で揺れた。

 視界が少しぼやける。まるでタイムスリップしたように、中学時代の記憶が鮮明によみがえる。


 あの日も、テスト中に同じようなことをされた。

 銀髪が目立つから。内気で反抗しないから。

 標的にされる理由は簡単だった。

 誰も気づかない場所で、小さなイジメの数々が積み重なっていった。


 椅子の背もたれをドンドンと蹴る音。クスクスと漏れる忍び笑い。


「……」


 志桜里は震える指で問題用紙を握りしめた。

 また、あの時と同じことが繰り返されるのか。

 頭の中で嘲笑の声が渦巻き始める。


(でも……)


 彼女は静かに目を閉じた。

 暗闇の中で、一人の少女の笑顔が浮かび上がる。

 親友だった彼女は、志桜里をいじめから守ってくれた。

 「あなたの髪、とっても綺麗だよ」と言ってくれた最初の人だった。


 そして、阿須那くんの顔も浮かんできた。

 彼の眼差しには、志桜里の内面を見抜くような優しさがあった。


(そうだ……私は一人じゃない)


 志桜里は繊細な指を広げ、長い銀髪を耳にかけた。

 後ろからの嫌がらせは続いている。

 だが、彼女の心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。


「問題を解こう」


 彼女は小さく呟いた。震えていた指が止まり、鉛筆をしっかりと握った。


 

 ◇◇◇


 

『問1、ダンジョン探索で必要なものをこの中から選択せよ』


 志桜里は迷わず答えを記した。

 武器装備、食料、緊急キット、緊急連絡手段、そして免許証。

 兄から幾度となく聞かされたダンジョン探索の基本だ。


 彼女の頭の中で、兄の優しくも厳しい声が響く。

 「志桜里、余計なものは命取りになる。必要なものだけを持って行くんだ」


 質問は次々と続いた。

 モンスターとの遭遇時の対処法、PTメンバーが負傷した場合の救助方法、ダンジョン内の資源の扱い方……。

 一つ一つ、志桜里は冷静に解いていく。

 後ろからの嫌がらせは試験開始から15分ほどで収まった。

 おそらく試験官の視線を感じたのだろう。


 そして、よりいっそう心を動かされた問題に出会った。


『問10、ラグドール(猫ぬいぐるみモンスター)が罠にかかって手負いの状態です。あなたはどうしますか?』


 志桜里は少し筆を止めた。

 ラグドール――子供の頃、兄がFランクダンジョンから持ち帰った写真を見せてもらったことがある。

 まるで子猫のようなぬいぐるみ。大きな瞳と柔らかそうな毛並み。

 あの可愛らしい姿を見て、幼い志桜里は思わず「飼いたい!」と叫んだものだ。


 でも兄は優しく、だけど断固として首を振った。


「志桜里、見た目に騙されてはいけない。どんなに可愛くても、モンスターはモンスターだ。それは私たちの世界を脅かす存在なんだよ」


 あの時は理解できなかった。

 でも今なら分かる。探索者として最も大切なのは、感情に流されない冷静な判断力だということを。


 志桜里はペンを走らせた。「倒す」――それが探索者としての正しい答えだ。

 どんなに心が痛んでも。


 試験終了まであと15分。志桜里は全ての問題に答え終え、見直しに入った。

 一つ一つ丁寧に確認していく。これが彼女の流儀だった。


 ベルが鳴り、問題用紙が回収される。

 志桜里の胸には静かな自信があった。


(阿須那くん、ありがとう)


 彼の存在が、この試験の間ずっと彼女を支えてくれた。

 志桜里は本当の気持ちを伝えられる日が来るのだろうか?

 彼女が胸に秘めた夢を、阿須那くんは笑わずに受け止めてくれるだろうか?


 窓の外に広がる青空を見上げながら、志桜里は小さく、だけど確かな決意を胸に抱いていた。


 

 ◇◇◇


 

 この瞬間、彼女はまだ知らない。

 この日の最終試験で待ち受ける予想外の出来事と、その後に繰り広げられる運命の歯車について――。

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