第31話
試験会場までの道のりは思いのほか長かった。
「……どうしてこんな辺鄙な場所でやるんだよ」
俺はバスの窓から見える山々の景色を眺めながら呟いた。
探索者試験会場は、実地試験も兼ねているせいか都市部から離れた緑深い場所に設定されていた。
早朝の日差しが山の稜線を照らし、柔らかな光を周囲に広げていく。
「朝早いよー」
ククルは空中で伸びをしながら、あくびをかみ殺した。
幽霊なのに眠たがるという矛盾に、もう何も言う気が起きない。
「受付時間が8時から9時までって、もうちょい遠くに住んでる人の事情も考えてくれよな」
バスが最寄りのバス停に停車した。
そこから試験会場まではさらに徒歩で15分ほど。
試験会場は古びた灰色の政府施設だった。
かつて何かの研究所だったのか、無機質な直線的デザインは周囲の自然と不釣り合いに見える。
それでも、建物の周りを取り囲む豊かな緑と朝靄が、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「あ、あの子が志桜里ちゃんかな?」
ククルが指差す先に、銀色の髪をした少女が立っていた。
朝日が窓ガラスに反射して眩しく、それが彼女の銀髪をより一層輝かせている。
白雪志桜里——学校でも一目置かれる美少女だ。
普段は静かで物静かな彼女が、今は視線を落とし、小さな手で制服のスカートの端を無意識に握りしめては離す動作を繰り返していた。
俺は小走りで駆け寄った。
「悪い。待たせたか」
「ううん。緊張して早く来すぎちゃっただけなの。ここまで来てくれて本当にありがとう阿須那くん」
そう言って志桜里は微笑んだが、その唇が小刻みに震え、笑顔が自然に広がらない。
「む、これは正統派ヒロインらしく可愛いですな。恋のフラグがたちそうな予感」
ククルが俺の耳元で囁く。
「うるさい」と口の形だけで返す。
大体志桜里は学校でもベスト3に入る美少女で、男子から告白されまくってるという噂の的だ。
俺なんかに惚れるわけがない。
試験会場の入り口には既に数人の受験者が集まっていた。
ほとんどが俺たちと同年代の若者だが、中には三十代くらいの男性も混じっている。
「あ、あの……何を持っていけばいいのかな」志桜里が小声で訊ねてきた。
「身分証明書と申請書があればいいはずだ。あと筆記用具も必要だな」
受付に向かう志桜里の背中は、華奢でいて凛とした意志を感じさせた。
彼女がここに立っているのには、きっと何か強い理由があるのだろう。
「おはようございます。探索者認定試験をご希望ですね。それでは申請書と身分証明書をこちらにご提出ください」
「は、はい」
志桜里はギクシャクしながら指定されたものを受付に渡す。
そんな彼女の姿に、かつての自分を重ね合わせた。
初めての試験の時、俺も同じように緊張していたのを思い出す。
会場内を見渡してみると……試験を受ける人は30人ほどだった。
3年前に俺が受けたときは50人近くいた記憶がある。
「探索者志望、やっぱり減ってるな」俺は呟いた。
「減るよね〜。だって危険なんだもん」ククルが浮遊しながら答える。
この傾向は不味い。
探索者がいなくなるとダンジョンコアを壊す人もいなくなり、町に危機が及ぶようになってしまう。
それでいて、ダンジョンから得られる素材は現代社会に不可欠なものになっている。
志桜里が美少女で目立つ銀髪をしているせいか、会場内の男性陣から視線が注がれているのを感じた。
「彼氏持ちか」という囁きも聞こえてきたが……違うからな。
俺なんかじゃ流石に釣り合わない。
「あと武器はお持ちでしょうか。無ければこちらから有料でレンタルすることになりますが——」
「あ、はい。あります」
えっ? 武器持ってるのか。
まぁ、確かに武器は一々レンタルするよりは自前の方がいい。
だが志桜里は探索者になる方法を全く知らなかったはずなのに……持ってるなんて意外だな。
志桜里がカバンから取り出したものは——。
「これです」
全長約20センチの銃。
深い漆黒に輝き、表面には青く発光する魔法文字のような模様が螺旋状に刻まれている。
握りの部分は深紅の革で丁寧に巻かれ、銃の背面には濃紺の大きめの宝石が嵌め込まれていた。
まるで夜空を閉じ込めたような深い色合いのその宝石は、見る者を吸い込むような神秘的な輝きを放っている——。
俺は絶句した。それは『魔銃』だった。
ゴトン、と俺は思わず荷物を地面に落としてしまった。
会場内に一瞬の静寂が訪れる。周りの試験志望者も——、受付の人も表情が氷漬けにされたかのように固まっていた。
ただククルと志桜里だけが、空気が変わった状況を理解できないようにキョトンとした表情をしていた。
「あ、あの、どうしました? この武器だと試験受けられないのでしょうか」
「あ……いえ、大丈夫ですよ」
受付の女性は慌てて平静を装った。
「開始前に会場で説明会があります。会場はあちらの人がご案内しますのでお進みください」
どこから手に入れたのかと聞きたい気持ちをぐっと抑えるかのような表情だった。
「志桜里さん!」
会場へ向かおうとする志桜里を、俺は焦りの気持ちを抑えられずに必死に呼び止めた。
「どうしたの?」
彼女は首を傾げた。その無邪気な様子に、俺はますます不安を募らせる。
「あ……あの武器は一体……俺そんなの持ってるなんて聞いてないんだけど!?」
「え、事前に言うべきだったの? ごめんなさい、私知らなくて……そんなに凄いものなの?」
答えようと思ったが、周りの志望者に聞こえるとマズい。
俺は志桜里にしか聞こえないように声を潜めた。
「ピンキリはあれど250万はする高級武器だよ。少なくとも学生が持つものじゃないんだ」
志桜里の目が丸くなった。
「そんなに高いの!?」
彼女は自分の持つ魔銃を改めて見つめた。
「お兄ちゃんそんな凄いもの使ってたんだ……」
兄から譲られたものか。それなら少しは納得がいく。
とはいえ、そんな貴重品を初心者の妹に渡すなんて、どんな兄貴だったんだ?
俺は頭の中で知識を整理する。
探索者は誰でもダンジョンに入れば魔法を使える——だが初心者の魔法は小さな火種や弱いつむじ風程度で、敵にほとんど効かない。
魔法を強くするには何百、何千回と使い続けてLVを上げるしかないんだ。
だから普通は、いきなり魔法職は無理で、まずは物理攻撃で経験を積んでから、少しずつ魔法を練習していく——それが常識だった。
それなのに彼女の持つ『魔銃』は、そんな常識を覆す。初心者でも強力な魔法が撃てるという、探索者たちが喉から手が出るほど欲しがる代物だ。
「あ、案内してくれる人を待たせちゃうからもう行かないと」志桜里は急いで言った。
「あ……ああ」
俺は会場へと入っていく志桜里を見送った。
彼女の背中はいつもよりも小さく見えた。まだか弱い少女が、周りが熱望する武器を持っているという状況——。
「アスちゃん、なんか心配そうだね」
ククルが俺の顔を覗き込む。
「ああ……正直言って危険だと思う」
俺は声を低くして答えた。
「あの魔銃の存在は、まるで人混みの中で燃えさかる松明のようなものなんだ。周囲の目を引きつけ、燃え移るように欲望を呼び起こす。志桜里はそんな危険性に気づいていないようだった」
「ククルも守るー!」
「ああ……できる限りな」
俺は会場前のベンチに腰掛け、これから始まる試験と志桜里の身に降りかかるかもしれない危険に、胸の内で覚悟を決めていた。
「ククル、何か策を考えないとな」
窓ガラスに反射する朝日が、俺の顔に影を作り出した。
探索者試験の真の試練は、もしかしたら試験そのものではないのかもしれない——その予感が、俺の中で確信に変わりつつあった。




