第二部最終話
【 第六幕:光と影の終幕】
京都の夕空が血のように赤く染まる中、俺たちは二条城の中庭にいた。
サムハイン・ソーラーウィスプ――あの忌まわしき太陽の亡霊との死闘から三日。
俺の体にはまだ光と闇のエネルギーが渦巻いている。
戦いの余韻が、肌の奥で疼いていた。
「アスちゃん、まだ熱があるよ?」
ククルが俺の額に小さな手を当てる。
その冷たい感触が心地よい。
「平気だ。それより――」
俺は遠くに見える茜空を見上げた。
エリカとレオンが明日、アメリカとイギリスに帰国する。
この戦いで芽生えた絆が、また遠く離れてしまう。
「今回のスタンピードの分析結果が出ましたの」
エリカが手にしていたのは、血のような赤いスタンプが押された厚い報告書だった。
「やはり――人工的に引き起こされたものでしたわ。特に最終波のサムハイン・ソーラーウィスプは、本来ニューグレンジ遺跡ダンジョンにいるはずの個体」
「つまり、誰かがわざわざアイルランドから召喚したってことか」
俺の胸に、嫌な予感が走った。
偶然なんかじゃない。全てが計算づくだったということか。
「その技術を持つ組織は限られています」
レオンが重い口調で続けた。
先ほどの全裸事件で大人しくなったのか、いつもより真面目な表情だ。
「『革命』だ」
俺は深くうなずいた。
「やっぱり、そうだったか」
詩歌を死に追いやり、ダンジョン部を洗脳し、今度は京都全体を実験場にし——
「実は、もう一つ重要な発見があったんです」
俺はククルを見つめた。
「ククルがダンジョンの最深部で、巨大な装置を見つけました」
「装置?」
エリカが身を乗り出した。
「金属製の円盤が回転しながら、特定の周波数で振動していました。ダンジョンコアと共鳴して、モンスターをより凶暴化させる——」
「それと黒い粒子がいっぱい出てきてた」
ククルが小さく付け加える。
「あの装置がなかったら、今回のスタンピードはもっと小規模で済んだはずです」
エリカとレオンが顔を見合わせた。
「共鳴振動発生器……」
レオンが呟く。
「俺たちも存在は知っていたが、まさか実用化されているとは」
「つまり、『革命』は既に次の段階に進んでいるということですの」
エリカの表情が険しくなる。
「今度は何を企んでいるというの……」
「あの、政府はどう発表するつもりなんですか?」
志桜里の疑問に、林勇太郎が重々しく口を開いた。
「死者数は62名です。当初の予測では数千人規模の被害を覚悟していましたが……」
彼の視線が俺たちに向けられる。
「皆さんのおかげで、史上最小の被害に抑えることができました」
「でも、それでも62人もの命が……」
俺は拳を握りしめた。
助けられなかった命の重さが、胸にのしかかってくる。
「阿須那」
林勇太郎が俺の肩に手を置いた。
「あなたが救った命は、その何十倍もあります。誇りに思ってください」
その時、レオンが俺の前に歩み寄ってきた。
琥珀色の瞳に、これまで見たことがない真剣さが宿っている。
「阿須那、お前に渡したいものがある」
レオンがジャケットの内ポケットから、白い封筒を取り出した。
「これは……?」
俺が恐る恐る封筒を開くと、そこには見慣れない書類が。
『Bランク昇格試験推薦状』
「ええっ!?」
俺の驚きの声に、その場にいた全員が注目する。
「本来なら一ランクずつしか受験できない」
レオンが説明する。
「だが、Sランクからの推薦があれば、飛び級受験が可能だ」
「お前はDランクに相応しくない。今回の戦いがそれを証明した」
レオンがそう言い切ると、くるりと背を向けた。
「明日帰国するが——お前なら必ず合格できる。もっと上に上がって俺を楽しませろ」
【第七幕:新たな始まりへの乾杯】
その夜、俺たちは京都の居酒屋で打ち上げをしていた。
個室に集まったのは、林勇太郎、ハヤテ、エリカ、レオン、志桜里、星凛、慧――そして俺とククル。みんなで長いテーブルを囲んでの宴会だ。
「まずは、今回の勝利に乾杯といきましょうか」
林勇太郎が日本酒の徳利を手に立ち上がる。
「待ってください」
星凛がさっと手を上げた。
「うちら未成年組はウーロン茶で!」
「そうそう、志桜里ちゃんも阿須那くんもまだ高校生だからね」
エリカが微笑みながら、俺たちの前にジュースやお茶を並べてくれる。
「俺はビールで」
慧が煙草を灰皿に置きながら言う。
「レオンとハヤテは何にします?」
林勇太郎の問いに、レオンが不敵に笑った。
「日本酒で行こう。どうせなら一番強いやつを」
「あっしは適量で」
ハヤテが遠慮がちに答えると、レオンが目を輝かせた。
「おや? まさか酒に弱くなったとか?」
「いえ、そういうわけではなく……」
「だったら再戦だ! 負けた方が明日の朝食代を奢る!」
この展開に、俺たちは大いに盛り上がった。
「がんばれ、ハヤテ!」
ククルが小さな拳を振り上げて応援する。
「レオンの方が体格良いから有利やと思うけどなあ」
星凛が冷静に分析していると、エリカが苦笑いを浮かべた。
「実は、前にも一度やったことがあるんですの」
「え?」
慧が記者らしい鋭い視線を向ける。
「結果は……ハヤテさんの圧勝でしたわ」
「マジで?」
星凛が驚く中、レオンが「今度こそは!」と拳を握りしめた。
結果は――またしても完全にエリカの予想通りだった。
レオンが三合目で顔を真っ赤にして「うう、なんで君だけ平気なんだ……」とテーブルに突っ伏している間、ハヤテは涼しい顔で四合目を飲み干していた。
「あっしは昔から酒だけは強くて」
「鋼鉄の肝臓の持ち主か」
林勇太郎が感心したように呟く。
「明日の朝食は俺の奢りか……財布が軽くなるな」
レオンがため息をついているのを見て、俺たちは大笑いした。
「レオンくん、大丈夫?」
志桜里が心配そうに水を差し出すと、レオンは「君の優しさが身に染みる……」と涙目で答えた。
酔ったレオンは普段の尊大さが消えて、意外と可愛らしかった。
「それにしても、今回は本当にお疲れ様でした」
慧がビールのジョッキを傾けながら言う。
「特に阿須那。君のような高校生が、あれだけの活躍をするなんて」
「俺一人じゃ何もできませんでした。みんながいてくれたから」
俺は本心からそう答えた。ククル、ハヤテ、エリカ、レオン――一人でも欠けていたら、今日の勝利はなかった。
「でも、お前の成長速度は本物だ」
酔いが回ったレオンが、ふらつきながら俺の肩を叩く。
「今回の戦いで確信した。お前はきっと遠くまで行ける」
「そうだ、アスちゃん!」
ククルが俺の肩で飛び跳ねる。
「今回すっごく頑張ったから、日給アップじゃない? えーっと、いくらにする?」
俺はククルを見つめた。
あの死闘で、彼女がどれだけ俺を支えてくれたか。
「500円でどうだ?」
「やったー! 200円アップ!」
ククルの計算が間違っているが、その嬉しそうな顔を見て指摘する気にはなれなかった。
「あのな、ククル――」
「ん?」
「今回のスタンピードで、お前の力がどれだけ大きかったか。みんなにも分かってもらえて嬉しかった」
ククルがぱあっと顔を輝かせる。
「本当!? みんな、ククルのこと見てくれてた?」
「ああ。特にエリカとレオンが感心してたぞ」
「やったー! ククル、すっごく嬉しい!」
ククルが俺の周りをくるくると飛び回った。
「みんなで乾杯しましょう」
志桜里が提案すると、全員がグラスを手に取った。
「今回の勝利と、これからも続く友情に!」
「乾杯!」
みんなの声が居酒屋に響いた。
【第八幕:影の予兆】
宴会が盛り上がっている時だった。
店の入り口から、凍りつくような殺気が立ち込めた。
白い手術衣の上に黒い革コートを羽織った痩せぎすの男。
そして彼の隣には、赤い長髪に黒いゴシックロリータ調の衣装を着た少女。
ブラッドレターとルビー。
「お疲れ様」
顔の下半分を覆うマスクの上から、血のような瞳が俺たちを値踏みするように見つめる。
「今回の『情報戦』は、我々の素直な敗北を認めよう」
俺の拳が握りしめられる。
情報戦——慧が予測していた通りだった。俺たちは踊らされていたのか。
だが、ブラッドレターの視線が慧に向けられる。
「無名のDtuberが人々を動かしたことは――想定外だった」
慧が記者の本能で、すでにボイスレコーダーを起動させている。
「だが、スタンピードは我々の『収穫』通りだった」
ルビーが無邪気な笑顔を浮かべながら言う。
「地球を弱らせることができたし、『最凶の存在』の目覚めが近くなったもの♪」
最凶の存在?
俺の血管に氷水が流れた。
サムハイン・ソーラーウィスプよりも強い敵がいるというのか?
「そして遥人――」
ブラッドレターの瞳がハヤテを捉える。
「お前の力をこの目で見ることができた。私としては『喜ばしい』限りだ」
ハヤテの顔が強張った。
二人の間に、何か深い因縁があるのか。
「まあ、詳しいことはいずれ分かるでしょう」
ブラッドレターが踵を返そうとした時、俺は思わず立ち上がった。
「待て!」
俺の声に、ブラッドレターが振り返る。
「ルビー――」
俺はあの赤い瞳の少女を見つめた。
「なぜ俺の名前を最初から知っていた? 俺はお前たちに会ったことなんて――」
「あら♪」
ルビーが首をかしげる。
その仕草は愛らしいのに、背筋に寒気が走った。
「あなたのことは有名よ――」
そして、彼女は爆弾を投げつけた。
「『鈴倉景虎』と『瑠璃子』の息子でしょ?」
鈴倉景虎と瑠璃子。
俺の脳裏に混乱が走った。
「……は? 景虎と瑠璃子って誰だ?」
俺が知っている父親の名前は『鈴倉正雄』のはずだ。
母親は小さい頃に亡くなったと聞かされていた。
父親は三年前、俺の目の前で最期の言葉を残して息を引き取った。
確かにそう記憶しているのに——
なぜルビーは、俺を知らない名前で呼んだ?
俺の顔から血の気が引いていく。
その表情を見て、ブラッドレターが興味深そうに目を見開いた。
「知らなかったのか――」
その声は、まるで興味深い実験結果を発見した科学者のような響きだった。
「だが、我らに関わり続ければ『必ず』知ることになるだろう」
そこに、もう一つの美しい影が現れた。
美しい、あまりにも美しい女性が、まるで夜の帳から現れたかのように店内に歩み入る。
長い黒髪、雪のように白い肌、深い紅の唇。
身に纏うのは漆黒のドレス――まさに完璧な美貌の持ち主だった。
ブラッドレターがわずかに姿勢を正し、軽く頭を垂れた。医療用マスク越しでも分かる、敬意を含んだ視線だった。
「アンナ……」
ハヤテの声が震えた。酔いが一瞬で醒めたような、緊張した表情だ。
「お疲れ様でした、皆さん」
アンナの声は蜂蜜のように甘く、それでいて氷のように冷たい。
「特に今回の『実験』は、私たちにとって非常に有益なデータが取れました」
実験。
その言葉に、俺の血管を氷水が流れた。
「京都のスタンピードが――実験だと?」
「ええ。そして阿須那・鈴倉――」
アンナの瞳が俺を見つめる。
「あなたのご両親『景虎』と『瑠璃子』が世界に残したもの、そしてあなたが受け継いだもの――それがどれほど重要か、いずれ理解する時が来るでしょう」
「ちょっと待て!」
俺は混乱して立ち上がった。
「俺の父親は正雄だ! 景虎なんて名前は聞いたことがない! お前たちは一体――」
「あら」
アンナが微笑む。
その笑顔は美しく、それでいて恐ろしかった。
「まだその時ではなかったようね」
アンナの指がわずかに動いた瞬間、俺の体が金縛りにあったように動かなくなる。
その時、アンナがゆっくりとハヤテに歩み寄った。
「アンナ、あなたは——」
ハヤテの言葉を遮って、アンナが歩み寄る。
その美しい指先が、ハヤテの頬にそっと触れた。
「まだ……温かいのね」
囁くような声。
一瞬だけ、あの時ハヤテが語ったアンナが覗いたような——
だが次の瞬間、彼女の手がぱっと離れる。
「でも、それがどうしたというの」
冷酷な微笑み。
愛情は憎悪に変わり、ハヤテは言葉を失った。
「では――次にお会いする時まで」
そう言い残すと、三人は闇の中に消えていった。
しばらく誰も口をきかなかった。
「……大丈夫か、阿須那?」
ハヤテが心配そうに声をかけてくる。
「ああ……なんとか」
俺は深く息を吐いた。
だが、頭の中は混乱でいっぱいだった。
景虎と瑠璃子――俺の本当の両親?
「でも、立ち止まってるわけにはいかない」
俺は推薦状を握りしめた。
「俺には仲間がいる。守るべき人たちがいる」
ククルが俺の手を握る。
「アスちゃん、一緒に頑張ろうね」
「ああ」
俺は笑顔を作った。
「Bランク試験、合格してみせる」
【エピローグ:新たな出発】
翌朝、俺は一人で京都の街を歩いていた。
昨夜の出来事から立ち直れずにいる俺を、ククルが心配そうに見つめている。
「アスちゃん、一人で抱え込まないでね」
「ああ……大丈夫だ」
それは半分嘘だった。
でも、立ち止まっているわけにはいかない。
Bランク昇格試験。
両親の真実。
『革命』との戦い。
全てを解き明かすために、俺は前に進む。
「そうだ、ククル」
俺は振り返った。
「今度のBランク試験、会場まで一緒に来てくれるか?」
「えっ? ククルも?」
「試験は一人で受けるけど、会場まで付いてきてもらえると心強い」
ククルの瞳がきらきらと輝いた。
「もちろん! アスちゃんの応援するよ!」
「頼もしいパートナーだ」
俺はククルの頭を優しく撫でた。
そうだ。たとえ俺の過去がどれほど複雑でも、今の俺には大切な仲間がいる。
「この闇より来たりて光を操る者――『アストラル』よ」
闇に呑まれることなく、光を失うことなく。
京都の朝日が、俺たちの新たな旅路を照らしていた。
第二部 スタンピード ——完——
この度は、第二部最終話まで愛読いただき、心より感謝申し上げます。
おかげさまで第二部を終えて150話を超える長編となり、多くの皆様に支えられながら、ついに一つの区切りを迎えることができました。
これまでの長い道のりを、最後まで見守ってくださった読者の皆様のお力添えなくしては、ここまで物語を紡ぐことはできませんでした。
第二部は完結いたしましたが、物語はまだまだ続いてまいります。
これからも登場人物たちの成長と冒険を、どうぞ楽しみにしていてください。新たな展開、新たな出会い、そして予想もつかない展開が皆様をお待ちしています。
つきましては、今後とも変わらぬご愛読と、可能でしたらブックマークや評価ポイントでのご支援を賜れれば幸いです。
皆様の応援が、この物語をより良いものにする原動力となります。
第三部は現在執筆中です。2カ月以内の投稿を目指しておりますので、それまでお待ちいただければと思います。
最後になりましたが、ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
これからも末永くお付き合いください。