第150話
【 第三幕:覚悟の代償】
「何か考えがあるのか?」
俺はハヤテに問いかけた。
彼は小さく頷いたが、その表情は普段の飄々とした様子とは明らかに違っていた。
額に玉のような汗を浮かべ、まるで重大な決断を迫られているような深刻さがある。
「……方法はあります」
ハヤテの声は低く、ためらいがちだった。
「ただし、代償が大きすぎる」
「代償?」
俺は眉をひそめた。
ハヤテは遠くの空を見つめながら、小さく息をついた。
「あっしの持つ力は……特殊でござんす。おそらく、『彼ら』も知っているでしょう」
「彼ら?」
「ブラッドレターたちでござんす」
竹林を渡る風が、ハヤテの三度笠を静かに揺らす。
「生まれた時から『あるもの』が宿っている。それは強大な力をくれますが……同時に人としての心を奪っていく」
「だからこそ、彼らはあっしがその力を使うのを期待している。それが分かっているから——使いたくなかった」
ハヤテの手が、わずかに震えているのを俺は見た。
「でも、大切な人たちを守るためなら、今回だけは例外でござんす」
「本当にいいのか?」
「構いません」
即答だった。迷いなど微塵もない、断固とした意志。
「ただし——」
ハヤテが俺を真っ直ぐ見つめる。
「もし、あっしが……今とは違う存在になっても、それでも友達でいてくれますか?」
その問いに込められた切実さに、俺は息を呑んだ。
ハヤテの瞳には、深い不安と恐怖が宿っている。
まるで拒絶されることを心底恐れているかのような——
だが、答えに迷いはなかった。
「当然だ。お前がどんな姿になろうが、お前はハヤテだ」
ハヤテの顔に、安堵の笑みが浮かんだ。
まるで長年の重荷が少しだけ軽くなったかのように。
「ありがとう、阿須那。それが聞けて……安心しました」
そして彼は再び前を向く。
その背中に、覚悟を決めた戦士の風格が宿っていた。
林勇太郎の【八方支援陣】が既に展開されている中、俺は最後の作戦を実行に移した。
「【スケープゴート】!」
俺は自分に標的変更のスキルをかけ、サムハイン・ソーラーウィスプの注意を引いた。
案の定、紫黒色の冥火が俺に向かって放たれる。
みんなが俺以外への攻撃に備えて防御体勢を取る中、俺は【魔法反射80%】の発動を待った。
「ハヤテ、頼む」
「承知」
短い言葉を交わし、俺たちは最後の賭けに出た。
そして──
光の膜が冥火を跳ね返した瞬間、ハヤテが動いた。
【第四幕:一瞬の奇跡】
光の膜が冥火を跳ね返した瞬間——時間が止まったような感覚に陥った。
一瞬が、永遠のように引き延ばされていく。
俺の視界の中で、ハヤテに『何か』が起きていた。
最初は微かな変化だった。
三度笠の下の瞳が、黒色から深い金色へと変わっていく。
まるで夕陽が瞳に宿ったかのような、神々しい輝き。
次に空気が変わった。
季節外れの桜の花びらが、どこからともなく舞い踊り始める。
風もないのに、ハヤテを中心として淡いピンク色の渦が生まれていく。
そして——俺が息を呑んだのは、彼の腕に起きた変化だった。
肘から指先にかけて、墨のような深い黒が広がっていく。
だがそれは侵食ではない。
まるで古代の神話に描かれた神の証のような、荘厳で美しい変化だった。
最後に、ハヤテの背後に巨大な影が立ち上がった。
翼。
それは確かに翼だった。
しかし鳥の翼でも、悪魔の翼でもない。
威厳に満ち、神聖で、見る者の心に畏敬の念を抱かせる——神話の中でしか見たことのない『何か』の翼。
「あっしは……人間でございます」
変化の最中でも、ハヤテの声だけは変わらなかった。
まるで自分自身に言い聞かせるように。
まるで忘れてはいけない何かを確認するように。
一瞬、彼の表情に影がさした。
遠い記憶を手繰り寄せるような、苦いものを飲み込むような——
「『あいつ』に何を言われようと……あっしは人間でござんす」
その声には、確固たる意志が込められていた。
血筋がどうであれ、生まれがどうであれ、自分が何を選ぶかは自分で決める——そんな強い決意が。
俺は全身が震えるのを感じた。
目の前にいるのは、もはや人間ではなかった。
古代より語り継がれる『何か』の顕現。それでも——
ハヤテは、ハヤテのままだった。
【第五幕:光と影の融合】
反射弾がサムハイン・ソーラーウィスプに命中したその瞬間、変化を遂げたハヤテが一撃を放った。
神々しい翼が大きく羽ばたき、竹林の空気が一瞬で浄化される。
桜色のエネルギーが螺旋を描きながら巨大なモンスターを包み込んでいく。
「これは——」
サムハイン・ソーラーウィスプの巨大な目に、初めて『恐怖』が宿った。
光と影。神性と邪悪。浄化と侵食。
全てが激突する瞬間だった。
俺の魔法反射による冥火とハヤテの桜色の力が空中で融合し、これまで見たことのない美しい光を生み出していく。
それは破壊のための力ではなく、救済のための光だった。
「ギャアアアアアアア!」
サムハイン・ソーラーウィスプの断末魔が京都の空を震わせる。
巨大な体が崩壊を始め——だが、それは恐ろしい死ではなく、美しい昇華だった。
琥珀色の欠片となって舞い散る姿は、まるで浄化された魂が天に帰っていくかのよう。
内部に宿っていた邪悪な炎も、桜色の光に包まれて静かに消えていく。
やがて訪れた静寂。
空から降り注ぐ琥珀色の欠片が、雪のように美しく京都の街を包み込んだ。
「「やったああああ!」」
エリカとレオンの歓声が響く。
「アスちゃん、やったね! やったよー!」
ククルが俺の周りを小さな竜巻のように回転しながら大はしゃぎしている。
ゴル〇13のアイマスクを外した彼女の瞳には、純粋な喜びと安堵の涙が浮かんでいた。
「ちゃんと生きて帰れたもん! 約束守れたね♪」
そう言いながら俺の腕にぎゅっと抱きつくククルの温もりが、なんだかとても心地よかった。
林勇太郎も満足げに頷き、橘慧のカメラも、この歴史的瞬間を記録し続けている。
周囲の一般人からも大きな歓声が上がった。
「アストラル最高!」
「ハヤテさんもすごかった!」
「これは絶対に語り継がれる戦いだ!」
俺の顔が仮面の下で赤くなる。
こんなに多くの人に認められるなんて、夢にも思わなかった。
でも内心では「みんな、俺がこんなに必死だったって知ってるのかな……」という複雑な気持ちもあった。
みんなが勝利に沸く中、俺はハヤテの変化について聞こうとした。
だが、ハヤテの姿は既に元に戻っていた。
まるで先ほどの出来事が幻だったかのように、普段と変わらない股旅姿がそこにあった。
「ハヤテ、さっきの——」
「ん? さっきの何でござんすか?」
ハヤテが首をかしげる。
その表情には困惑があったが、どこか演技じみたものを俺は感じ取った。
「いや、あの……お前の姿が一瞬——」
ハヤテの視線が周囲をさりげなく確認する。
エリカ、林勇太郎、橘慧のカメラ、そして大勢の一般人——多くの目と耳がこちらに向けられていた。
「ああ」
ハヤテは手を叩いて納得したような顔をした。
だが、その瞬間に俺と目が合い、ほんの一瞬だけ意味深な表情を浮かべる。
「激しい戦闘で疲れているのでしょう。こういう時は幻覚を見ることもありますからな」
その言葉に、俺は違和感を覚えた。
ハヤテの声には、いつもの飄々とした調子があったが、どこか作り物めいた響きがある。
「そう……だな。きっと疲れてたんだろう」
俺はそれ以上追及するのをやめた。周りに人が多すぎる。
だが、別れ際にハヤテが小さく囁いた言葉を俺は聞き逃さなかった。
「……また今度、ゆっくりと」
胸の奥で、あの一瞬の光景が真実だったような確信だけは、なぜか消えずに残っていた。