第146話
【幕間:敗北を悟る者たち】
――同時刻 地下研究施設・実験室――
薄暗い監視室に、複数のモニターが青白い光を放っていた。
そこには京都のスタンピード戦場と、各配信サイトのリアルタイム視聴者数が表示されている。
「まさか……こんなことが……」
蒼井瑠璃が震える指でキーボードを叩いていた。
画面には信じがたい数字が表示されている。
SnowBlossom配信:視聴者数 1,247,893人
橘慧の戦場配信:視聴者数 890,542人
対して、彼女の「Azure革命探索TV」は——
視聴者数:23,891人
しかも、その数字は刻一刻と減り続けている。
視聴者たちが他の配信に流れているのが手に取るように分かった。
「切り札の動画も……まさか、こんな……」
瑠璃は別のモニターを見つめた。
そこには『アストラルとハヤテの真実』と題された偽造動画の再生数が表示されている。
再生数:1,203回
高評価:8 低評価:847
『また偽造動画かよ』『技術は上手いけど、嘘は嘘』『現場の真実に勝るものなし』
コメント欄は辛辣な批判で埋め尽くされていた。
「無名のFランク……数十人程度の視聴者……」
瑠璃は自分が二週間前に吐いた言葉を反芻した。
あの時の傲慢さが、今は屈辱となって胸を刺している。
「なんで……二週間かけて完璧に作り上げた動画が……」
彼女の声が震える。
スタンピード直後の『希望から絶望への落差』を狙った完璧な計画だった。
だが、視聴者たちは現場の真実を選んだ。
偽造された『真実』ではなく。
画面の中では、薄いピンク色のワンピースを纏った志桜里が避難所で歌い続けていた。
魔銃「スターバースト」から放たれる青白い光が、雪の結晶のように美しく舞い踊っている。
そして何より許せないのは——その歌声に、本物の力があることだった。
『すげぇ……本当に歌で人を癒してる』
『この光、CGじゃないよね?』
『SnowBlossomちゃん、ありがとう!』
『アストラルとハヤテも頑張れ!』
コメント欄に溢れる純粋な感動の声。
それは瑠璃が技術と操作で作り上げてきた「偽りの共感」とは、根本的に異なるものだった。
「情報戦でも……あのハッカーの少女に……」
瑠璃はもう一つのモニターを睨んだ。
そこには星凛が避難所から発信した緊急警告が表示されている。
『偽造動画警報! 敵の情報戦が開始されました! 以下のURLは全てフェイクです!』
技術的解析と拡散防止措置が、瑠璃の計画を完全に無力化していた。
「悔しい……悔しいっ!」
瑠璃の完璧なメイクが、悔し涙で崩れ始める。
「私の方が技術も経験も上なのに……なんで、なんであんな子に……!」
彼女の「魅惑の声」は確かに強力だった。
だが、志桜里の歌声には「魅惑」ではなく「希望」があった。
人を操るのではなく、人の心を救う力があった。
「瑠璃、落ち着け」
背後から響いた冷静な声に振り返ると、白い手術衣のブラッドレターが立っていた。
血のような瞳が、モニターを興味深そうに見つめている。
「この……この屈辱が分かりますか!? 私が積み上げてきたもの全てが……!」
「分かる」
ブラッドレターの意外な答えに、瑠璃は言葉を失った。
「私もかつて、黒神遥人に医師免許を剥奪された。技術では私の方が上だったにも関わらず、な」
彼はモニターの志桜里を見つめながら続けた。
「だが、そこで学んだのだ。『技術』だけでは人は動かせない。『心』が必要なのだと」
「心……」
「偽造動画も同じだ」
ブラッドレターが振り返る。
「どれほど精巧に作ろうとも、『嘘』は『真実』に勝てない。人々は本能的にそれを見抜く」
「君の敗因は、その少女を過小評価したことではない。『心』というものを理解していなかったことだ」
瑠璃は拳を強く握りしめた。
認めたくなかったが、ブラッドレターの言葉は的を射ていた。
モニターでは、志桜里の歌声に励まされた戦場の人々が、次々と立ち上がっている様子が映っていた。
ダンジョン部の洗脳が解け、一般市民がアストラルを応援し——
「情報戦は、我々の完全敗北だ」
ブラッドレターが静かに告げた。
「だが、これは終わりではない。むしろ——」
彼の唇に、薄い笑みが浮かんだ。
「『源種』と『蝕種』の均衡が崩れた今こそ、新たな世界への扉が開かれたということだ」
◇◇◇
【第三幕:記録する者たちの使命】
部長の洗脳が解けた今、俺は周囲の状況を改めて確認した。
遠くでハヤテと闇妓たちの戦いが続いているが、戦場上空に浮かぶ巨大な半透明のホログラム映像から、慧の落ち着いた声が響いてくる。
「現在、京都でBランクスタンピードが発生中です」
上空の映像には慧の姿と、戦場の俯瞰映像が分割表示されている。
彼もまた、この戦いを記録し、真実を世界に伝えようとしているのだ。
「戦場では第三波『闇妓』による精神攻撃が展開されました。しかし、現在避難所から響く歌声が、洗脳された高校生たちの精神を解放していることが確認できます」
俺は驚いた。
慧は単なる野次馬記者ではない。
彼は冷静に状況を分析し、この戦いの意味を人々に伝えようとしている。
しかも——
「これは音楽の持つ力が、実際に精神操作に対抗できることを示す貴重な証拠です。特に注目すべきは、歌い手と戦場の距離です。数キロ離れた避難所からの歌声が、ここまで影響を与えている……」
上空のホログラム映像の端に、リアルタイムのコメント欄が小さく表示されていた。
だが、そこには大量のスパムコメントが流れている。
『嘘つき配信者』
『やらせだろこれ』
『革命を阻害する偽善者』
明らかに組織的な荒らし行為だった。
「視聴者の皆さん、画面右端のコメント欄をご覧ください」
慧の声が戦場全体に響く。
「これは情報戦の一環です。真実を隠蔽しようとする勢力が、組織的に世論誘導を試みています。コメントの文体や投稿タイミングの規則性から、bot による自動投稿である可能性が高い」
慧の冷静な分析により、上空のコメント欄を見上げる避難民や戦場の人々が荒らしコメントの正体を理解し始める。
『なるほど、これが噂の工作活動か』
『慧さんの解説でよくわかった』
『負けるな、歌声!』
善意のコメントが悪意を圧倒していく様子が、戦場にいる俺たちにも伝わってきた。
真実は、必ず伝わるのだ。
そして人々は、本当に大切なものを見分ける力を持っている。
◇◇◇
【第四幕:竹林に舞う死闘】
竹林の奥から巨大な爆発音が響いた。
ハヤテの戦いが続いているのだ。
俺は急いで通信機器を取り出した。
「ハヤテ! 応答しろ!」
『こちら……ハヤテ……何とか……持ちこたえて……いるが……』
通信は途切れ途切れだったが、まだ生きているようだ。
だが、その声音からは疲労が隠しきれない。
「ククル! ハヤテの元へ一緒に来てくれ!」
「わかった! でもアスちゃん……」
ククルが心配そうに俺を見下ろす。
ゴル〇13の眼光が、なぜか今は頼もしく見えた。
「アイマスクのおかげで方向感覚は大丈夫! 人魂で道筋も分かるよ!」
「よし! お前の人魂を頼りに進む! 先導してくれ!」
俺たちは竹林の奥へと駆け出した。
足元の黒い液体を踏みしめながら、ククルの青白い人魂が示す道筋を辿って行く。
竹林を抜けた先で見たものは、血まみれになりながらも100体を超えるモンスターと戦い続けるハヤテの姿だった。
その周囲には、倒されたモンスターの残骸が山のように積み上がっている。
だが、まだ半数以上が残っている。
「ハヤテ!!」
俺の叫び声が響く中、ハヤテの動きが一瞬鈍った。
その隙を突いて、A級モンスターの爪が彼の肩を深く抉る。
「くっ……!」
ハヤテが膝を付く。もう限界なのだ。
しかし俺の【四大元素・全体強化】の効果で、水の加護によりHPが継続回復している。まだ戦える。
だが、俺が見たハヤテの表情には、絶望ではなく深い集中があった。
まるで何かを待っているかのような、静かな決意。
そして俺は気づいた。
地面に突き刺さったハヤテの刀から、青白い光が立ち上がっている。
いつの間にか地面に刀を突き立てていたのだ。
そして今、その刀を起点として——
「阿須那……あっしを信じろ」
残ったモンスターたちがハヤテに向かって殺到していく。
俺は前に出ようとしたが、ハヤテが手で制した。
「ハヤテ……」
俺は拳を握りしめながら、親友の戦いを見守った。
必ず生きて帰る。それが俺たちの約束だった。
そして、ハヤテは約束を守る男だ。
俺がそれを信じた瞬間——
空気が変わった。
竹林に、かすかな甘い香りが漂い始める。
季節外れの、しかし確かに桜の香りだった。