第128話
27層、28層と進むにつれ、ルビーの異常性がより明確になっていく。
彼女は敵を倒すたびに、まるで研究データを収集するかのように血液のサンプルを採取していた。
モンスターが粒子となって消え始める前に、驚くほど手際よく小瓶に血液を詰めている。
「何をしてるんだ?」
俺が尋ねると、ルビーは無邪気に答えた。
「研究用のサンプルよ♪ 消える前に採取しないと、血液も一緒に粒子になっちゃうの。異なる種族の血液成分を比較するの。生命の神秘を解明するためには、データの蓄積が不可欠なのよ」
その説明は一見すると学術的で合理的だった。
だが、消えゆくモンスターから血液を舌で舐め取る時の恍惚とした表情を見ていると、それが単なる研究目的ではないことは明らかだった。
彼女は血液そのものに、異常な執着を抱いているのだ。
◇◇◇
28層で休憩をとったとき、ハヤテは俺に小声で耳打ちした。
「ルビーという少女、ただ者ではないでござんす」
彼の声には明確な警戒心があった。
「彼女の能力は特異すぎる。それに……」
ハヤテは言葉を選ぶように続けた。
「彼女の『血』への執着は異常でござんす。まるで中毒者のような……」
「俺もそう思う。でも、今のところ敵対的ではなさそうだな」
「現時点ではそうでござんすな。しかし、その『先生』という人物が気になる」
俺も同感だった。
血液操作という特殊すぎる魔法を教えられる人物など、そうそういるものではない。
「それに」
ハヤテがさらに声を潜めた。
「彼女の戦闘スタイル……まるで『狩り』を楽しんでいるようでござんす。獲物を追い詰める快感を味わっているような」
その指摘に、俺は身震いした。
確かに、ルビーの戦い方には単なる戦術や技術を超えた、原始的な狩猟本能のようなものを感じる。
「ククル、あの子怖いよ。ここのモンスターよりも怖いって感じる……」
ククルが俺の耳元で小声で囁いた。
確かに、ルビーからは得体の知れない危険な匂いがする。
「ここのモンスターも不気味なはずなのになあ……」
俺も同感だった。
血液を採取する時のあの恍惚とした表情は、どう見ても普通じゃない。
「ねえ、本当に一緒にいていいの?」
ククルの不安そうな声が続く。
「このまま進んでいったら、ゲームでいう裏切り展開っていうのじゃないの? 絶対そうなってもおかしくないよね!?」
「では想像してみるでござんすか?」
ハヤテが静かに口を挟んだ。
「ここで別れたら、ルビーという少女はどういう行動を起こすか」
俺は少し考えてから答えた。
「……このまま平穏にモンスター討伐して帰りました、なんて思えないな」
「その通りでござんす」
ハヤテが頷く。
「ククルの言う裏切りという行動を起こしてもおかしくない少女であるなら、なおさら離れるわけにはいかない。偶然鉢合わせた探索者に危害を加える可能性があるでござんす」
「監視、という意味も込めて一緒に行くべきか」
俺がそう呟くと、ハヤテが力強く答えた。
「いざとなったらあっしが対処しますよ」
「うん! ククルも守るからね!」
二人の言葉が嬉しかった。だが同時に、いつまでも守られる側でいることへの歯がゆさも感じる。
俺だって、いつかは二人を守れるようになりたい。
そのためには、ここから先の試練を乗り越えなければならない。
◇◇◇
29層に到達した時、ルビーはこれまで以上に生き生きとした表情になっていた。
深層に近づくにつれて、彼女の中の「何か」が活性化しているようだった。
この層で俺たちが遭遇したのは「百面鬼」——全身に人間の顔が浮かび上がる巨大な人型の妖怪だった。
身の丈は3メートルを超え、その無数の顔は様々な感情を浮かべながら不気味に蠢いている。
「キャー♪ すてきな敵ね!」
ルビーは興奮したように叫んだ。
その声には純粋な喜びが込められていたが、同時に何か恐ろしいものも感じられた。
彼女は両手から血液を噴出させ、無数の針を作り出した。
針が雨のように降り注ぎ、百面鬼の全身に突き刺さる。
だが、その攻撃は致命打を避けるように調整されていた。
まるで実験動物を殺さずに苦痛を与えるような、計算された残酷さがあった。
「うふふ♪ どの顔が一番痛がってるのかしら?」
百面鬼が「百の叫び」で反撃すると、俺は頭を抱えてうずくまった。
だが、ルビーだけは平然としていた。
それどころか、まるで心地よい音楽を聞いているかのような表情すら浮かべている。
「美しい叫び声……絶望と苦痛が混ざり合った、最高のハーモニーね♪」
その言葉に、俺は戦慄した。
◇◇◇
戦闘が終わると、俺たちは30層への入口を発見した。
そこには巨大な朱色の鳥居が立っており、その前には小さな石の祭壇がある。
祭壇には「願いを捧げよ」と古代文字で刻まれていた。
「何らかの試練でござんすな」
ハヤテが慎重に祭壇を調べながら眉をひそめた。
「願いを捧げるだけでいいんでしょ? 簡単ね」
ルビーが軽快に言ったが、俺は嫌な予感がした。
ダンジョンの試練がそんなに簡単なはずがない。
「それがどういう意味なのか、慎重に考えるべきでござんす」
ハヤテが祭壇をさらに詳しく調べていると、ルビーが突然前に出た。
「私、もう決めたわ♪」
「ルビー、待て!」
俺の制止も虚しく、彼女は祭壇に手を置いた。
その瞬間、ルビーの表情が一変した。無邪気な少女の仮面が剥がれ落ち、代わりに現れたのは——純粋な欲望に燃える、狂気じみた顔だった。
「私の願い……それは『力』! あらゆる生命を自在に操る、絶対的な力!」
彼女の声は低く、どこか獣めいた響きを帯びていた。
「もっと強く、もっと完璧に血を操りたい! 生と死の境界を意のままに操る力が欲しい! 先生に認められるために、誰よりも強い存在になりたい!」
突然、祭壇から血のような赤い光が噴き出し、ルビーの全身を包み込む。
彼女の体が一瞬輝き、何かが彼女の中に流れ込んでいくのが見えた。
その光は美しくも禍々しく、見ている俺の背筋を凍らせた。
そして、光が収まった時——
「あぁ……♪ これよ、これなの!」
ルビーの瞳が異常な光で輝いていた。
まるで覚醒剤を服用した者のような、狂気に近い興奮状態だった。
「体中に力が漲ってる……血の流れが手に取るように分かる。これなら、もっと多くの『実験』ができるわ♪」
その言葉の恐ろしさに、俺は言葉を失った。
俺たちも順番に願いを告げざるを得なかった。
俺は「人々を守る力」を、ハヤテは「真実を見抜く目」を願った。ククルは幽霊のせいか反応しなかった。
三人が願いを告げると、鳥居の結界がゆっくりと溶けるように消えていった。
30層への道が開かれる。
「さあ、行きましょう♪」
ルビーが先頭に立って歩き出した。
だが、彼女の足取りは以前とは明らかに違っていた。
より軽やかで、同時により危険な雰囲気を纏っている。
俺の胸の奥では不安が膨らんでいた。
彼女が手に入れた「力」とは一体何なのか?
そして、それが俺たちにとって吉と出るか、凶と出るかは——
答えを求めて、俺たちは30層の暗闇へと足を踏み入れた。




