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第125話

 21層に降り立った瞬間、俺の肌に冷たい空気が纏わりついた。

 

「大丈夫か、ハヤテ」

 

 俺は歩きながら、先ほどの出来事を引きずっている様子の彼に声をかけた。


「……大丈夫でござんすよ。慣れてますから」


 ハヤテの声は平静を装っているが、どこか重い。


「ハヤテは、こういうのにはよく遭うの?」


 ククルが心配そうに首を傾げる。


「探索者になる以前から職業柄、人の死に関わるのでよくありましたよ」


「探索者になる以前って、ハヤテはなにやってたんだ?」


 俺の質問に、ハヤテは一瞬足を止めた。


「……医療関係を少々。それ以上は言えないでござんすな」


 その言葉の重さに、俺とククルは押し黙った。

 ハヤテの過去には、きっと俺たちの知らない深い事情があるのだろう。


 田中さんの無念は胸に重く残っているが、探索者として前に進まざるを得ない現実が、徐々にその痛みを日常の一部に変えていく。

 生者は前に進まなければならない——それが残酷な現実だった。




 20層とは明らかに違う。

 朱色の鳥居は相変わらず幾重にも連なっているが、その間隔が不規則で、まるで酔っ払いが適当に並べたかのようにバランスを欠いている。

 青白い霧は濃度を増し、まるで牛乳に墨汁を一滴垂らしたような不透明さで視界を遮っていた。


「21層からは探索者を迷わせることを目的とした階層になってるでござんす」


 ハヤテの声が霧の中に響く。

 三度笠の下から覗く目は警戒の色を帯びていた。


「『狐火』が正解への案内と、罠への誘導の両方をしますから気を付けるでござんすよ」


 言われてみれば、確かに遠くの方で青白い光がちらちらと揺れているのが見える。

 まるで生き物のように、ふわりふわりと宙を舞っている。


「先生!」


 ククルが元気よく手を挙げた。

 その仕草はまるで授業中の優等生みたいで、俺は思わず苦笑してしまう。


「それ見分けがつく方法とかないんですか?」


「ないでござんすな。基本はスマホで確認しながら進むのが確実でしょう」


「……つまり狐火は無視しろってことじゃねえか」


 俺がそう呟いた時、ふと疑問が浮かんだ。

 スマホ。地下深いはずなのに、なぜまだ電波が通じているんだ?


「なあハヤテ」

 俺は立ち止まった。

「ここって21層だよな。地下何メートルくらいなんだ?」


 ハヤテの足音が止まる。

 振り返った彼の表情は、三度笠の陰に隠れてよく見えなかったが、なぜか困ったような雰囲気を感じた。


「……あっしはその概念はないと思ってるでござんす」


「え?」


「どういうこと? 地下じゃないのここ?」


 俺の疑問に、ハヤテは少し考え込むような仕草を見せた。


「本当に地下を掘り続けて出来ているなら、酸欠であっしらは生きていないでござんす。それだけでなく巾着田ダンジョンでも地下なのに植物が自生している。北海道やロシアではダンジョン内で常に雪が降り積もってる環境でござんす」


「「ダンジョン内に雪っ!?」」


 俺とククルの声が見事にハモった。


「すごいよアスちゃん!」

 ククルの目が星のように輝いた。

「暑い夏には北海道のダンジョン行けば涼しいんだよ!」


「逆に凍死しそうで怖いわ、それ……」


「それは……真夏に冷凍庫に閉じ込められる状況に等しいでござんすよ」


 ハヤテの例えが妙にリアルで、俺は身震いした。


「えー、だめなのー?」

 ククルが残念そうに唇を尖らせる。


「話を元に戻しますよ」

 ハヤテが咳払いをした。

「各階層は階段を下りて下っているように見えるでござんすが、実際は違うと思っている」


「じゃあ地下じゃなかったら何なんだ? まさか俺たち、ずっと幽霊船に乗ってるみたいな状況なのか?」

 

「うーん」ハヤテは困ったように頭を掻いた。

「現実世界とは違う空間、としか言えないでござんすが……阿須那の例えの方が分かりやすいかもしれませんな」


 その時、ククルがぽんと手を叩いた。


「あ、分かった! アニメとかでよく見る異世界ってやつだね!」


「ああ、なるほど」俺は膝を打った。

「それなら納得がいくな」


 ところが、ハヤテが首を傾げた。


「え? 異世界ってなんでござんすか?」


 ……え? 知らない?


 俺は思わずハヤテの顔をまじまじと見つめた。


「……ハヤテ。お前、ゲームとかアニメって知らないのか?」


「いや、あっしは全くそういうのは……」

 彼は困ったように頭を掻いた。

「エリカはよくそういう話をしてたような記憶はあるでござんすが、話に全くついていけなかったでござんす」


 逆にエリカが詳しいのかよ。そっちの方が意外だ。


「ねえねえ」

 ククルが好奇心丸出しで近づいた。

「ハヤテって何が趣味なの?」


「趣味……といっていいのか分からないでござんすが」

 ハヤテは少し考え込んだ。

「医学書や古典文学をよく読んでましたね」


「「それは趣味なの?」」


 今度も俺とククルの声が重なった。


「気は休まるでござんすよ」


「断言する。俺には一生理解できねえ!」


 ククルがくすくす笑いながら俺の周りを飛び回った。


「ハヤテー」彼女が指を立てて質問した。

「空気があるのは分かるけど、電波はなんで? これは異世界説でも説明つかないんじゃない?」


「ああ、俺もこれは気になってたんだよな」俺も頷いた。

「電波って人間が作ったものだろ?」


 ハヤテの表情が急に真剣になった。

 霧の中で、彼の目だけが鋭く光っているのが見える。


「……あっしの仮説でしかないでござんすが、聞きますか?」


 俺とククルは同時に首を縦に振った。


「恐らくですが……」

 ハヤテの声が低くなる。

「このダンジョン出現には、人が関わっていると思っている」


「え?」


 俺の心臓が一瞬止まったような感覚になった。


「人間がダンジョン作ったってことか?」


「いや……ダンジョンそのものは違うと思います」

 ハヤテは慎重に言葉を選んでいた。

「ただ、探索者が活動しやすい環境を整えたのは人間じゃないかと思っているでござんす」


「なぜそう思ったんだ?」


 俺の声は無意識に震えていた。

 もしハヤテの推測が正しいなら……。


「電波のみならず、インフラも人間のことを考えて整えている。スキルカードやレアドロップなど人間の好奇心を刺激するものを取り入れている」


 ハヤテの言葉一つ一つが、俺の胸に重く響いた。


「人間のことを熟知しているものでなければ不可能ではないかと……。推測の域から出ないものでござんすが」


 21層の青白い霧が、急に不気味に思えてきた。


 もしダンジョンが誰かによって「設計」されたものだとしたら——俺たち探索者は、何者かの手のひらで踊らされているだけなのかもしれない。




 俺たちは慎重に進み、鳥居の下をくぐりながら深層へと向かった。

 ククルは周囲を警戒し、時々先に飛んで偵察してくれる。


 その時、ククルが急に立ち止まった。

 

「ねえ、なんか嫌な感じがする……」

 

 彼女の半透明の顔が青ざめ、視線は霧の奥を見つめていた。


「敵か?」俺は身構えた。


「分からない。でも、普通のモンスターじゃない。もっと……複雑な気配」


 ククルの直感は、いつも正確だった。

 ククルの声に反応して足を止めると、霧の向こうから人影が近づいてきた。


 ハヤテが刀に手をかけ、警戒態勢を取る。

 だが、現れたのは戦闘態勢ではなく、優雅に歩いてくる一人の少女だった。


 霧が立ち込める伏見稲荷ダンジョン21層で、俺たちの前に現れたのは一人の少女だった。


 見た瞬間、時が止まったような錯覚を覚える。


 赤い長髪が腰まで伸びた少女だった。

 俺がその髪色に見とれていると、彼女がゆっくりと顔を上げる。

 紅玉のような瞳——その奥に宿る光に、俺は息を呑んだ。

 狂気じみた輝き。まるで獲物を前にした肉食獣のような。


「あらあら、誰かと思えば『令和の股旅』さんじゃないですか♪」


 少女は軽やかな足取りで俺たちの前に立ち、くるりと一回転して笑顔を見せた。


「そして、鈴倉阿須那さんよね? 近くで見ると、若くてかっこいいじゃない♡」


 その声は甘く、まるで子供のようだったが、赤い瞳の奥には年齢に似合わない深い知性と、何かを見透かすような鋭さが宿っていた。


「君は……? なんで俺の名前知ってるんだ?」

 俺は警戒しながらも尋ねた。


「単身でこんな深層にいるのは危険でござんすよ」


 ハヤテが眉をひそめながら警告した。

 三度笠の下から鋭い視線を送っている。

 彼の直感が何かを察知しているのだろう。

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