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第111話

 11月16日。

 Bランクスタンピード発生まであと2週間。


 夜明け前のニュース速報を眺めていた俺の瞳に、ついに予想していた見出しが飛び込んできた。


 

『京都・嵐山竹林ダンジョン周辺にスタンピード警戒令』


 

 エリカの予言は的中した。

 けれど、報道では「Bランク」という危険度や推定被害規模はまだ伏せられている。

 一般市民のパニックを避けるためだろう。


「どうせ数日したら全部公表されるんだよな……」


 声に出さずに呟きながら、スマホの電源を切った。

 黒い画面に映る自分の顔は、驚くほど疲れていた。

 エリカたちから聞いた「重慶の悪夢」の話が、今でも心の奥に重くのしかかっている。




 ◇◇◇




 埼玉鉄道博物館の入口に立ち、俺は深く息を吸い込んだ。


「アスちゃん、緊張してる?」


 頭上でふわふわ漂うククルの声が、朝の冷たい空気を切り裂く。


「ああ……正直言うと、少しな」


 緊張しているのは、単なる旅行だからじゃない。

 これから俺たちが見聞きすること、そして最終的に下すかもしれない決断への不安が、胸の奥で渦を巻いていた。


 マントと仮面を背負った「アストラル」になる前の俺なら、絶対こんな状況に身を置くとは想像もしなかっただろう。

 ダンジョンでヒーローごっこをするだけの中二病だった。

 それが今や、国の運命に関わるかもしれない事態に足を踏み入れようとしている。


「おっ、あれ見て!」


 ククルの声に顔を上げると、銀色の髪を風になびかせた少女が走ってくるのが見えた。

 白雪志桜里だ。


「おはよう、阿須那くん!」


 彼女の表情には期待と緊張が混じり合っていた。

 11月に入って急に冷え込んできたせいか、いつもより少し気合の入った服装をしている。

 深緑のチェック柄コートが彼女の銀髪と白い肌を一層引き立てていて、思わず見とれそうになる。


「おっはよー、朝から目の保養になるわね〜」


 俺の視線に気づいたククルが、からかうような声を出した。

 悪気なく冗談を言うククルの口調に、思わず顔が熱くなる。


「おはよう。……星凛は一緒じゃないのか?」


 少し慌てて話題を逸らした。


「うん。ダンジョン部のことで調べたいからって。それにここ一般の人は利用できないし、強く誘えなくて……」


 志桜里は少し歯切れ悪く答えた。

 魔銃使いとはいえ、まだFランクの彼女自身も本来なら入れない場所だ。


「まぁお金もかかるしな。仕方ないか」


「ねえ、昭和記念公園で見たハヤテさんが来るんだよね?」


 志桜里の声には微かな緊張感が混じっていた。


「そうだけど、緊張してるのか?」


「うん。正直言うと、少し」


「アスちゃんとおんなじセリフ〜」


 ククルが俺の周りをくるくると回りながら嬉しそうに言った。


「Sランクの実力を持ってる人なんでしょ? 阿須那くん、すごい人と知り合いなんだね」


「……言われてみると、本当にそう思う」


 俺は改めて自分の置かれた状況に思いを巡らせた。

 ククルという不思議な幽霊のパートナーに出会い、伝説級の探索者ハヤテと行動を共にし、世界的なSランク探索者エリカやレオンにまで会えるなんて。

 同じ高校生の探索者でこんな経験をしている奴がいるだろうか? 

 たまに自分の人生が何者かによって設計されているんじゃないかと疑いたくなるほどだ。


「それに、京都って行ったことないからドキドキしてる」


 志桜里の言葉に、俺も頷いた。


「俺もだよ」


「ククルはどうなんだ?」


 と思い顔を向けると、半透明の少女は考える仕草をした後、首を傾げた。


「記憶にないなあ。金ぴかのお寺があることしか分かんない」


 うん。やっぱり行ったことないみたいだな。




「ねえ、あれハヤテじゃない?」


 ククルが指し示す方向に目をやると、こちらに向かってくる股旅姿のハヤテがいた。


「お待たせしたでござんす」


 現れたハヤテに、志桜里は思わず一歩後ずさった。


「は、はじめまして! 白雪志桜里です!」


 声が裏返りながらも、彼女は緊張した面持ちで挨拶をした。


「あっしはハヤテでござんす。改めてよろしくお願いいたします」


 いつもの「ござんす口調」で返すハヤテに、俺は安心感を覚えた。

 やはりこの喋り方の方が彼らしい。


「相変わらずその格好なんだな。京都でも目立たないか?」


 俺は思わず心配になって聞いた。


「いえ、京都なら時代劇の撮影と思われますし、観光地なら多少変わった格好でも大丈夫でござんすよ」


 ハヤテは笠の下で苦笑いを浮かべているようだった。


「お二人はここの鉄道の利用は初めてでござんすか?」


 俺と志桜里は揃って頷いた。


「分かりました。では中へ入りましょう」




 ◇◇◇




 三人で入口に向かった。

 鉄道博物館は平日にもかかわらず、観光客や鉄道ファンでにぎわっていた。

 中に入ると、巨大な蒸気機関車や新幹線の展示が俺たちを出迎えた。


「すごい……」


 志桜里が感嘆の声を上げる。

 確かに圧巻の展示だった。

 俺たちのような若者から、じいちゃんばあちゃん世代まで、皆が目を輝かせながら展示を眺めていた。

 股旅姿のハヤテも意外と注目を集めているが、確かに時代劇関係者だと思われているようで、特に問題なさそうだった。


 鉄道の歴史を語る展示コーナーを通り過ぎ、奥へと進んでいくと、ひっそりとした小さな扉が見えてきた。

 「関係者以外立入禁止」と書かれている。


「ここがダンジョン入口でござんす」


 ハヤテが静かに言った。

 扉には探索者協会のマークが小さく刻まれていた。

 俺たちは探索者証を提示し、ダンジョン入口の扉を開けた。


 内部は暗く、青白い光が壁から漏れている。

 階段を下りていくと、広い空間に出た。




 そこが第一層だった。


 天井は高く、昭和初期の駅舎を思わせる造りになっている。

 壁には古い時刻表が飾られ、床には錆びついたレールが敷かれていた。

 空気はやや湿っているが、敵が出ない層だからか安全な雰囲気が漂っていた。


「Eランクダンジョンは、こんな感じなんですね」


 志桜里が小声で言った。

 彼女はFランクなので、本来ならEランク以上のダンジョンには入れない。

 Dランク以上の探索者が同行していれば入場可能になり、鉄道も利用できる。

 だから今日は俺が彼女の「お目付け役」というわけだ。


「まず第二層へ向かうでござんす」




 第二層への階段を降りると、そこは巨大な地下駅のような空間だった。

 天井から吊るされた真鍮製のランプが柔らかく揺れ、古めかしい駅舎の雰囲気を醸し出している。

 そして大きなプラットフォームの中央には、一台の黒い蒸気機関車が止まっていた。

 黒塗りの車体に金と銀の装飾が施された、まるで王族専用とでも言いたげな豪華な列車だ。


「あれに乗るの?」


 ククルが驚いたように叫んだ。志桜里も目を丸くして、息を飲む様子が可愛らしい。


「そうでござんすよ。これがワープ列車でござんす。列車内にもモンスターは出るから気をつけてください」


 ハヤテの説明に、俺と志桜里は顔を見合わせた。

 普段Dランクダンジョンで戦っている俺にとっても、未知の体験だ。

 志桜里に至っては今までFランクダンジョンしか行ったことがない。

 二人とも無言のうちに緊張感を高めていく。


 SL列車には入口に制服姿の係員がいて、「京都行き、御一人30,000円です」と言われた。

 俺の分はハヤテが約束通り半分の15,000円を支払い、俺も残りを支払う。

 志桜里は「私は全額払いますから!」と財布を取り出したが、ハヤテは「あなたも学生でござんすから」と丁寧に断り、志桜里の半額もハヤテが負担した。

 

 ククルが俺の耳元で囁く。

 

 「ステキな紳士じゃない〜♪」

 

 (俺がもっと稼げていれば、志桜里の分くらい払えたのに……)

 

 同い年の女の子に気を遣わせてしまう情けなさと、いつもハヤテに頼ってばかりの申し訳なさが胸に重くのしかかった。

 



 列車に乗り込んだ瞬間、時代を超えた感覚に包まれた。

 古びた革と磨き上げられた木の混ざった香りが鼻腔をくすぐる。

 床を踏むと微かに軋む音が響き、その振動が靴底から伝わってくる。

 深紅のビロードを張った重厚な木の座席には、真鍮のランプホルダーが柔らかな光を放ち、窓には手編みのレースのカーテンが揺れている。


「わぁ……まるで映画みたい……」


 志桜里が小さく呟いた。

 三人並んで座ると、間もなく汽笛が鳴り、列車がゆっくりと動き始めた。


 一息ついて列車内を見回すと、意外にも閑散とした雰囲気だった。

 俺たちの他には数組の乗客がいるだけだ。


 志桜里が窓の外に目を向けた。


「あ、外の景色が変わってきた……」


 窓の外は次第に乳白色の霧のようなものに包まれていく。

 それはダンジョンの壁ではなく、何か別の次元へと通じる通路のようだった。

 淡い光が幻想的に揺らめき、車窓を移動する光の粒が美しい。


 志桜里が窓に顔を近づけて熱心に外を眺める中、ククルが退屈そうに宙でくるくると回っていた。


「ねえねえ、せっかくだからククルも何か面白い話しようかな〜」

「志桜里はお前が見えてないんだ。下手に反応出来ないからやめてくれ」


 そう俺が忠告すると、ククルが悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「霧の中に入ったところで、ここでククルが怪談話をひとつ——」

「幽霊が怪談話ってなんかおかしくないか?」


 志桜里には聞こえないように小声で返事をする。

 ククルは構わず続ける。


「実はこの列車にはお化けが出るんですよ。くろーくてもやもやした……」


「いや、さすがに即興だろ? そんなの出るわけ——」

「出るでござんすよ」


 そう言ったと同時にハヤテは刀を瞬時に抜き放ち、車内の天井に向かって突き刺した。


「「え!?」」


 俺と志桜里は驚嘆の声を上げる。

 信じられないスピードだった。

 視界に捉えられないほどの速さで刀が鞘から抜かれ、天井に突き刺さっていた。


 ハヤテが刀を鞘に戻したと同時に、天井からボトリと黒いものが落ちてきた。

 それは白い粒子とともに床に着地し、次第に消えていった。


蒸気玉虫ジョウキタマムシでござんす。金属に惹かれて車内によく寄ってくるんでござんすよ」


「マジか……」


「うわあ……嘘から出た実って本当にあるんだ」


 ククルはそこまで言って、はっとした表情になった。


「あ、えーっと……でしょ〜? ククルの怪談、すっごく迫力あったでしょ〜♪」


 お前、本当に適当に話作ってたのかよ。




 ◇◇◇




 蒸気玉虫の一件でハラハラした後、改めて車内を見回してみる。

 スーツ姿のビジネスマンらしき人たちが疲れた表情で資料を見たりスマートフォンを操作したりしている。

 恐らく仕事で急いでいるのだろう。


「不思議でござんすな。この列車は時間と空間の狭間を走っているんでござんす」


「すごい……」志桜里が興味深そうに呟く。


「だから窓の外には様々な時代の断片が見えることがあるでござんすよ」


 列車は霧の中をスムーズに走り続ける。

 窓の外を見ていると、時々奇妙な光景が見える。

 まるで過去の日本の風景が断片的に流れていくようだった。

 江戸時代の城下町、明治の駅舎、昭和初期の都市風景……。


「タイムスリップしているような不思議な感じね」


 志桜里が静かに言った。


 その姿を見ていると、彼女がまだ若い女の子なんだということを思い出させられる。

 銀髪と整った容姿のせいで大人びて見えるが、好奇心旺盛な高校生だ。

 幼い頃からの夢はアイドルになることで、今は探索者としての活動と配信を両立させようとしている。

 彼女なりの「ヒーロー」の形を模索しているのだ。


 俺は携帯を取り出してニュースをチェックした。

 そこには予想通りの見出しが大きく踊っていた。



『京都嵐山竹林ダンジョンにスタンピード警告——市民避難計画始動へ』



 目を細めて記事の詳細を読んでいくと、「一部の探索者協会関係者からの提供情報によると、今回のスタンピードには不審な点がある」という一文が目に留まった。

 さらに「陳氏財団が緊急支援を表明」という情報も。

 陳氏財団——その名前にどこか引っかかるものを感じたが、列車の揺れで思考が途切れた。


「見てるでござんすか?」


 ハヤテが俺のスマホ画面に目をやった。


「ああ……ついに公式発表が始まったか」


「そうでござんすな。昨日からでござんす」


 ハヤテの声は低く、静かだった。

 何かを考えているようにも見える。


「みんな……」


 志桜里が心配そうに言った。


「大丈夫なのかな……京都の人たち」


「避難誘導はすでに始まっているでござんすよ」


 ハヤテが彼女を安心させるように答えた。


「重慶の時の教訓を活かして、今回は早めの避難が行われているでござんす。民間人の被害は最小限に抑えられるはずでござんすよ」


 その言葉に少し安心しながらも、「最小限」という言葉に引っかかる。

 つまり、犠牲者はゼロではないということだ。


 列車は霧の中をさらに進み、突然、汽笛が鳴り響いた。


「間もなく京都・京都鉄道博物館に到着します。お忘れ物のないようご注意ください」


 車掌の声がスピーカーから流れ、窓の外の霧が晴れていく。そこに見えてきたのは、見覚えのない駅のホームだった。


「あれが京都駅?」


 志桜里が首を傾げた。


「いえいえ、京都の鉄道博物館ダンジョンの出口でござんす」


 列車がゆっくりと停止し、俺たちは降り立った。

 

 京都の空気は東京とは少し違っていた。

 乾燥していて、どこか古い歴史を感じさせる。

 澄み切った青空が広がり、遠くに山々のシルエットが見える。

 空気の冷たさが肌を刺すが、そのすがすがしさに心が洗われるような気分だった。


「電車で二条城まで行きましょう」


 ハヤテの提案に頷き、俺たちは駅を後にした。


 これから俺たちが直面するであろう危機のことを考えると、心が重くなる。

 けれど今、古都の空気を吸いながら歩む足取りは不思議と軽かった。

 何が起きるにせよ、まずは自分の目で見て、自分の頭で考えることから始めよう。


 背筋が伸びる感覚と共に、俺は深く息を吸った。

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