九話 【帰還】【霧原優馬】
【帰還】
全員の自己紹介とククルによる大翼竜騒動の報告が終わる頃には、遺跡の入口まで戻っていた。
待機していた馬たちはそれぞれリラックスしていたが、主人たちの姿を確認するとすぐに背筋を伸ばして立ち上がった。
今夜はカッシュの街で一泊することになり、一同はそれぞれの馬にまたがった。名前にしか馬がない優馬は、隊長のカイルの後ろに乗せてもらうことになった。生まれて初めての乗馬だった。実際の速度は分からないが、体感的には相当速い。馬の動きにうまく合わせないと尻が痛くなる。
そんな中、カイルが後ろを振り返って声をかけてきた。
「しかし、ドラゴ……いや、大翼竜? ハッシュだっけ? ああ、もうドラゴンでいいか。そっちの方が馴染みやすいぜ。それにしてもキリハラ殿はなんでドラゴンと会話できるんだ? しかも魔術まで使えるなんて――」
風の音が激しく、少し聞き取りづらい。
「自分でもよくわからないんです。ただ、大翼竜の言葉が自然と頭に入ってきて……魔法についてはちょっと……」
おそらく〈全種族の言語習得〉のスキルのせいだろうが、優馬はそれについては曖昧に誤魔化した。
「ああ、すまない。恩人を詮索するつもりじゃなかったんだ」
「いえ、気にしないでください」
優馬は風にかき消されるほど小さくお礼を言った。
やがて一行はカッシュの宿屋に到着した。それぞれ手慣れた様子で荷物を降ろし、ロビーへと運び入れていく。尻の痛みに耐えながら降りた優馬を見て、ラスクが笑いながら声をかけた。
「キリハラのダンナ、もしかして馬に乗るのは初めてか?よかったら教えてやるよ、もちろんタダでな」
「ぜひお願いします」
これからの冒険に乗馬は必須だろう。
「おう!」と、ラスクは軽く手を上げると、自分の荷物を抱えて二階へ上がっていった。他のメンバーも次々と二階へ移動していく。この宿屋はきっと、大翼竜の調査時にいつも利用している拠点なのだろう。
初めての場所に戸惑ってキョロキョロしている優馬に、ククルが声をかけた。
「キリハラ殿、案内しますよ。こちらです」
ククルに導かれ、優馬も階段を上がった。
「一番奥の部屋が空いていますから、自由に使ってください。食事の支度ができましたらお呼びしますので、それまではゆっくり休んで下さい」
簡素ながら手入れの行き届いた部屋だった。靴を脱ぐべきか少し迷ったが、おそらく土足のままで構わないのだろう。
優馬はベッドに腰掛け、上半身だけ倒して天井を見上げた。
肉体の疲労は重かったが、神経はまだ高ぶったままだ。
「本当に異世界に来ちゃったんだな……」
今日一日の出来事を振り返りながら、誰にも聞こえないよう小さく呟いた。異世界に来たら何かが変わるかもしれないと思い、わざと、はしゃいでみたものの、ふとした瞬間に嫌な記憶が蘇ってしまう。
【霧原優馬】
霧原優馬――幼い頃に両親を事故で亡くした。
祖父母の家に預けられたが、祖父はすぐに他界し、祖母も施設に入ったため、優馬は親戚の家を転々として後、高校卒業まで児童養護施設で育った。
施設では一緒に遊ぶことはあっても、本当の意味での友達はできなかった。結局、図書館でフィクションの世界に浸ることだけが、自分の心を癒す唯一の方法だった。
高校を卒業した日、優馬は施設の職員から紹介された会社へと入社した。仕事の内容は単調だったが、優馬は淡々と業務をこなすことが苦にならない性格だったため、かえって性に合っていた。
最初のうち、上司や同僚たちは優馬の真面目さや能力を認め、次々に新しい仕事を教えてくれた。
しかし、仕事以外でほとんど言葉を交わそうとしない優馬に対し、徐々に周囲の人間は冷たくなっていった。
そのうちに、優馬が仕事を断らない性格だと知ると同僚や上司達は、自分の仕事まで押しつけるようになった。
それでも優馬は、社会の歯車になれたことに喜びを感じ黙々とタスクをこなし続けた。社員寮にまで仕事を持ち帰り、食事と睡眠以外の時間はすべて仕事に費やした。
やがて、その過剰な負担が積み重なり、優馬はついに過労で倒れた。
入院生活は一週間ほど続いた。病室を訪ねてくる者はいなかった。だが優馬自身は、そのことをさほど気に留めることはなかった。それよりも自分が休んでいるせいで会社が困っているだろう、早く復帰しなければと焦りを感じていた。
退院の日、優馬は急ぎ足で職場へ戻った。
だが、会社は何事もなかったかのように平穏に回っていた。
自分の机には書類が山のように積まれていた。それを見た優馬は、「まだ自分の仕事がある。社会に必要とされている」と安堵し、再び業務に打ち込んだ。
しかし、彼を待っていたものはこれまで生きてきた中で蓄積され、徐々に彼自身を蝕んでいたものだった。
……虚無。
ある日
突如、今までにない感情が湧いた、いや湧いたのではなく消えた――
今まで当たり前のように出来ていたことが出来なくなってきた。時々、身体が動かないこともあった。
仕事は滞り、ミスも増えていった。
焦れば焦るほど空回りする。
悪循環の渦は回ることをやめない
優馬の瞳は日に日に濁っていく。
そしてある夜、優馬は屋上へと上がる階段を虚ろな表情で上っていた――
♦ ♢ ♦
「結局自分は何者だったのだろう?子供の頃から人に迷惑をかけないように常に自分を殺していた。」
――何者でもなかった
ふと手が硬いものに触れた。
ククルの短剣だった。腕を伸ばし短剣を天井へ向けて眺める。
異世界……夢中になって読んだり、ゲームでプレイしたあの世界。あの頃はロールプレイが好きだった。何にでもなれた。
変わりたい……自分が何者か知りたい。
おそらくこの世界は簡単に人が死んでしまう様な所なんだろう。
……でも最後の瞬間まで生きて、生きて、
「自分を誇れるように!」
そして霧原優馬は、まどろみの中へ落ちていった。ククルの短剣を胸に抱いて――