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五十九話 【セラノ・ステロイド】

【セラノ・ステロイド】


 ――商華議会館、西館の最上階にある調薬交易総監室。


 部屋は過度な装飾こそないが、ひとつひとつの家具が上質で、静かな重みをまとっていた。

 壁の半分ほどを占める大きな本棚には薬学や商務関連の書物がぎっしりと並び、使い込まれた背表紙が規則正しく整列している。


 中央に据えられた広いデスク。必要な書類だけが端にまとめられており、無駄のない机上が仕事ぶりを物語っている。

 脇の上着掛けには、白いロングコートと、つばの広い白帽子――調薬交易総監の象徴ともいえる装束が丁寧に掛けられていた。


 そのデスクに腰掛けているのは、長い金髪を無造作に垂らした青年だった。

 顔立ちはどこか幼く、年齢より若く見える童顔。しかし、その目の奥には鋭さがある。


「……で? どうなの、実際」


 彼が静かに促すと、机の前に立つ部下が緊張を帯びた声で応じた。


「はっ、総監。このまま進めても問題はありません」


 青年――調薬交易総監は軽く頷き、指先で机をコツリと叩いた。

 その仕草は幼さを残した顔立ちとは裏腹に、妙な威圧感を帯びていた。


 その時、部屋の扉がコツコツと叩かれた。

 一拍の間を置いて、重厚な扉が静かに開く。

 白い制服を着た秘書官が一礼し、背後の人物を招き入れた。


 入ってきたのは、背の高いオールバック、細身の眼鏡――アイザックだった。


「これは、これは。王宮の宰相様が、直々にお越しとは」


 青年は椅子から立とうともせず、頬杖をついたまま軽く言う。

 その目はすぐ部下へ戻った。


「……では、この件は任せた。下がっていいよ」


「はっ」


 部下は深々と頭を下げ、秘書官と共に部屋を出ていく。

 静かになった部屋には、童顔の総監とアイザックの視線だけが残った。


 お互いの顔がふっと緩む。

 ロングヘアの陰で口角がゆるりと上がった。


「アイちゃん、久しぶりだね。もぅ、来るなら来るって連絡くらいしてよ」


 途端に声の調子が一段明るくなり、目尻がきゅっと下がる。


「その名前で呼ぶな……セラノ・ステロイド薬交総監殿」


 アイザックは苦々しく言ったが、わずかに頬が引きつっている。


「堅いなあ。いつものようにセラって呼んでよ」


 セラノは軽やかに立ち上がり、ソファへ手招きした。

 アイザックが腰を下ろすと、セラノは壁際の薬品ケースを開け、慣れた手つきで瓶を一つ取り出す。


「――女王陛下の容態はどう?」


 声だけは真剣だった。


「今は落ち着いておられる。発作も起きていない」


「それなら良かった。はい、これ。三十日分ね」


 セラノは粉薬の瓶をそっと差し出す。

 その仕草は軽いが、目の奥には深い責任感が宿っていた。


 ――魔石硬化症。

 それは五年前、女王を突然襲った未知の病である。原因も治療法も見つかっておらず、王宮の医術師たちも首をひねるばかりだった。

 発症の始まりは、ただ足の爪が赤く変色しただけだった。だが赤みは日に日に濃くなり、やがて爪そのものが石のように歪な形へと変質していった。変化は止まらず、いまでは両脚の脛にまで及び、皮膚を突き破って赤い石が芽吹くように生えている。


 症状は外見の異常だけではない。激しい痛みと高熱の発作が周期的に女王を襲い、そのたびに侍医たちは右往左往するしかなかった。かつて絶世と謳われたその美貌も、病の進行とともに失われつつある。

 ――魔石硬化症。いつの間にかそう呼ばれるようになった。

 セラノも文献などを漁ったが対処法を得る事は出来なかった。今は鎮痛薬と安定剤を調合した薬で、痛みと発作を抑えるのが精一杯だった。


「で? アイちゃんがわざわざ出向いてきたってことは、薬を取りに来ただけ……じゃないよね?」


 セラノはアイザックの正面に腰を下ろし、軽く眉を上げた。


「ロディシエル王女が嗅ぎ回ってる。バルグ失踪事件の事かな?」


「相変わらず、地獄耳だな」


「この街で起きてることは大体把握してるよ。君が心配そうに、街灯の影から王女を覗いて事も報告に上がってきたなあ」


「……ほっとけ」


 アイザックは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「しかし王女様も、あれで王政を取り戻せると思っているんだから。健気というか、可愛いというか」


 セラノはふわりと立ち上がり、部屋の隅に置かれた作業台へ向かった。

 アルコールランプに赤い石を軽く擦りつけると、石がぱちりと火花を散らし、青白い炎が灯る。

 その上に小さなポットをそっと乗せる。


「王政に不満があったから、民衆はギルドへ流れたんでしょ? 軍事力のないこの国が主導権を握るには、情報と交渉が命綱。時代の流れってやつを、アイちゃんだって止められないと分かってるよね?」


「そうだ、お前の言う通りだ。余程のことがない限り王政の復活はないだろう。でも俺は彼女の思うようにさせてやりたい。せめてギルドと同等の立場ぐらいには……自分の母親が、王城がゆっくりと衰退するのを眺めるだけの人生なんて――」


 セラノが紅茶の入ったティーカップを目の前に置いたところでアイザックは言葉を切った。


「……なんか妬けるなあ」

 セラノは口元だけで笑い、肩をすくめる。


「アイちゃんがそんな必死になるなんて。てっきり、僕と一緒にギルドへ来てくれるもんだと思ってたのに」


 からかうように言いつつ、その声には少しだけ本音が混じっていた。


「でもさ、僕たちみたいに後ろ盾もない人間が、今の地位まで上がれたのは……実力主義のギルドが政権を取ったからだよ」


 セラノはカップに手を掛けるが熱かったのだろう慌てて手を引っ込める。


「まあ、でも君の頼みだ。失踪事件の情報をあげるよ――その代わり僕のお願いも聞いてよ」


 セラノはこれまでに掴んだ情報を整理して語り出した


 発端は十年ほど前に遡る。当初は獣人の国ヴィルデラーデから流入してくる労働者を対象に、手数料や旅費、紹介料と称して賃金を不当に差し引く、詐欺まがいのピンハネが横行し始めた。表向きは雇用契約が存在し、帳簿も整っていたため、問題視されにくかった。


 だが、それは入口に過ぎなかった。

 次第に借金を背負わせ、契約を盾に自由を制限し、逃げ場を失った者たちが商品として扱われ始める。嗜好性を重視した奴隷売買、そして鉱山での過酷な労働。扱いは年を追うごとに露骨になり、消耗品のように使い潰されていった。


 帳簿の上では常に辻褄が合っている。

旅費、食費、住居費、罰金。理由はいくらでも作れた。借金は減ることなく、むしろ増えていく。

 この仕組みに、ギルドの一部と、名のある貴族の一部が関与していることも判明している。全員が全貌を把握しているわけではないが、だからこそ歯止めが利かない。味を占めた連中のやり口は大胆になっていった。


 最近ではさらに範囲が広がっている。

カンセズ王国の地方都市カッシュ、あるいは王都への移住を謳い、より良い職と暮らしを餌に人を集める。そして移動の途中で行方不明になる例が、いくつも確認されている。国境や街道の空白地帯で、記録も証言も途切れる。


 セラノはそこで言葉を切り、温くなった紅茶に口をつけた。


「嗜好品……か。貴族まで絡んでいたとはな」


 口にされた名の中に、アイザック自身も知る家名があった。彼は思わず眉をひそめる。


「まあ、この事件――いや、事案は、貴族や商人を何人か捕まえたところで終わらないけどね。根幹の仕組みを潰さない限り、形を変えて続くだけだ」


「……ケノンだけの問題じゃない、ということか。ヴィルデラーデ側にも組織があると?」


「恐らくはね」


 セラノは肩をすくめるように答えた。


「ただ、そこは僕の管轄外だ。それに今は、この事案に深く関わっている余裕もない。正直に言えば、君たちが解決してくれるならありがたい」


 そこで一拍置き、彼は前髪を掻き上げてアイザックを見据えた。


「……もっとも、この事案が解決した結果、ギルドに不利益が及ぶようなら話は別だ。膿を出し切ったあとで、僕が全力で揉み消す」


 その声音に、ためらいはなかった。


「王女には悪いけどね。僕はまだ、上に行かなくちゃならない。そうだろ? アイちゃん」


「……ああ、わかっている。子供達の為に、だろ」


 そう言ってアイザックがソファから腰を上げかけた、そのときだった。


「じゃあ次は、僕からのお願いだ」


 セラノの声に呼び止められ、アイザックは小さく息を吐いてから、渋々腰を落とす。


「――無毒ナドクって、知ってるかい?」


 聞き慣れない響きに、アイザックはオウムに返す。


「ナドク?」


「うん。ファトス王国の、とある地域に生息する植物から生成できる毒の名前だ」


 セラノは、まるで珍しい玩具を語る子供のように、わずかに目を輝かせた。


「現地の言葉で『無い毒』って意味らしい。僕も実物は見たことがないんだけどね。ほとんど無味無臭で、しかも毒性はかなり強いそうだ」


 そう言いながら、彼はぎゅっと身を乗り出し、アイザックの顔のすぐ近くまで迫る。だが、その表情は次第に曇っていった。


「……その毒が、この街に持ち込まれた可能性がある」


 一瞬の沈黙。


「今、その調査を進めているんだけど……どうも、穏やかには済みそうにない」


 セラノは一拍置いてから、静かに続けた。


「だからね。アイちゃんのところの騎士を、一人貸してほしいんだ」

 


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