五十七話 【王女と眼鏡】
【王女と眼鏡】
食事を終え、四人が店を出た時だった。
「おっと」
通りに出たロディが、小柄な少年とぶつかった。
赤い天パの髪が街灯にきらめく。
「ごめんなさい!」
少年は軽く頭を下げ、駆け足で去っていく。
だがユウマは見逃さなかった。少年の手にロディの財布が――
「ロディさん、今の子が!」
踵を返したユウマの腕を、ロディが掴む。
「いいんだ、ユウマ君」
「え? でも……」
「額も少ないし、いいんだ」
ロディは微笑んでいたが、その声はどこか寂しげだった。
「……ボクたちのせいなんだ」
その呟きは夜風にかき消され、赤い髪の少年は細い路地の闇に消えていった。
腑に落ちない表情のまま、ユウマはロディの横顔を見つめながら歩く。
やがて賑やかな通りを抜けたところで、ロディがふいに足を止めた。
「ユウマ君、ありがとう。一緒に旅ができて、本当に楽しかったよ」
「え? あ、はい。俺も楽しかったです」
「ウルリカちゃんも、元気でね」
ロディはウルリカの頭に手を置き、やさしく撫でる。
「うん。ロディお姉ちゃん、美味しいものいっぱいありがとう!」
ウルリカは尻尾をぱたぱたと振りながら笑った。
ロディはくるりと振り返り、ユウマに視線を向ける。
「それと――ユウマ君、良かったらボクと友達になってくれない?」
真っ直ぐな眼差しに、ユウマは思わず目を逸らした。
改まって言われると、妙に照れくさい。
「……はい。よろしくお願いします」
答えると、ロディは胸を張って名乗る。
「では改めまして、ボクの名はクバルカン・ミラジーア・ロディシエル! あ、呼ぶときはロディでいいよ」
右手を差し出すロディ。
「えっと、ユウマ・キリハラです。よろしくです」
ユウマがその手を握ると、ロディはつまらさそうに口を尖らす。
「……反応うすいなぁ。せっかく名乗ったのに」
ぷくっと頬を膨らませた後、「ぷぷっ」と耐えきれずに笑い出す。
「やっぱり君、面白いね」
首をかしげるユウマに手を振りながら、ロディは背中を向ける。
「じゃあ、またどこかで出会えたら――そのときは、ちゃんと驚いてよ?」
港の風が吹き抜け、ロディとサイシャは波音の方へと歩き出した。
その背を見送りながら、ユウマとウルリカはしばらく手を振り続けていた。
♢
港へ向かう途中、ロディがふと足を止め、後ろ歩きでサイシャを見る。
「ねぇサイシャ、流石にもう帰らないとマズいよね。……アイザック、怒ってると思う?」
「……うん。激おこ」
サイシャがわずかに首を上げて答える。
「だよねぇ……うん、やっぱり怒ってるよねぇ。――ああ、帰るのやめようかな?」
ぼやきながら後ずさったその瞬間、背中に硬いものが当たった。
振り返ると、そこには見覚えのある制服姿。
冷や汗がつっと伝う。
壊れた人形のように首をぎこちなく上げていく。
――整えられたオールバック。
細い眼鏡が街灯に反射して光る。
「えっと……ただいま、アイザック!」
とびきりの笑顔を作る。
ゴンッ!
「いっ……痛いじゃないか! 女の子を殴るなんて酷いよ!」
両手で頭を押さえるロディに、アイザックは冷ややかに言い放つ。
「だったらもう少しおしとやかにしろ。何だその格好は。……サイシャ、貴様もだ。正騎士の自覚を持て」
アイザックは顎を上げサイシャに視線を移す。サイシャは無言で指でVサインを作る。
「なんだ、そのハンドサインは、どういう意味だ? ――まあいい、そんなことより」
アイザックはロディの頬を両手でむにっと掴み、横に引っ張る。
「いひゃい、いひゃい! 悪かったお! 勝手に外出ひてごめんなひゃい!」
「四国会議も間近だというのに……面倒を起こすんじゃない」
冷ややかな声。だがその奥に、安堵の色がわずかに滲んでいる。
「四国会議っていってもボクのやることなんて、結局は商華議会の口人形じゃないか」
ロディは頬をさすりながら口を尖らせた。
「だからその前に、ギルドの不正を暴くんじゃないか。それに――バルグの失踪にギルドが関わってるって言い出したのは、アイザック、君の方じゃないか!」
アイザックが短く溜息をつく。
「ボクはかつての王政を取り戻したいんだ! 女王陛下や太女陛下が語ってくれた、誇りあるフォウスを! お金なんかじゃなく、人が治める王国を! サイシャのような子供たちが、自由に生きられる国を――って、うわっ!?」
言い終える前に、アイザックがロディの腰を掴み、そのまま肩に担ぎ上げた。
「ちょ、ちょっと! やめてよ、みっともないじゃないかっ!」
じたばたと暴れるロディを完全に無視し、アイザックは無言で港の奥へ歩いていく。
「証拠につながるかもしれない労働許可証も手に入れたんだ! 囮に使えそうなバルグだって――」
ロディの唇が引き攣り、その瞳の奥には、危うい光が宿っていた。
「王女!」
何かを察したアイザックの低く鋭い声が、夜の港に響いた。
「王女、貴方は友人までも利用する気なのですか? 危険な仕事は我々に任せておけばいい。貴方には、貴方の戦い方があるでしょう」
アイザックの声が、叱責から諭すような響きに変わる。
ロディの顔が寂しそうに笑い、遠くの街の明かりを見つめた。
海風が頬を撫でる。
その灯りの向こうに、ユウマ達との旅路を見る。
「……そう、友達になったんだ。……友達に」
小さく呟いた声は、波音に溶けていった。
♢ ♢ ◆
ユウマは宿の自室でくつろいでいた。
隣ではウルリカがベッドの上で丸くなり、むにゃむにゃと寝息を立てている。
――まだ、そう遅い時間でもないな。
ユウマはそっと立ち上がり、宿を出た。
夜の表通りはまだ人の気配が多く、酔っぱらい達の笑い声が遠くで響く。
ロディさんから馬車代はもらってるけど、この先の滞在費も考えないとな。
ギルドで仕事を探してみるか――。
懐から白銀の狼のラスクから貰った街の地図を取り出す。
銅筒から広げた地図の上には、びっしりと路地が走り、建物が迷路のように並んでいた。
その中でもひときわ大きな印が打たれている場所がある――商華議会館。そこが、ケノンの心臓部だ。
地図を戻し、歩き出す。
だが、実際にその場所を目にした瞬間、地図など必要なかったと悟る。
街の中央にそびえるその建物は、まるで巨大な白い要塞だった。
天を突くような尖塔、精巧なアーチと無数の窓。その外壁は磨かれた石でできており、夜の灯りを受けて柔らかく輝いている。
壁面には交易商家の紋章がずらりと並び、入口には金色の天秤を象った巨大な彫像――この国が何によって支配されているのかを、誰の目にも明らかにしていた。
その白い城を見上げながら、ユウマは無意識に息を呑んだ。
美しい。だが、どこか冷たい。
まるで自分の心までも天秤にかけられているような、そんな感覚が胸をよぎる。
冒険者ギルドの場所を人に尋ねながら建物の中を進む。
通路は広く、壁には豪奢な装飾が施されている。
何度か部屋を間違え、ようやく辿り着いた先が、冒険者のギルドだった。
部屋の中には、数人の冒険者たちが依頼書を眺めていた。
その立ち居振る舞いには無駄がなく、どの顔にも歴戦の風格が刻まれている。
ユウマは思わず背筋を伸ばした。
壁に並ぶ依頼書を一枚一枚見て回る。
商隊の護衛、薬草の採取、盗賊討伐――どれも腕に覚えのある者向けだ。
宿から通える依頼を探していると、ふと一枚の紙が目に留まった。
依頼主は〈教会〉
内容は「孤児院の建設補助および現場警備」
――警備? 建設現場で?
首を傾げながら詳細欄を覗くが、警備についての記述はなかった。「詳細は担当者まで」と言うやつか?
それでも、胸の奥で何かが引っかかった。
――孤児院か。
かつて自分も似たような施設にいた。少し懐かしい気持ちが湧き上がる。
ユウマは依頼書を抜き取り、受付へと歩み寄った。
カウンターの奥には、背筋をぴんと伸ばした女性が立っている。
無駄のない動作でユウマの差し出した依頼書と身分証を受け取り、一瞥する。
その目は、まるで経験と力量を測る秤のようだった。
「……少々お待ちください」
淡々とそう告げると、受付の女性は奥の扉の向こうへと姿を消した。




