五十四話 【おにいちゃんゲーム 其の二】
【ニィハゲーム 其の二】
「それじゃあ、出発します」
朝食を終え、キャンプの撤収を済ませると、一行は馬車へ乗り込んだ。
ユウマが手綱を握り、馬を軽く叩く。車輪がきしみ、馬車はゆっくりとカッシュの街へ向けて動き出す。
――どっちが“おにいちゃん”に相応しいか、勝負しよう。
昨夜、焚火の傍でロディが言った言葉が頭をよぎる。
あれはいったい、どういう事だったのか。“おにいちゃん”というとやっぱりロディさんは男なのか。
いや、それ以前にあの人は本気で言っていたのか――。
それに、あの後ロディさんはこんなことも言っていた。
「ユウマ君ってさ、バルグ語を直感的に理解してるんじゃないの?」
直感的……確かに、聞こえた言葉が頭の中で自然に人間語に変換される。
あれは、ルルルから授かったスキルの効果だ。
「バルグ語も以外と深いんだよ、もう一度学んでみるのも良いんじゃないか」とも。俺はウルリカと、ちゃんと会話は出来ているはずだ。いったい――
ウルリカは純血のウルフ種、獣人の中でも数少ない種だ。
ロディがウルリカに興味を持ったのも、珍しさからなのだろうか。
けれど、彼の眼差しにはそれだけではない何かがあった。
……もし“欲しい”という言葉が、コレクションではなく本気の意味だったとしたら、俺は――
「ユーマ、乾肉食べてもいい?」
――そして、今朝からウルリカは俺のことをおにいちゃんではなく、ユーマと呼んでいる。全く何がどうなっているんだ……
「さっき朝ごはん食べたばかりでしょ。我慢しなさい」
いつもの調子で返すと、後ろの荷台からロディの明るい声が飛んでくる。
「じゃあ、ボクの干し芋を食べるかい?」
ウルリカが嬉しそうに顔を向けた。
「ロディさん、ウルリカを甘やかさないでください」
思わず強い口調になってしまう。
ロディは肩をすくめ、唇の端を上げて囁いた。
「ユウマ君、怖いねぇ」
ウルリカがくすっと笑う。
その笑顔が、なぜだか胸に小さな棘のように刺さった。
◇ ◇ ◆
馬車はその後、休憩のために小さな村へ立ち寄った。
石畳の広場に馬をつなぎ、水桶で喉を潤す。ロディは馬車の影に腰を下ろし、金属片のようなものをいじっている。
ユウマはしばらく迷った末、思い切って声をかけた。
「ロディさんは……どうしてウルリカに興味を持ったんですか?」
ロディは顔を上げ、にやりと笑う。
「君と同じだよ。――ボクも“おにいちゃんプレイ”をしてみたくなったのさ」
「だから、俺はそんなプレイはしてません!」
反射的に声が上ずる。答えをはぐらかされた苛立ちが、思わず語尾に滲んだ。
「ごめん、ごめん。冗談だって」ロディは手をひらひらと振り、軽い調子のまま言葉を継いだ。
「そうだね……理由を挙げるなら、彼女を護ってやりたいからかな」
「護る、ですか?」
「ああ、別にユウマ君が頼りにならないって事ではないよ。ウルリカちゃんはいい子過ぎるからね。守りたいその笑顔、的な?」
指を一本立ててウインクをして口角を上げ言う。
軽口めいた口調とは裏腹に、その瞳にはかすかな真剣さが宿っていた。
「ユウマ君こそ、どうしてそんなに必死なんだい? ウルリカちゃんがいなければ、自由に旅ができるんじゃないの?」
「いや……それは……ウルリカのためを思って。約束したんです、守るって」
言葉にしてみると、思っていた以上に頼りなく聞こえた。
――そう、俺は約束をした。
でも、本当にそれだけなのか? 胸の奥がざわめく。
ロディは小さく笑い、手元の金属片を上に放り投げた。
「ボクはこう見えても、それなりに財もあるし、権力もあるんだ。――まあ、ちょっと最近は下降気味だけどね。でも、ウルリカちゃんに不自由はさせないよ」
――確かに、サイシャさんも命を救われ、自由をもらったと言っていた。
ロディさんはきっと悪い人ではない。
むしろ、ウルリカを託すにはふさわしい相手なのかもしれない。
……なのに、どうしてだろう。胸の奥で何かが、ひっかかる。
その沈黙を、ロディの明るい声が破った。
「じゃあ、カッシュの街で――結果発表といこうか!」
ウインクと共にそう締めくくると、ロディは立ち上がり、サイシャのもとへ軽やかに歩いていった。
ユウマは簡素な露店が並ぶ通りを歩く。
ひとつの露店の前でウルリカの姿を見つけた。小柄な背中が、焼き立てのパンや串肉を前にして嬉しそうに揺れている。
ユウマはそっと近づき、ウルリカ越しに店主へ声をかけた。
「チキンをパンで、ふたつずつ挟んでもらえますか」
ウルリカの表情が明るくなり狼耳を震わせ振り返る。
「おにぃ――ユーマ、買ってくれるの?」
満面の笑みで肉サンドを受け取り、小走りに近くの石垣へ腰を下ろす。
一つをユウマに差し出しながら、もう一つをもりもりと頬張るウルリカ。その食べっぷりにユウマは思わず笑みをこぼし、目を細め彼女を見つめた。
「なあ、ウルリカは俺といて楽しいか?」
ぼそりと呟いてみる。
「もぐもぐ……うん、楽しいよ。おに……ユーマは楽しくないの?」
「……うん。俺も楽しい」
――そう、楽しい。心からそう思う。
けれど同時に、胸の奥で黒い靄が渦を巻く。
ウルリカは俺といて、本当に幸せなんだろうか。故郷に帰れば、仲間が待っているはずだ。俺が彼女の傍にいる理由は、もう――。
「ユーマはウルリカをヴィルデラーデまで送ってくれようとしてるんだよね」
不意に放たれた言葉に、ユウマの心臓が跳ねた。
「えっと……うん。その方が、いいかなって。言ってなくて、ごめん」
ウルリカから目を逸らし、冷めかけた肉サンドを見つめた。
「ううん。なんとなくわかってたよ。ユーマは、ウルリカのことを思ってやってくれてるもん。ユーマは、いつも正しいから」
その言葉に、胸の奥がチクリと痛んだ。
――俺はウルリカのためを思っている。
そう信じてきた。
けれど本当にそうなのか?
俺はただ、自分を傷つけない道を選んでいるだけじゃないのか?
他人からも、自分からも逃げて。
殻の中に隠れて――本心を押し殺してきただけなんじゃないのか?
何故、言わなかった?
何かが壊れるのを恐れたのか?
彼女に拒まれるのが怖かっただけじゃないのか?
違う。俺は、もう――。
ユウマは石垣を降り、ウルリカと同じ目線の高さに立った。
彼女の瞳をまっすぐに見つめる。
「ウルリカ。俺は――」
「おーい! そろそろ出発しないかー!」
ロディの声が、遠くから届いた。
ユウマの喉元まで出かかった言葉が、音を立てて引っ込む。
……乾いた笑いが出てしまった。
そしてウルリカの小さな手を取る。
「行こう」
ウルリカは何も聞かずに頷き、隣に並ぶ。
二人はゆっくりと歩き出した――




