五十一話 【犬獣とメイド】
【犬獣とメイド】
「おにいちゃん、この状況って……?」
岩場に身を潜めて様子をうかがっていた俺の背後に、いつの間にかウルリカが忍び寄ってきて、小声で問いかけてきた。
「うん……調査団の人にも見えないし、盗賊って感じでもないな」
あまりにも突飛すぎる光景に、思考がうまく追いつかない。
「あの人、怪我してるの?」とウルリカ。
メイド服姿に赤黒い染みが広がっている。本人の血なのか、それとも返り血なのか――この距離からは判別できない。俺は短く「わからない」と答えるしかなかった。
「でも、あの人……脚がないよ?」
ウルリカの言葉に、心臓が一瞬跳ねた。
はっとして凝視すると、確かに左脚はスカートの裾から投げ出されているのに、右脚は見えない。布に隠れているのかと思ったが、太股辺りより先に膨らみがない。
――その時。
「ワキューーーン!」
林の奥からロックスパイクドックの鳴き声が響いた。
とにかく助けないと――。思考より早く、体が勝手に動いていた。
「あ、あの、大丈夫ですか!?」
小走りで駆け寄りながら声を掛ける。
メイドがゆっくりと上体と首を曲げ、こちらへ顔を向けた。出血のせいだろうか、虚ろな目をしている。
その瞬間――全く別の方向から声がした。
「……良かった、助かったよ」
「おにいちゃん、上!」
ウルリカの声に反射的に空を仰ぐ。
「……上?」
「馬車の上だよ!」
指差された先、幌馬車の屋根に目を向ける。
そこには青年らしき人物が腰をかけていた。中性的な顔立ち、水色のボブカット。ゆったりとしたオーバーオール姿で、望遠鏡のようなものを片手に、こちらを見下ろしている。
そして小首を傾げ、ぼそりとつぶやいた。
「ふむ……ニィハ? なるほど、そういうプレイか」
「あの、これはいったい……? あの人は怪我をしてるのですか? 早く助けないと!」
ひとり、妙に納得した顔をしている青年に、ますます状況が掴めなくなったユウマは、たじろぎながら問いかけた。
「ああ、彼女なら心配ない。怪我はしていないよ」
「……三十二点」
今度は、血塗れのメイド服の娘がぽつりと呟いた。
「えー、三十二点は低すぎない?」
「え、えっと……」突然始まった採点にユウマは言葉を見失い、二人の顔を交互に見比べる。
「ごめん、ごめん。話の途中だったね」
ボブカットの人物はひらひらと手を振り、相変わらずの緊張感のない声で続ける。
「彼女の足が気になるのかい? 大丈夫、心配しなくていい。彼女は元々、右足が無いんだ。普段は義足を付けているんだけどね……さっき三匹のスパイクドックとやり合ってね、その時咥えられて持っていかれちゃってさ。そういう意味では、大丈夫じゃないんだけど」
足を馬車の屋根から垂らし、あまりに軽い調子に、ユウマは戸惑いながらメイドの方へ視線を向けた。「……油断した」ぼそりと呟きメイドは無表情のまま指でVの字を作っている。
その仕草に、ユウマはさらに首を傾げる。そして戸惑いの理由は、それだけではなかった。
――この人、男なのか女なのか……?
整った顔立ちに長いまつ毛。美少年とも、ボーイッシュな少女とも取れる。声も高めで判断がつかない。ユウマはつい視線を胸元へ移したが、ルーズに着崩したシャツとオーバーオールが膨らみを隠しており、結局答えは得られなかった。
「いやあ、統率の取れてないスパイクドックがこんなにも厄介だとは思わなかったよ。でも貴方が来てくれて助かった」
――ロックスパイクドックは雌が指令塔の役割を果たし雄が訓練された軍隊のように集団で狩りをする。指令塔を失った今、雄の動きが出鱈目になり行動が読めなくなっているのだろう。
「貴方、強いでしょ。」
「え?」唐突な言葉に思わず動揺し頭を掻く。
「ボクたちはカッシュの街の方から来たんだが、通行止めの立札があった。貴方が来たほうにも同じものがあったはずだよね。
通常なら、スパイクドッグがまだ降りてこない時期に道が閉じられる理由といえば、崖崩れや落石による寸断と考えるのが普通だ。だから、それでも入山してくる者は――封鎖の理由を知りながら踏み込んでくる連中ということになる。
つまり、雄のスパイクドッグが彷徨っている可能性を承知の上で来たはずなんだ。そんな場所に、たった二人で。しかもあのバルグのお嬢ちゃんは戦力外。君は短剣一本に見える。……なら、相当の使い手か。そうでなければ、ただの馬鹿だ」
青年は片目に望遠鏡を当て、ユウマと岩場にいるウルリカとを交互に覘きながらさらに続ける。
「――まあ、馬鹿だったのはボクたちの方なんだけどね。新しく造った武器のテストを兼ねて、ちょっと雌のスパイクドックがどんなモノなのか見に来たんだ。そしたらこの有様さ。スパイクドック自体は何とかなりそうなんだけど……問題は下山だ。もし貴方が来なかったら、ボクら詰んでたよ。……テヘッ」
そう言うと、片手を後頭部に回し、片目をつぶってウインク。舌をちょろりと突き出すその仕草にユウマは脱力する。その時――
「おにいちゃん!」「……マイスター、来るよ」
突如、ウルリカが叫び、メイドが冷静に告げた。ユウマはその声に反応し、即座に意識を研ぎ澄ませる。林の奥から二頭のロックスパイクドックの気配。腰の短剣を抜き、構えを取った。
「サイシャ。これを使ってよ」
青年が馬車の上から何かを放り投げる。メイドは大鎌を捨て、片手でそれを掴み取った。
――人の腕ほどの長さを持つ金属の「への字」型ブーメラン。
サイシャと呼ばれたメイドは、座ったままの体勢で振りかぶり、それを縦に投げ放つ。フュルルル――と空気を裂く鋭い音。
獣たちは林を抜け、並んでこちらへ突進――そして途中でV字に分かれ、左右から襲いかかる。
ブーメランは二頭の間をすり抜けて飛んで行き、だが突如として分裂する。スライス状に割れた刃は弧を描きながら後方から獣を追撃した。
一つは獣の首を薙ぎ、頭部を宙に弾き飛ばす。巨体はしばらく慣性で走り続け、やがて地に崩れ落ちた。
もう一頭は身をひねって躱し、ブーメランは虚しく空を切る。分かたれた二枚の刃は舞い戻り、サイシャの掌に吸い込まれるように収まった。
残る一頭は一直線にユウマへと突進する。
ユウマは呟く――
「……呼吸を合わせろ、流動的に。集中しろ」
まるで呪文のようなその言葉と同時に、獣が奇妙な動きを見せる。疾走の勢いを保ったまま前脚を折り、転げるように背を丸め――青き獣の代名詞、背中の無数のスパイクを前面に張り出す。殺戮の回転技。
轟音と共に迫る巨体。しかしユウマの眼差しは揺るがない。
回転する刃の塊が目前で跳ね上がり、獲物の上半身を粉砕せんと飛びかかる――その瞬間。
ユウマは流れるように上体を逸らす。刹那、すれすれを通り抜ける獣の影。臆することなく短剣を逆手に構え、下から突き上げた。
グシャリ、と肉を裂く生々しい音。短剣は獣の喉を貫き、血飛沫が飛ぶ。
巨体はユウマの背後へ転がり続け、やがてサイシャの足元で痙攣しながら動きを止めた。
無言で腕を掲げるサイシャ。次の瞬間、鋭いブーメランの刃が振り下ろされ、獣の苦悶は完全に絶たれた。
……そして、谷間に静寂が訪れる。
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