五十話 【メイド・イン・ケイコク】
【メイド・イン・ケイコク】
「おにいちゃん、通行止めって書いてあるよ」
ウルリカが馬車の荷台から顔をひょいと出し、街道脇に立つ立札を指さした。
「うん。……ラスクさんが言ってた通りだな」
俺たちはモース渓谷の入り口までやって来ていた。
――ウルリカの両親との別れ、そして俺自身のソウルサクリファイスによる急激な成長痛(?)その一連の出来事を経てから、俺たちは五日ほどラビの村に滞在していた。
しばらくはウルリカをそっとしておくべきだと思った。俺にできるのは、彼女の傍にいてやることくらいだ。
最初の一日は言葉少なに塞ぎ込んでいたが、二日目には少しずつ話をしてくれるようになり、三日目にはいつもの調子を取り戻したように見えた。食欲も戻り、もりもりと食べる姿は頼もしいほどだ。
この世界の情勢や獣人の気質も多少あると思うが、決して傷が癒えたわけではない。
ただ、それとは別に……何か彼女の言動が以前と少し変わった気がする。
食事のときには「もー、おにいちゃん、ケロルもちゃんと食べなきゃだめでしょ!」と俺の皿に野菜を乗せてくる。自分の嫌いな人参に似た野菜まで、どさくさに紛れて俺の皿に盛ってくる。
洗濯物を後で干そうとした時には「もー、おにいちゃん、洗ったらすぐ干す。でしょ!」と先に動くものの、干し方が雑だから結局は俺がパンパンと伸ばし直す羽目になる。
そして最近の口癖は「おにいちゃんは、ウルリカがいないとなんにもできないんだから」
……そういう年頃なんだろうか? 日本にいた頃、施設で一緒だった年下の子を思い出してみても、いまいち分からない。
村を出る時にも「えー、もうちょっと居ようよ」なんて言っていたし、反抗期ってわけでもなさそうだ。まあ、元気を取り戻してくれただけでもありがたいか。……そう思うと勝手に親心みたいなものが芽生えていて、乾いた笑いが出た。
そして今、俺たちの目の前にはモース渓谷が雄大な姿をさらしていた。
最初に通った時の事を思い出す。幾重にも重なる切り立った岩壁。そして抉られた谷底は白い霧に覆われ、底の様子を窺うことはできない。風が吹き抜けるたびに霧がなびき、岩肌が低く唸るように響き渡る。ロックスパイクドックとの戦闘が蘇り、背筋を震わせながらも、熱いものが胸の奥からこみ上げてきた。
街道脇に立つ立札には「通行禁止」の文字が、人間と獣人語の両方で書かれている。道を塞ぐように二本のロープが張られていた。
ラスクさんの話では、俺たちが倒したロックスパイクドックの雌に関係しているらしい。雄の方がどう動くか分からないため、調査が終わるまで封鎖しているとのことだった。
俺は馬車から降り、ゆっくりとロープを解きはじめる。もちろん迂回することもできる――が、倒した雌がどうなったのか、その後が気になって仕方がなかった。
「おにいちゃん、通っていいの?」
荷台から身を乗り出したウルリカが、不安そうに尋ねてきた。
「まあ……一応、関係者だからな」
適当な言い訳を口にしながら、馬車を渓谷へと乗り入れる。通り抜けた後で、ロープを元通りに結び直した。
谷間に入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。岩壁の隙間からは小さな滝が流れ落ち、朝日を反射して淡い虹を描いていた。だが美しい光景とは裏腹に獣の気配が潜んでいる気がして、手綱を握る手に自然と力を込めていた。
馬に乗って来たときは思わなかったが馬車で通ると意外と狭く感じる。大型の馬車も通れるようにはなっているのだろうが妙に緊張する。もし前方から馬車が来て離合出来ないときはどうするんだろ? 馬車ってバック出来るのか?
そんなことを考えながら走っていると開けた場所、雌獣を倒したところに着いた。ユウマは馬車を降り、雌獣を磔にした岩壁を眺める。
そこにはもう、あの巨体の影はなかった。魔法で造った岩杭は何本かは砕かれ、瓦礫が転がっている。血に染まっていた地面も黒ずんだ痕跡だけを残し、討伐の証なのか研究のためなのか持ち去られたのだろう。
かつての激戦の地は静まり返っていた。
ただ、風に運ばれてくる微かな鉄錆の匂いと、岩に残る黒ずんだ跡だけが、あの日の戦いが夢ではなかったと語っていた。
――ん? 鉄錆……?
鼻を刺すその匂いに眉をひそめ、奥の岩場へと視線を送る。霧の帳の向こう、岩の隙間に何かが見えた。調査団の置いていった道具かと一瞬思ったが、どうにも違う。胸の奥に嫌な予感が走り、ユウマは無意識に歩みを早めた。
やがて霧を抜け、光景がはっきりと目に飛び込んでくる。
一台の小型の幌馬車――だが、その馬は地面に横倒しになり、四肢を震わせ、必死に呼吸を繰り返している。血に濡れた毛並みが荒く波打ち、かろうじて生きているようだった。そのすぐ傍らには、雄のロックスパイクドッグが血の海を広げながら沈黙している。
そして何よりも異様だったのは、その場に似つかわしくない一人の人物の後ろ姿だった。
黒髪を大きなツインテールに結い、裾の広がった明るめの紺と白のメイド服――だがそれは、ククルの屋敷で見た実用的な制服と違い。まるで日本の電気街で目にする、愛らしくもどこか誇張したフリルの衣装。
彼女はその場にへたり込み、全身を血に染めていた。右手には死神を思わせる長柄の大鎌が握られている
その非現実的な光景に、ユウマは思わず息を呑んだ。




