三十九話 【ラビの村】
【ラビの村】
――魔族領の、いずこか。
薄闇に包まれた洋館の一室。窓はなく、そこが地下なのか地上なのかも定かではない。かつては貴族階級の者が用いたのだろう、装飾の施されたベッドと古びたテーブルが部屋の中央に置かれている。だが今、それらは埃と時の重みに朽ち、かつての栄華の面影は見る影もない。
部屋の片隅、薄汚れた毛布の上に、ひとりの女が膝を抱えてうずくまっていた。まるで魂ごと抜け落ちたかのように、ただ一点を虚ろに見つめている。
そのとき、ガチャリと鉄製の扉が鈍く音を立てて開いた。
足音が響く。カツリ、カツリと、無機質な杖の先が石床を叩く音。
背の曲がった男が入ってくる。顔の輪郭は闇に溶け、表情は見えない。だが、その眼だけが、異様な光を宿していた。
男は女の前でぴたりと足を止め、見下ろす。女は動かない。ただ、ハイライトの消えた右の瞳に映るものに何の意味も見出せぬまま、茫然と空間を見つめ続けていた。
女の左半身には、まるで紅い半透明の宝石が無数に芽吹くかのように生えてていた。
男は慣れた手つきで彼女の右腕を掴むと、無造作に金属製の注射器を突き立てる。針が肉を貫き、彼女の身体がビクンと小さく跳ねた。
血液が抜き取られていくあいだも、女はひと言も発さず、虚空を見つめ続けている。
注射器の容器が満たされると、男はそれを引き抜き、血の量を一瞥したのち、無感情に呟いた。
「……少ないな。次を、用意するか」
それだけ言うと、男は扉の向こうへと姿を消した。
――残された彼女の頬を、一筋の赤い涙が静かに伝った。
♦ ♦ ♦
馬車が小気味よい揺れとともに、街道を進んでいく。
かつてカンセズへ向かった際と同じ道。だがそのときは第十四騎士団、白銀の狼のカイル隊長の背中に揺られていたため、風景を楽しむ余裕はなかった。今、手綱を握るユウマの視界には、遠くまで広がる緑と丘陵がよく見える。
風を受けて揺れる青みがかった黒髪。透き通るような黒い瞳が、静かに道の先を追っている。
身に着けたリネンのシャツはまだ新しさが残り、上から羽織ったレザーベストとともに、新米の冒険者らしい格好だ。
「おにいちゃん、干し肉食べてもいい?」
荷台の中から弾んだ声が飛んでくる。声の主――銀灰色の癖っ毛と、ぴょこんと立った狼の耳が特徴的な少女が顔を出す。
ブルーグレーのワンピースの裾からは、ふさふさとした可愛らしい尻尾がパタパタと左右に揺れている。
「さっき、ごはん食べたばっかりでしょ。我慢しなさい」
ユウマは苦笑しながら手綱を握ったまま振り返る。馬が軽く鼻を鳴らした。
目的のモース渓谷までは、途中に二つの村を経由する必要がある。
二つ目の村――そこでウルリカ達を襲った奴らの手がかりを得られるかもしれない。
ユウマは前方の道に視線を戻し、少しだけ手綱を強く握る。
◇ ◆ ◇
二日目の昼過ぎ、ユウマとウルリカは二つ目の村「ラビ」に到着した。
村としては中規模で、主に商人の往来が多いらしく街道沿いには雑貨屋や鍛冶屋、馬屋や宿屋などが軒を連ねている。中心には小さな広場があり、井戸の周囲で村人たちが談笑していた。
ふたりは宿を探し、素朴な木造の宿屋で一部屋を取った。併設された食堂もあったので、パンと飲みものを一つずつ注文する。
この世界では一日二食が一般的らしい。ユウマもかつて会社勤めをしていた頃は昼抜きが当たり前だったため、すぐにこの習慣に馴染んでしまった。
一方で、ウルリカはどこか不満そうに小ぶりのパンをかじっていた。
ユウマは、食事を運んできた店主に話しかける。
「モース渓谷に向かっているんですが、この辺りで野盗が出るって話はありますか?」
「野盗? 昔はいたけどね、最近はぱったり見なくなったよ。たまに冒険者崩れのゴロツキが騒ぎを起こすくらいだな」
「そうですか……。あと、魔族を見たという話はありますか?」
店主は少し驚いたように目を見開き、声を潜めて言った。
「魔族ってネフィルのことかい? ネフィルって大昔の戦争で滅んだんじゃないのかい?」
魔族については今の人々は御伽噺ぐらいにしか思ってないらしい。
あちこち歩き村人や行商人などに聞いてまわったが特に手がかりは無かった。
「……明日、直接モース渓谷へ行ってみるしかないな」
そう思いながら、日が暮れはじめた村の空を見上げた。
◆ ◆ ◆
夜。宿の食堂には二組の客がいた。
ひと組は村の男たち五人で、格好を察するに自治会的な会合だろう。もうひと組は三人の冒険者だった。
この世界でも人間性は変わらないらしく食事の仕方、横柄な喋りかた――ソレと分かる。チンピラ風だ。料理を運んできた店主に声を荒げている。酒もまわっているのもあって気も大きくなっているのだろう。
冒険者なら何か知ってるかも――
ユウマはそんな三人組の近くにわざと席を取った。彼らの視線がこちらに向く。すぐに視線がウルリカに移り、また談笑に戻った。
ああいう連中に正面から聞いても、素直に情報をくれるわけがない。蛇の道は蛇だ、ちょっと演技をしてみるか――
「いやー、今日の依頼は楽勝だったな! 報酬もたんまりもらったしな! ウルリカ、好きなもの食べて良いぞ」
わざと声を張って言い、人間の言葉で話す。まだ、ヒューマン語を勉強中のウルリカはきょとんとしている。
「適当に″ワーイ″って言って」と小声で伝える。
「わーい」
「迷子のミニ豚を見つけるだけでこんなに貰えるなんてなー」
「わーい」
「明日も稼ぐぞー!」
「わーい!」
最後に銭袋を「ガチャリ」とテーブルに置き、演出を完了させる。
――よし、完璧だ。後は…
ウルリカはテーブルに並ぶ料理を見て目を輝かせ、「わーい」と言いながら次々と口に運んでいく。
だが、三人組の冒険者はユウマたちの食事の途中で店を出ていってしまった。
――ダメだったか?
ユウマ達は食事を終え、店を後にする。人気の少ない路地を適当に歩きながら、声を潜めて言った。
「ウルリカ、つけられてるか?」
「わーい」
「ごめんワーイはもういいよ」
「うん。前に一人、後ろに二人いるよ」
さすがウルリカ。聴覚と気配察知には優れている。
しばらく歩いていくと、暗がりの先に人影が現れた。ひとり、小太りの男が通りを塞ぐように立ち、にやりと笑いながら声をかけてくる。
「ヒック……よう、坊主」
店にいた冒険者のひとりだ。
「な、何か……用ですか?」震えた声を出してみる。
「随分と羽振りがいいじゃまいか、俺たちにも分けてくれねえかぁ?」
呂律が回ってない口調、ベタなセリフで男が詰め寄ってきたのでユウマは後退りをする。
「おっと、逃さないぜ……ういぃ〜」後ろから二人が現れ道を塞ぐ。
「明日も稼ぐんだろ? ならちょっとぐらい奉仕してくれよ……なんならその獣人ちゃんでもいいぜ……ウィ〜」にやけ顔の男が下衆く笑う。
「あれぇ? バルグはどこ行った?」隣のモジャモジャ頭の男が間抜けな声をだす。
「あん? どこってそこに……っていないじゃねーか!?」にやけ顔が目を開く。
――〈ノクターンベイル〉ウルリカはオリジンスキルを持っていた。
それは、自分の気配を完全に消し、他者から認識されなくなるスキルだった。目の前にいても、存在を知っていなければ気づかれず、仮に見えても、ぼんやりとした影のようにしか感じられない。スキルの効果はおよそ五分間。大きな動きや攻撃をしない限りは解けることもない。
以前、野盗から逃げ切れたのも、ユウマの部屋に突然現れたように見えたのも、このスキルを使っていたからだった。
「ちっ、おい! さっさと有り金出しな、痛い目見るのはいやだろ?」
小太りが拳をポキポキ鳴らす。
「お断りします」ユウマが挑発する。
「なにィ……ふざけやがって!」
小太りが腰の剣は抜かず拳で殴りかかってきた。
ユウマは上半身をひねって拳をかわし小太りの軸足に足を引っ掛ける。小太りはバランスをくずし自分の意思に反して転げそうになりながら前進し、後ろのモジャモジャとぶつかる。
ユウマは胸の前で拳を構える。




