三十五話 【ユウマ・キリハラの日常】
【ユウマ・キリハラの日常】
むくりと目を覚ました俺は、隣でぐっすり寝ているウルリカを起こさないように静かにベッドを抜け出す。彼女と同居するようになって、今日で五日目の朝。
顔を洗い、身支度を整え、軽くストレッチをする。毎日の日課、地獄のブートキャンプの始まりだ。ククルの屋敷までランニングして、そこから剣術特訓の開始だ。
「むにゃ……ユーマおにいちゃん……おはよう」
ウルリカが半分寝ぼけたような声でむくりと起き上がる。
「おはよう、ウルリカ」
ウルリカの事はククルにも伝えてある。ふと、今日は連れて行ってみるのも面白いかもしれないと思った。
「ウルリカ、これからククルのとこに一緒に行ってみるか?」
「行くーっ!」
即答だった。
◆ ◇ ◆
「ククル、今日はウルリカを連れてきたよ」
「おはようございます、ユウマ。この子がウルフ種のウルリカちゃんね。可愛いですね」
「グルモルン」
ククルが獣人語で挨拶をしてウルリカの目線に降りる。
「グルモグン、ウルア、バウラ、ククル、ノ?」
ウルリカが答える
「ごめんなさい、挨拶ぐらいしかわからなくて……」
ククルが優しく頭を撫でると、ウルリカは二ヘラと満面の笑みを浮かべる。
「ウルリカ、ククルお姉ちゃんは獣人語は得意じゃないってさ」
撫でられて気持ちよさそうに笑うウルリカ。
それから俺は素振りを始める、少し離れた場所でククルがウルリカに正拳突きのような事を教えているのを横目に見る。
――この三人で旅ができたら、きっと楽しいだろうな。
そんな光景を思い浮かべて、思わず顔が二ヘラとなる。
◆ ◇ ◆
特訓が終わり、汗をぬぐっているとククルが言った。
「ユウマ、今日は楽しそうでしたね」
「うん。ククルとウルリカとで旅ができたら楽しいだろうなって……」
はっ! つい本音が漏れてしまった。
「……それも良いかもしれませんね。わたしも騎士を辞めて、冒険者になろうかしら」
「ホントに!?」
「どうでしょう?」
ククルはいたずらっぽく微笑む。
「ヴァルベラント物語のような旅とか……」
「バルべ……?」
「有名な童話です。三人の兄弟が冒険しながら旅をするお話です」
「……兄弟?」
「はい。わたしがお姉さんで、ユウマが弟、ウルリカが妹です」
「……お、お、弟!?」
思わず声が裏返る。
「はい。かっこいい弟です」
――おとうとです――おとうとです――おとうと……
頭の中で言葉がリフレインする。
「……はは、そうだね……」
そうか、俺は十六歳だった。いや、しかし弟って……
乾いた笑いしか出てこなかった。
その後の朝食の味は、まるで覚えていない。
◆ ◇ ◆
ククルに別れを告げ、俺は仕事場へと向かう。
ニオ将軍の斡旋で任されたのは、街を囲む城壁の補修作業だった。経年劣化で傷んだ部分を修復し、街の安全を守る。城壁は広大で、常にどこかが修繕中という。日給制で、比較的安定している人気の仕事だ。
日本でデスクワークに明け暮れていた日々とは全く違うが、身体を動かすのは嫌いじゃない。〈身体能力の向上〉スキルのおかげか、体が軽く感じるのも悪くない。
作業を終え、報酬を受け取る。このまま宿に帰ってもいいが、ふと思い立ってギルドに向かうことにした。冒険者登録をしておこう。
◆ ◇ ◆
ギルドは行政区画の一角にあり、石造りの立派な建物だった。重厚な扉を開けると、中は人で賑わっていた。
受付は「工匠」「交易人」「冒険者」の三つに分かれていた。俺は「冒険者」の列に並ぶ。いちばん列が短かかった。
「新規登録ですね。こちらの用紙にご記入ください」
受付嬢の丁寧な言葉に従い、名前、年齢、身体的特徴、得意武器、魔術適性などを記入する。
しばらくして、彼女が一体の置物のようなものを持ってきた。
――来た! これが……いわゆる「ステータス判定」のアレか!
小さな亀の形をした置物が目の前に置かれる。おお、これが噂の――と、恐る恐る手をかざした、その瞬間。
――カプッ!
「……かぷっ?」
「……痛っ!」
亀が首を伸ばして、指を噛んでいた。甲羅がじわりと紫色に染まっていく。
「めずらしい……紫型ですね」
「あ、あのう、コレって?」
「キリハラ様は初めてですか? これは吸血亀ブラッドトータルによる血液型判定です。キリハラ様は紫型ですね。とても珍しい型です。私は初めて見ました」
クワァーッ、と亀が誇らしげに鳴いた。
「……血液型、なんですか」
受付嬢は用紙に「紫」と記入する。
「はい、これで登録完了です。冒険者への依頼は、そちらの掲示板に貼ってあります。受けたいものがあれば、この受付までお持ちください。手続きをいたします」
ユウマはお礼を言って帰り際に掲示板へ目をやった。
害獣の駆除、鉱山での警備と採掘補助、キャラバンの護衛――中には浮気調査なんてものまである。
「こういうのをこなして路銀を稼ぎながら旅を続けていくのか……」
胸に灯る高揚感。
――なんだか、それっぽくなってきたな。
ユウマはギルドを後にした。
◇ ◆ ◇
「そいつは深刻だな……」
茶色い髪を手櫛で上げながら白銀の狼、ラスク・ラスがぽつりとつぶやく。ユウマとラスクは、跳馬亭のカウンターで肩を並べて酒を呑んでいた。
「ラスクさん……俺は……」
ラスクはこの店の常連で、夜な夜な姿を見かける。いつも違う女性を連れているが、今夜は珍しく一人だったため、ユウマも隣で一緒に呑んでいる。
「そうだな…………」ラスクが顎に当てた指先が震えだす。
「ぷっ……だははははは!」
堪えきれずにラスクが吹き出し、ユウマの肩をバンバンと叩く。
「ひー、ひー、スマンスマン」
「もう、笑い事じゃないですよ……」
ユウマはむくれて、笑い涙を拭うラスクを睨む。
「だってなあ、弟って――なあ?」
「やっぱり……弟みたいって、そういう対象からは遠いのですかね……」
ユウマは一気に酒を呑み干す。
「まだククルとは出会ったばかりじゃねーか。これからだろ……ぷぷっ」
「バルべなんとか物語って……」
酔いが回ってきたユウマは、カウンターに頬を乗せたままぼんやりとつぶやく。
「ヴァルベラント物語な。まあ、元気出せって。ウルリカちゃんにでも慰めてもらえよ。知ってるか? バルグって性欲強いんだぜ?」
ラスクの顔が下衆っぽく歪む。
「誤解を招く言い方はやめるッス」
背後から、ニャミーが手にしたトレイでラスクの頭をポカッと叩いた。
「ぁて!」
「変なことユウマさんに吹き込まないで下さいッス。バルグは繁殖しにくいだけッスよ。ラスク様と一緒にしないで下さいッス」
ニャミーは、空になった器をトレイに乗せてカウンターを拭き始めた。ラスクがニャミーの尻に手を伸ばす。
ポカッ
「ぁて!」
ユウマはふらりと椅子から降り、足元がややおぼつかないまま言い放つ。
「ウルリカはそんな子じゃないです! もう寝ます!」
そして千鳥足で階段を登っていった。
ニャミーは黙ってカウンターを拭きながら、ぽつりと呟く。
「……なんで、ヴァルベラント物語の結末、教えてあげなかったんスか?」
「ん? なんだっけ?」
「――三兄弟が妹にかかった呪いを解くために旅をして、元凶の魔女を倒した後、血の繋がりがない姉と弟が結ばれるんスよね」
「そうだっけ?」
「知ってるくせに……それよりも、もう閉店ッスよ。いつまで居るんスか?」
「そりゃあ、ニャミーが仕事上がるのを待ってるのさ」
「ハイハイ、そうッスね」
「……あいつの生き方が羨ましいのかもな」
ラスクは遠い目をしながら呟いた。
「……人のケツ触りながら言うセリフじゃないッスよ」




