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二十九話 【エリッタ・ケイト・ギルアンティア 其の四】

【エリッタ・ケイト・ギルアンティア 其の四】


宿場町に着き、町の中へ入っていくと、周囲の人々が俺たちの姿を見てざわつきはじめた。


 町人に「町長を呼んでくれ」と声をかけようとしたが、喉が詰まり、身体から力が抜け、そのまま馬から転げ落ちる。

 

「ヒッ……!」


 町人の短い悲鳴が耳に届き、続けて聞こえたのは――


 「わかぞー!」


 エリッタ王女の叫びだった。

 

そこで、俺の意識はぷつんと途切れた。


 背中には、矢が刺さっていた――。


 

 ◆ ◆ ◆


 きぃぃぃぃん――


 耳の奥に、あの金属音がこだまする。

 瞬間、心臓が跳ね、俺は息を吸って目を覚ました。


 天井……どこだ、ここは……?


 周囲を見渡す。薄暗く、簡素な家具しかない。どうやら、宿屋の一室らしい。


 宿場町に着いたところまでは、かろうじて覚えていた。


 顔を横に向けると、部屋の隅にいた騎士の男と目が合った。

 彼は俺が目を覚ましたことに気づくと、驚いたように部屋を出て行った。


 少し身体を動かしてみる。

 全身が痛む。胸には包帯、左腕と手首は副木でしっかりと固定されていた。

 窓の外は、すでに真っ暗、雨音は聞こえなかった。


 廊下がざわつき始め、「バンッ!」と勢いよく扉が開いた。


「わかぞー! 起きたか!」


 大きな声が部屋に飛び込んできた。


 襟足のあたりでまっすぐに揃えた銀髪が特徴の女性騎士――銀の鎧には赤の差し色が映えている。凛とした顔立ちに、鋭さの中にも柔らかさを湛えたシルバーグレーの瞳――。


 彼女の名は、ラプラ・ランティス。

 カンセズ第三騎士団の隊長である。


 俺は彼女のことを知っているが、彼女が俺を知るはずはない。おそらく、名前はエリッタ王女から聞いたのだろう。


 正騎士様の前だと気づき、俺は反射的に上半身を起こそうとする。


「まだ痛むか? そのままでいい」


 彼女はそう言い、ベッド脇の椅子に腰を掛けた。

 目が赤い――泣いていたのかもしれない。


「王女様は……?」俺はおそるおそる尋ねた。


「安心しろ。私と女中がそばに付いている。今は落ち着いておられる」


 その言葉に、少しだけ胸を撫で下ろす。


 あとで聞いた話だが、第三騎士団は別任務のために今朝からこの町に着いていたらしい。


「しかし、事が事だ……未だに信じられん」


 ラプラ隊長は、拳を握りしめる。


「とりあえず早馬を王都に向かわせたが……王女様を守るため、私たちもここを離れることができん」


 声が微かに震えていた。


「王女様から、大まかな話は聞いた。だが動転されていて、詳しいことまでは……」


 顔を上げて、俺を真っすぐに見る。


「わかぞー殿……あのとき、何があったのか、教えてくれ」


「はい……」


 俺は、自分が見てきたことを、一つひとつ語り出した。


 不思議と、冷静だった。まるで物語を読み上げるように、言葉がするすると口から出てくる。


 ラプラ隊長は、最後まで黙って聞いていた。


 肩がかすかに震えていた気がした。


「一体……誰がこんなことを……」


「……わかりません」


 それが、精一杯の正直な答えだった。


 王妃殿下と王女様が微笑み合っていた情景が脳裏に蘇る。

 そして、そのすべてを守れなかった自分――怒りとも、悔しさともつかない感情が、静かに胸の奥で渦巻いていくのを感じていた。


「明日……エリッタ王女様と共に王都へ戻る。……それでいいな?」


 ラプラ隊長が静かに立ち上がる。


 俺は、答えることなく、ただ前を向いたまま壁を見つめていた。


 扉の前で、彼女はわずかにこちらを振り返る。


「……よく頑張ったな」


 扉が閉まる。


 部屋の中に再び静寂が戻る。


 目の前の壁の模様が、ゆっくりとにじんでゆく。


 その瞬間、抑えていたものがせきを切った。


 俺は、声を上げて泣いた。

 

まるで、あの森の雨が、自分の中でまだ降り続いているかのように――



◇ ◆ ◇


 朝になった。


 窓の外には青空が広がり、昨日の雨が嘘のように晴れていた。

 だが――俺の心は、そんな空のように簡単には晴れてくれない。


 けれど、もっと辛い思いをしているのはエリッタ王女だ。そう思い、俺は右手で自分の頬をパシンと叩いた。


 「いてて……」


 思ったよりも強く叩いてしまい、情けなく苦笑いが漏れる。

 鎧など、今の身体に着られるはずもない。代わりに用意されていた、質素ながらも清潔な着替えに袖を通す。

 パンツの裾がやや短いのが気になったが、それどころではない。


 ちょうどその頃、控えめなノックの後に女中が朝食を運んできた。

 木の皿に焼き立てのパン。湯気を立てる温かなスープと、香ばしいお茶。


 一口、スープを口に含んだ瞬間、体の芯まで温もりが染み込むような感覚に包まれる。

 昨夜までの疲労や張り詰めた気持ちが、ほんの少しだけほぐれていく。

 何かを美味しいと感じたのは、久しぶりな気がした。

 最後に食べたのはヘドロトカゲだったことを思い出し苦笑いがでる。


 食べ終えて、ふと窓の外に目を向けると――

 下の通りに、馬車や騎士たちの姿が見えた。

 荷の積み込みや装備の点検、忙しく動き回る騎士達

 どうやら、すでに出発の準備は整っているようだった。


 「ヤッベ!」


 慌てて立ち上がろうとしたその瞬間、背中に鋭い痛みが走る。

 反射的に呻き声が漏れ、俺は情けなく苦笑いしながらゆっくりと立ち上がった。


 階段にさしかかると、先に降りていく後ろ姿が目に入った。

 ラプラ隊長と、その手を握っているエリッタ王女。


 ――声をかけようかと迷ったが、言葉が出てこなかった。

 結局、何も言えず、俺はただ静かにその背中を追いかける。


 宿の玄関を抜けると、朝の日差しがまぶしい。

 広場には、二台の馬車が用意されていた。


 一台はしっかりと装飾が施された、王族や高貴な者が使う馬車。

 その入口の前に、一人の品のある中年女性が立っていた。

 たしか、町長の夫人――名前は思い出せなかった。


 ラプラ隊長と王女は、彼女の馬車に乗り、夫人もあとに続いて乗り込んだ。


 もう一台は、幌がかけられた実用的な馬車だった。

 俺はこっちだな。一人納得をする。


 第三騎士団の護衛騎士たちと共に乗り込む。

 中はやや窮屈だったが、馬車の床が意外と柔らかくて少し安心した。


 一団は王都へ向けて、前進を始めた。


 車輪の軋む音と、馬の蹄が土を打つ音。

 それが、この朝の静寂の中に、響いていく――

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