二十六話 【エリッタ・ケイト・ギルアンティア 其の一】
【エリッタ・ケイト・ギルアンティア 其の一】
「さあさあ、お仕事はここまでにして、ディナーを楽しみましょう」
ミルル夫人が両手を胸の前でパンと叩く。
扉が開き、メイドたちが大きめのワゴンを押して食堂に入ってくる。
香ばしい匂いとともに、次々と美しい料理がテーブルの上へ並べられていく。肉料理に温野菜、スープ、焼きたてのパン、そして最後に注がれたのは芳醇な香りのアルコールだった。
三人のメイド達が入り口の脇へ静かに立つと、食前のお祈りが始まる。
ユウマは喉が渇いていたこともあり、祈りの終わりを待ってすぐに手元のグラスへ手を伸ばした――
「コホン」
キャスリーがわざとらしく咳払いをする。ユウマが驚いて手を止めると、次の瞬間、ギルアンティア家の家訓が一斉に唱和され始めた。
慌てて器から手を離し、姿勢を正す。異文化のルールにひやりとしながら、なんとかその場を取り繕った。
唱和が終わり、ようやく皆が食事を始める。周囲を見て安心したユウマは、アルコールの入った器を手に取り、一気に口へ流し込んだ。
「……あっまーっ!」
思わず口から飛び出た声に、ククルがくすりと笑う。
その後の歓談は終始にぎやかで、特に話題の中心にはエリッタ王女がいた。
子どもらしい表情で時に堂々と、時に茶目っ気たっぷりに話す姿は、場を自然と明るくしていた。
アットホームな食卓の空気に、ユウマはふと遠い昔を思い出していた。
こんな温かな団らんに、いつから触れていなかったのだろう。ククルの穏やかな笑顔が視界に入る。胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた――。
◆ ◇ ◇
食事が終わり、エリッタ王女の迎えが到着した。
ククルとリード、そしてユウマの三人で玄関先まで見送りに出る。
屋敷の門前には、コンパクトな王家仕様の馬車が静かに待機していた。王家の紋章が刻まれた、その姿は小ぶりながらも気品に満ちていた。
リードがエリッタ王女の小さな手を取り、馬車まで付き添って歩いていく。
馬車の前でリードがそっと膝をつくと、エリッタ王女は慣れたようにその頬へキスをする。リードも笑みを浮かべながら、彼女の額へそっと口づけを返す。
ユウマは隣で手を振っているククルに話しかける。
「……お兄さんと王女様って、仲がいいんですね」
ククルは目を細めて微笑みながら答えた。
「ええ。だって、婚約者同士ですもの」
婚約者――マジか!?
思わず声が出そうになったのを、なんとか飲み込む。
自分に言い聞かせるように呼吸を整える。
落ち着け、俺。ファンタジーの世界じゃ珍しくもない、そう、いわゆる許嫁ってやつだろ……。
ユウマのたじろぐ姿をククルは不思議そうに見る。
王女を乗せた馬車は、ゆっくりと屋敷の門を抜けていく。
見送りの三人はその背を見届けていたが、やがてククルが前を向いたまま、ぽつりと語りはじめた。
「エリッタ様のお母様、つまり王妃様は――暗殺されたの」
ユウマは思わずククルの顔を見る。
暗殺という非日常な言葉に心臓がひと鳴りする。
ククルは静かに続けた。
「五年前のこと。エリッタ様が五歳なる少し前――王妃様とエリッタ様が乗っていた馬車が、何者かの襲撃を受けたの。王妃様は……その場で命を落とされたわ」
エリッタ王女の先ほどまで楽しげに笑っていた姿と、あの泣きそうだった顔が脳裏に浮かぶ――
◆ ◆ ◆
わたしの名前はエリッタ。もうすぐ五才になる。
今日は特別な日だから、今わたしはドレスアップの最中。
じじょちょうのミラーが、クローゼットの中からいろんなドレスを出して並べてくれている。
わたしはお母様とおそろいのむらさき色の髪に似合うドレスにしてってお願いしたのに、なかなか決まらない。
早くおでかけしたいのに……。
だって今日は――キイロちゃんのお兄様の「こんいんのぎ」なんだもの!
キイロちゃんのお兄様は、もうすぐ「じき、りょうしゅ」になる人。とってもえらい人になるんだって。
ようやくミラーが「これがよろしいかと」と見せてくれたドレスは、
あおい布にあかむらさきのお花のししゅうがしてあって、とってもすてき。
なんだか大人になったみたいで、わたしは思わずくるっと一回まわってみせた。
「ありがとう、ミラー!」
そう言って、わたしはお母様のもとへ走っていく。
お部屋のイスにすわっていたお母様を見つけて、すぐにとびついた。
「まあ、可愛らしい。まるで王女様みたいね」
「王女だよー!」
いつものやりとりに、お母様がくすっと笑う。
お母様のおなかは、今とっても大きい。
うらないしの先生が言ってた。おとうとができるらしい。
今、わたしがいるのは、王都から少しはなれた「しゅくばまち」
これから出発して、今日のよるにはキイロちゃんのおうちにつくってミラーが言ってた。
馬車の旅はたのしい。
とくに、窓から見る景色がすき。木や畑やおうちがどんどんうしろに流れていく。
馬がひづめを鳴らしてはしる音も、風のにおいも、ぜんぶすき。
本当は――お父様みたいに、自分で馬に乗って走ってみたい。
でもこの前そう言ったら、「まだエリッタには早い」って言われちゃった。
五才になったら……のれるかな? きっとのれるよね。
馬車のところまでかけていくと、「わかぞー」があわててドアを開けてくれた。
ほんとうのなまえは「あんちゃん」かもしれないけど、みんなそう呼んでるから、わたしも「わかぞー」って呼んでる。
馬車にとびのって、くるっとふりかえると――
お母様が、ゆっくりと歩いてくる。
風にふわりと揺れるむらさきのドレス、やさしい笑顔――
お母様って、ほんとうにお姫さまみたい。
いえ、お姫さまじゃなくて王妃様だってことは知ってるけれど。
お母様が馬車に乗りこむと、まわりの大人たちが急にいそがしそうに動き出した。
わたしとお母様と、ミラーが乗るこの馬車のほかに、もう二台の馬車。
それに、馬に乗った騎士たちが十五人。ククルお姉ちゃんにも来てほしかったけど「せいきしの、しけん」で忙しいみたい。
みんな真剣な顔をしていて、なんだか、小さなおまつりみたいなにぎやかさ。
やがて、馬車がごとんと動き出した。
少しして、馬車は小さな森にはいっていく。
この森には、たまにリズがいるから、きょうも会えるかもって思っていた。
リズっていうのは、小さくて、赤い実が大好きな森のけもの。
けれど――なんだか、ようすがちがう。
いつもなら、葉っぱのすき間から光がきらきらして、鳥の声や、けものの足音が聞こえるはずなのに、今日はとても静かだった。
風が葉をゆらす音はするけれど、なんだか森全体がしんとしている。
木のあいだから見える空も、なんだか少しくもっていて、いつもより色がうすい気がする。
森のにおいもちょっと違う。
いつもは土や草のにおいがまざっているのに、今日はなんだかちがっていた。
リズも見えない。
さがしてみたけど、どこにも見えなかった。
(リズ、どこに行っちゃったのかな……)
そんなことを思いながら、窓の外をじっと見つめた。
森をぬけると、広い空の下に出た。
果樹園のあいだから、りんごの香りがただよってくる。
畑には、やさいの葉っぱが太陽の光をはねかえしてきらきらしていた。
遠くの丘の上には、小さな町が見えてきた。あそこが、キイロちゃんのおうちがある町だ。
わたしは、そっと窓に手をあてて――また会えるのが楽しみだなって思った。




