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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第六章 越境商人編
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第八十九話 風の中の灯

 風が唸る。白く煙る雪道を、二つの影が進んでいた。


 ひとりは、青年・阿述。しんしんと降る雪の中に、深くフードをかぶって歩を進める。もうひとりは、長身の男・伏明。目元に鉢巻を巻き、重い荷を担いで黙々と後を歩いていた。


 ここは鄴から西涼へと向かう山中の道。地図に記された正規の街道は雪で閉ざされ、踏み跡すら見えない。足を取られ、前に進むのもやっとの状況だ。


 阿述は唇を噛んだ。

「……まずいな。食糧もあと二日分。村ひとつ越えられれば――」


「引き返すか?」伏明が低く呟いた。


「いいえ。行くしかありません」


 即答する阿述に、伏明は肩をすくめる。何も言わずに先を促した。


 そのときだった。


 雪の影に、人のような塊が横たわっているのを阿述が見つけた。


「――人……?」


 駆け寄ると、それは雪に半ば埋もれた老人だった。動かない。まるで凍りついたように、白い雪の中に沈んでいた。


「……まだ、生きてる」


 唇が微かに震え、手がかすかに動いた。


「伏明さん、火を!」


「……正気か? このままじゃ、こっちも……」


 伏明の声が一瞬、冷たく響く。


「任務を忘れたか。西涼まで、あと何日かかる?」


 阿述は、拳を握った。


「覚えてます。でも、目の前で死にかけている人がいるのに、見捨てるのが『正しい』なんて、言われたくありません!」


 吐き捨てるように言い放った阿述に、伏明は一拍、視線を落とした。


 やがて黙って背負い袋から麻布を取り出し、木の枝を集め始める。


「……火を起こすなら、早くしろ。風が変わった」


 短く言い残し、伏明は風上に立った。


 阿述は夢中で火を熾し、老人の手を温め、水を口に運ぶ。


 しばらくして、老人が目を開いた。


「……ああ……ぬくい……こりゃ、夢かのう……」


「夢じゃありません。助けたんです。名前、言えますか?」


「名前……? 老魯ろうろとでも呼んでくれ……」


 老人――老魯はかすれた声で語り出した。かつてこの山の麓に住み、戦乱で村を焼かれ、彷徨っていたという。


「……人に助けられて、ここまで来た。あんたも、そうやって生きてきた口じゃろ?」


 阿述は、はっとする。


 幼い頃。飢え死にしかけていた自分を拾ってくれた、あの人の姿が脳裏に浮かぶ。藺桃――童庵の母のような女性。叱り、鍛え、食わせてくれた。彼女の言葉が、蘇る。


『困ってる人を見たときに手を伸ばせる余裕。それが、王道の始まりさ』


 そのときだった。老魯が静かに口を開いた。


「……この先にな、廃れた村がある。人はおらんが、屋根のある家がひとつある。越えられれば、裏道で西涼の道にも出られる。案内してやるよ」


「本当ですか!?」


「ああ。この辺の山道は、わしの庭みたいなもんじゃ」


 阿述が伏明を見ると、彼はわずかに頷いた。


 その夜、三人は廃村にたどり着いた。かろうじて風を防げる小屋に身を寄せる。


 そして翌朝、老魯の案内で、山を越えていく。


 途中の山小屋では、老魯がかつて世話になった猟師の家族と再会し、阿述たちも温かい粥と道案内を得る。


 別れ際、老魯が阿述の肩をぽんと叩いた。


「情にほだされたかと思ったが、案外、道理を持っとる。あんたさんの行く道に、幸あらんことをな」


「……助けたのは、俺じゃありません。情が助けてくれたんです」


 阿述は、振り返らずに歩き出した。


 雪はやみ、山の稜線が明るくなっていた。


 伏明が静かに呟く。


「……道を知ってる。地図より人の顔を信じるタイプ――か」


 阿述がふと笑う。


「藺桃さんの言葉ですよ」


 二人の背中が、雪の中に吸い込まれていった。


数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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