第八十七話 命を運ぶ道
鄴の一室。李牧軍の幕僚、周桓は疲れ切った顔で呂明の前に座っていた。
「雁門は、兵糧の補給が途絶えております。郭開殿が、李将軍の出兵に同意しておらぬゆえ、鄴の備蓄は開かれず……。補給部隊も手配できておりません」
「……郭開が、兵糧を握っているのですね」
「ええ。私兵の如く勝手に出撃した李牧に、備蓄を渡す道理はないと。趙王も口出しなさらず、事実上の兵糧封鎖です」
呂明は黙って地図を見つめた。雁門、鄴、そして西涼。彼の目が、ある一点に止まる。
「燕を通して南から兵糧を送る案も出ましたが……。兵站が細く、途中での徴発や通行料の問題も多く、難航しております」
周桓の言葉に、呂明は首を横に振った。
「南は駄目です。燕は中立を装ってはいますが、密かに秦とも通じている。何より……、この時期の輸送路はぬかるみます。車が進みません」
「では……」
「西です」
呂明の指が、地図の西端を指し示す。
「西涼には、私の拠点があります。かつての連携で、現地の牧畜民や穀商とも信義を築いてあります。そこから兵糧を仕入れ、雁門へ送る」
「だいぶ遠回りでは?」
「確かに距離はあります。ですが、こちらは乾いた地で道も良い。しかも、西涼は秦の目が届かぬ場所。間道を通じて雁門へ直接入れる」
周桓は黙って考え込む。
「……護衛は必要ですな。雁門付近は、山賊や匈奴の残党もおります。いかに呂殿とて、一人では危のうございましょう」
「ご安心を。旧知の将に頼りを入れてあります。廉頗将軍とナイガル――かつて西涼を守った二人です。護衛には申し分ありません」
「なっ……!」
周桓の目が見開かれる。
「廉頗将軍……が、呂殿に与するとは……!」
「いや、彼らも金で動くわけではありません。ですが、命を運ぶ道にこそ価値がある。それを見極める眼は、彼らの方が確かです」
「なるほど……。だが、費用は?」
「出来高による分配型としましょう。兵糧が雁門に届き、現地の部隊が持ちこたえた暁には、私に一定の利益を保証していただく」
呂明は柔らかく笑った。
「危険な仕事には、危険手当がつく。民の命を支える事業に、安売りはできません。成功すれば、それに見合うだけの報酬を――それが商人の務めです」
「……合理的にして、誠実。李将軍が惚れ込むわけですな」
周桓は呟いた。
「信義と利を両立させるとは……まこと、不思議な商人ですな」
「王道とは、そうしたものです。人を救う道であり、富を生む道でもある」
呂明はふと、地図の北部に視線を投げた。
(雁門は、趙の北部を守る要。補給の網を西から張ることで、李牧軍を生かす――そしていずれ、秦がこの地を狙ったとき……)
その先を、言葉にはしなかった。
「この補給は、あくまで趙のため。だが未来を見据える者は、この道の価値に気づくはずです」
周桓が息を呑む。
「趙を救う道が、秦を利するとは……まこと、乱世ですな」
「命を運ぶ道に、値札をつけるのが私の役目です。ですが――命に値があるのは、生きてこそ、ですから」
呂明の目が静かに光っていた。
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