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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第六章 越境商人編
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第八十四話 監視下の商人

 鄴の街は、異様な静けさに包まれていた。

 商都とは名ばかりに、路地には人の声が少ない。軒先に掲げられた絹や染物は、風に揺れているだけで、値を呼ぶ声も笑い声もない。


 呂明は、ゆっくりと足を止めた。

 ——静けさは、安寧の証ではない。肌の下を這うような圧……これは、監視の街だ。


 共にいた李成が小声で囁いた。


「……鄴は、趙の中でも異質な街です。軍の管轄に近く、郭開殿の直轄と聞いております」


「なるほど、納得です」


 呂明は周囲に目を向けながら答えた。店の前に立つ者の目が、どこかこちらを伺っている。


 そのとき、一人の男が道を横切った。白衣に身を包み、律儀に一礼するその男は、趙の官吏・游季ゆうきと名乗った。


「韓の陽翟よりお越しの呂明殿。以後、私が商業監督官としてお世話いたします」


 その口調は丁寧であったが、どこか突き放すような冷たさがあった。几帳面すぎる態度と、控えめな笑み。だがその足元には、飼い慣らされた蛇がいるような気配を漂わせていた。


「郭開殿の……お役人ですか?」


「いえ。私は、趙王に直接任命された役人でございます。鄴における商人の出入りは、すべて王命によって統制されています。ですが、もちろん不自由はさせません。ご安心を」


 安心、か。

 呂明は皮肉を胸に収めたまま、彼の案内で商館の一角へ通された。部屋は清潔で、食事も整えられていた。

 だが、それは裏返せばこういうことだ。


 ——監視の名目で、事実上の“監禁”だな。


「さすが、趙の第一都市。待遇は上々です」


 呂明が笑ってみせると、游季もまた柔らかく頷いた。

 その夜、李成がそっと部屋にやって来た。


「……これを、陽翟で託かっておりました。時間差で届くよう手配しておりました」

 手にしていたのは、一通の書簡だった。封蝋には、韓の家紋。張良の名がある。


 呂明は静かに封を切る。


『——君が鄴で見るものは、いまの韓と似ている。外には誇りを掲げながら、内には疲弊と猜疑が満ちている。

 我が韓が崩れかけているのは、まさに“郭開のような者”の台頭を許したからだ。趙が同じ道を辿るならば、君も巻き込まれよう。

 私は君を信じている。だが、忠告はする。鄴には、煙ではなく火種がある。』


 呂明は手紙を畳み、じっと机上の地図を見つめた。

 燕の国境に近い北部、そして鄴の東には、動きの読めない軍備。

 ……すべてが、攻めを防ぐためではなく、「何か」を封じ込めているように見える。


「游季殿は、燕の動きが不穏と申していたが……」


「違う」


 呂明はつぶやいた。


「彼は西を気にしていた。つまり、秦だ」


 そして郭開。

 名も顔も見えぬその存在が、この街を締め上げている。


 呂明は立ち上がり、李成に言った。


「この地で、趙の豪商とつながるには時間がかかる。郭開との面会も、まだ遠いだろう。だが、游季の背後に潜む動きがある限り――いずれ、郭開が私を“見にくる”」


「……その時こそが?」


「ああ。真の勝負だ」


 



 游季の報告書が、夜更けにひとつの屋敷に届いた。

 灯火の下、書を読む男の目が、ふと紅く染まる。


「呂明……か」


 郭開は、ゆっくりと笑った。


「面白くなってきたな」



数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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