第七十二話 白い札の裏側
冬の光が傾きかけた頃、呂明は新鄭の一角にある仮設の商館で、白玲と向かい合っていた。郦食其が集めた木簡を前に、彼は静かに目を通していた。
「“白い札”の実態が見えてきました」
白玲は、数枚の木簡を呂明の前に差し出す。
「表向きは“米や塩の先払い券”。だが、実際には“利子の免除券”として機能しています。札を持っていれば、一定期間の利子を帳消しにする。逆に言えば、札がなければ暴利が発生する」
呂明は頷いた。
「商いの表皮を纏った恐喝だな。札を配るのは“恩”のように見せかけて、実は縛りを増やしている」
「札を渡された者の多くが、元韓の没落農。土地整理の混乱に巻き込まれ、役所にも見放された者たちです」
「それを狙い撃ちにしているのか……見事に計算されているな」
呂明の目が細まった。
“白衣房”と呼ばれる高利貸しの実態が、次第に浮かび上がってきていた。その背後に、王棺の名がちらつく。王綰の腹心にして、冷酷な執行人——呂明は、彼のやり口を知っていた。
そこへ、郦食其が戻ってきた。
「ひとつ、おもしろい話を拾ってきました」
手にしていたのは、またしても粗末な木簡。だが、そこには一風変わった内容が記されていた。
「『借金の取り立てに来た男たちが、やたら礼儀正しかった。不思議に思って問いただすと、“白衣の男にそう命じられた”という。礼を尽くせば、札を受け取る者の恨みが減る、と』」
呂明は思わず笑った。
「敵ながら、洗練されてきたな。言葉の使い方まで心得ているとは」
「民の“不満”を抑えつつ、“支配”の根を深く張る。まさに統治の手本……しかし、それを“商い”に偽装しているのが厄介ですね」
白玲が苦々しく言う。
呂明は立ち上がり、窓の外を見る。日が傾き、街路には灯がともり始めていた。
「“言葉”には“力”がある。民は今、選ばされている。恩をくれる“白い札”を取るか、じわじわと効く“赤い札”——我々の商券を信じるか」
「商いだけでは勝てない、ということでしょうか」
「いや、勝ち方を変えるだけでいい。我々は、“見せる”のだ」
呂明は郦食其に目を向けた。
「郦、お前が拾ってきた声を“物語”にまとめてくれ。実名は伏せて構わない。“今、この地に何が起きているか”を、誰もが読める形で流す」
「……読み物として、ですか?」
「そうだ。“語り”の力で民の目を開かせる。“白い札”の背後にある搾取を、物語として見せる。事実を“絵”にして、“声”にするんだ」
郦食其は頷き、ゆっくりと口元を緩めた。
「面白い。これこそ“言葉の商い”ですな」
白玲が問いかける。
「ですが、それで王綰たちが動じますか?」
「動じなくてもいい。“民”が変われば、あいつらが頼る“恐怖”の根が崩れる。札を握っていても、心が離れれば力は弱る。民が本当に何を信じるか——その勝負だ」
呂明の声には、確かな決意があった。
「民を“敵”にしては、商いも国も成り立たない。王道は、心を得ることから始まる」
その夜、郦食其の筆が動き始めた。物語の題は、こうだった。
——「白い札と、赤い涙」
風が夜を深める中、呂明の“言葉の商隊”が静かに走り出していた。




