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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第五章 落日余光編
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第七十一話 言葉の商隊

 呂明は、郦食其り・しょくきと並んで歩きながら、民の暮らす町の小路を巡っていた。


「ここから先は、言葉の仕事だ」


 そう告げると、郦はわずかに眉をひそめた。


「言葉の仕事……?」


「我々の商いが、市場や貨幣を扱うだけだと思っているなら、それはまだ半分だ。人の心が動かなければ、金は流れない。つまり——言葉で動かすのさ」


 立ち止まった呂明は、目の前の広場を見渡した。屋台が連なり、客が値段を巡って声を張り上げている。だがその背後には、不安げな眼差しで立ち尽くす老女、ぼろを纏った子どもたちの姿もあった。


「韓は揺れている。民は、明日を信じられなくなっている。だからこそ、必要なんだ。『語り部』が」


「……つまり、わたしに“民の声”を拾えと?」


「それだけじゃない」


 呂明は郦の顔をまっすぐに見つめた。


「民に『語りかける』のだ。秦の商人は何をしているのか、なぜ街に変化が生まれたのか。そして、お前自身の目で見て、聞いて、感じたことを“言葉”にするんだ」


 郦食其はしばし黙し、やがてふっと笑った。


「なるほど。そういう意味なら、少しばかり得意分野だ。――では、まずどこへ?」


「好きに歩け。市場でも、宿でも、酒場でも。人の多い場所ならどこでもいい」


 郦は草衣の裾を払い、道端の子どもたちに話しかけながら去っていった。呂明はその背を見送りつつ、小さく呟いた。


「“ 草のように踏まれ、声も上げぬ民の声”を伝える者……郦食其。やはり只者じゃない」


 その日の夕刻、郦は戻ってきた。手には粗末な木簡が数枚握られていた。


「早速試してみた。五十を超える声を拾った。商いの品目、売れ行き、噂話、そして……恨み言。読みますか?」


 彼が差し出した木簡には、肉筆でびっしりと記されていた。


 呂明がうなずくと、郦は一枚目を読み上げた。


「『昨年は米の値が倍に跳ねたが、今は落ち着いている。秦の商人が買い支えていると聞いた。あの者たちは敵なのか、味方なのか』」


 次の一枚。


「『市場で銀貨が使えるようになった。最初は戸惑ったが、最近は便利だと思うようになった』」


 そして最後の一枚には、こんな言葉が記されていた。



「見ろ。これは借金に関するものだ」


 呂明は一枚の木簡を抜き取り、目を走らせた。そこには、銭十貫を借りて返せず、父祖の墓所を売り払った者の記録がある。


「これは……いつの記録だ?」


「三日前。貸主は、最近現れた『白衣房』だ。高利にして、取り立ても厳しい。元は役人だったという噂もある」


 呂明の眉がわずかに動く。


「王綰か……」


 白玲が小声でつぶやく。呂明はうなずいた。


「うちの商会とは別口で、金貸しを始めていたか」


 元韓の民は、秦の制度にまだ馴染めていなかった。法律や計量器具である「枡」の大きさ、年貢や納付の仕方などの違いにより、手取りの増減が生じていた。土地や戸籍の整理も追いつかず、正規の支援を得られぬ者が現れる。


 そうした人々が、背に腹は代えられず、高利貸しに手を出す――当然の帰結だった。


「『高利貸しの連中はひどい。取り立てが厳しくて夜も眠れん。だが、あの“白い札”を使えば利子がいらぬらしい。使い方を誰か教えてくれんか』」


 呂明は静かにうなずいた。


「それでいい。数字では見えない“変化”が、そこにある。お前の目と耳は、民の内側を映している」


「ただの落書きです」


「いいや、それは“言葉の金”だ」


 そのとき、白玲が現れて言った。


「呂明、先ほどの高利貸しの件ですが、王綰が裏で動かしている可能性が濃いです。どうします?」


 呂明は少し考え、微笑を浮かべた。


「いや、泳がせておこう。いずれ“憎しみ”が募れば、民は叩く先を探す。そのとき、我々の策は映える」


「民の怒りを“導く”んですね」


「民衆を扇動するんじゃない。“見せる”だけでいい。我々が何をしているか、どちらが本当に民のためか、それを“言葉”で伝えるんだ。郦、頼んだぞ」


 郦食其はゆっくりと頭を下げた。


「承知しました、“商隊長”殿」


 その日、呂明はまた一つ、“言葉”という武器を手に入れたのだった。


数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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