第六十九話 洛陽再訪
洛陽は、やはり空気が違った。
幾度もの戦火をくぐり抜けたこの都は、それでもなお、どこか雅やかな香を残している。
街を往く民の装いにも、商家の佇まいにも、そして城郭の輪郭にも、楚とはまた異なる「古き中原の香り」が漂っていた。
呂明は、軽装で馬車を降りた。
この地に来たのは、子供の時以来だ。だが今回は軍議でもなければ、急報でもない。
父の残した町。その市政、想いの結晶をもう一度この目で見たいと思ったのだ。
情報商としての表向きの理由は、もちろん「韓への交易拡大の前線調査」。
だがそれ以上に、呂明の胸には「思想のゆくえ」を見定めたいという、ひそやかな衝動が渦巻いていた。
洛陽の一角、石造りの門をくぐると、塾の中は驚くほど静かだった。
数十名の若者が膝を揃え、中央の講壇に座す一人の老人の言葉に聞き入っている。
その語り口は穏やかでありながら、刃のような鋭さを持っていた。
「──法とは、万民のためにあるものではない。君主が民を御するための器である」
「仁愛は、ときに政を曇らせる。優しさは、支配の敵だ」
その一節に、呂明は、はっと目を見開いた。
──聞き覚えのある調子だ。
──いや、声ではない。その構成と論理、その語る者の奥にある「政治観」そのものに、既視感がある。
壇上の男──名は管子蘊。自らを「法を学び、商を知る者」と名乗った。
講が終わった後も、若者たちは彼に質問を投げかけ、彼は静かに応じていた。
呂明は、一歩近づき、ただ一言、声をかけた。
「……見事な講義でした。失礼ながら以前にどこかでお会いしておりませんか?」
管子蘊は、ほほ笑んで首を振った。
「いえ、私はこの洛陽でひっそりと過ごす、ただの一塾頭です」
「貴方のような目を持つ者には、少々物足りなかったかもしれませんが」
その言葉に、呂明は一瞬、目を細めた。
この男は、自分の素性を見抜いている──あるいは、自分が「気づいた」ことに気づいている。
だが、そこで踏み込むことはしなかった。
「いえ、学ぶことの多い講義でした。また、機会があれば」
そう言って頭を下げると、管子蘊もまた静かに頭を下げた。
その場を離れる道すがら、呂明は呟いた。
「火は……まだ、消えていないのか……」
その炎の在処を確かめるように、呂明は再び旅装を整えた。
目指すは、韓の都・新鄭。
交易の先にあるのは、商売だけではない。思想と、権力と、そして──かつての亡霊たちとの再会だ。
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